第3話 やらかし
それから時は流れ、五限目が終わった後の休み時間のこと。
春川は教卓の前に立ち、次の古文の授業で提出することになっていた課題の回収を始めた。
古文の教師はものぐさな性格をしており、課題の回収は学級委員の役目になっていたのである。
そこでクラスメートのギャル二人が春川の言葉を無視して、教室を出て行こうとした。
ちなみにギャルの名前は知らない。
見た目の特徴を言えば、黒ギャルと白ギャルのコンビである。
春川はそのギャル達を呼び止めて、一言二言の会話をした。
内容は知らない。窓際後方の席にいる俺のところまで聞こえるはずもなかった。
なぜ俺がそんな光景を眺めていたかと言えば、何となく嫌な気配を感じたからだった。
ギャル二人の表情が、とても苛ついていたように見えたのだ。
トラブルが起きるかもしれない。
そんな風に思っていたところ、
「春川さぁ! お前マジでうざいんだけど! 高二になってもイイ子ちゃんやってんの!?」
黒ギャルが春川に怒鳴りつける。
もう一人の白ギャルも続く。
「てか、何で春川に課題がどうこう言われなきゃいけないわけ?」
クラス中が静まり返る。
それからヒソヒソとした話声。
やばそうじゃじゃない? とか、止めたほうが良くない? とか。
しかし、誰も間に入るような素振りは見せなかった。
ギャル二人に睨まれながらも、春川に引く様子はない。
「あのさ。私はただ、課題のことを尋ねただけなんだけど。出す出さないはあなた達の勝手だから、私にはどうでもいいんだってば。で、出すの? 出さないの?」
「はぁ!? 何その上から目線?」
春川の顔が少しずつ引きつっていく。
「上から目線? そんなつもりはないけど、日本語通じてる? 出すの? 出さないの?」
そこで黒ギャルが鼻を鳴らして嘲笑してみせる。
「はっ。アンタさ。中学の時からそういうとこあったよね。教師には媚売りまくるクセに、格下だと思った相手には高圧的で」
白ギャルが口を挟む。
「へー。春川と同じ中学だったん?」
「そーなの。こいつ昔からこんなんでさ。そんな性格してるから中学の時に――」
そこで春川は笑顔を向ける。
恐ろしいくらいの、満面の笑みだった。
「今、中学の話は関係ないよね? ていうかさ。あなたにどうこう言われる筋合いはないんだけど」
「は?」
「学校に何しに来てるわけ? 課題出す気もないし、ましてや真面目に授業受ける気もないんでしょ? アホな男に引っ掛かって、その愚痴を喚き散らかしてるだけじゃん」
「はぁ!? 別に学校でアタシが何話してても自由でしょ!?」
「いや、はっきり言ってあげるとさ。目障りなんだよね」
「このっ……!」
黒ギャルが腕を振りかぶる。
まさかと思っていたら、
「アンタにアタシの何がわかんだよ!」
平手打ちである。
パチンという小気味良い音の後に、見ていた女子達の悲鳴が上がった。
「…………」
一方、春川は唖然とした様子で赤くなった自分の頬を触る。
それから、
「あー、はいはい。わかったわかった」
まるで感情を失ったように呟くと、
「ふんっ!」
教卓に向かって強烈な蹴りをかましていた。
吹き飛んでいく課題のプリント。
教卓が倒れたことによって響く衝撃音。
女子生徒の悲鳴はもはや絶叫のようになっていた。
ああ、これは本当にまずい。
俺は反射的に立ち上がり、春川の元へと走っていた。
なぜ、考えるよりも早く体が動いたのか。
自分でも上手く説明することはできないだろう。
ただ、俺の脳裏には自分が起こした暴力事件の光景が蘇っていた。
春川は大股でギャル達へ近付いていく。
「中学の時からずっと私に喧嘩売ってるよね!? 買うよ! 今、ここで買ってやる! このドクサレビッチが!」
あんぐりと口を開けて固まっているギャル二人。
そんなギャル達に向かって拳を振り上げる春川。
寸前のところで間に合った俺は、春川を羽交い絞めにする。
女子とここまで密着したのは生まれて初めてのことだったが、気恥ずかしさを感じているような余裕はなかった。
声を張り上げる。
「春川! やめろ! 手を出すのはダメだ!」
「放して! 放してってば!」
「一回、落ち着け! とりあえず落ち着けって!」
「落ち着け!? 何言ってるの!? 先に手を出したのはこいつらでしょ!? もう我慢の限界だし! 死なす! 絶対に、絶対に絶対に絶対に死なす!」
感情と共に口調までヒートアップしている。
「は、春川……?」
黒ギャルが尻餅をつく。
その肩は震え、目元には涙が溜まっていた。
春川は叫ぶ。
まるで拳の代わりに言葉で殴りつけるように。
「あなた達みたいにね! 人の足を引っ張ることしかできない連中が、私は大っ嫌いなの! イイ子ちゃんって言った!? 私だって好きでイイ子ちゃんなんてやってないし! 私の目標のために、なりたい自分になるためにもがいてるだけだから! それの何が悪いの!?」
より春川の力が強くなる。とても女子の力とは思えない。
俺は歯を食いしばって耐えた。
「おい! 春川! もういい加減にしろ!」
春川が俺を見上げるような体勢になる。
「ていうか鷲津くんには関係ないでしょ!? 放してよ!」
何を言われても、離すわけにはいかなかった。
「いいか春川! よく聞け! ここで手を出したら俺みたいになるぞ!? いいのか!? 本当にそれで後悔しないのか!?」
そこで春川の動きが止まる。
多少なりとも俺の言葉が届いたらしい。
ゆっくりと、振り上げた腕を下していた。
「もう、大丈夫だから」
弱々しい声で言う。
さすがに冷静を取り戻したらしい。
そう判断して、俺は春川を解放した。
「おい! お前ら! これは何の騒ぎだ!?」
誰かが呼んだのだろう。
体育教師が慌てた様子で駆け付けていた。
それから何人もの教師達が駆けつけてくる。
それだけじゃなく、他のクラスの生徒達も野次馬のように集まっていた。
中にはスマホで動画や写真を撮っている奴もいる。
「あー……やっちゃったなー」
騒ぎの中心で、春川は他人事のように呟いていた。
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