第11話 時代のかけら

 キャッチャーとしての能力をもつ、AIヒューマノイドのハツ。


 ピッチャーは彼女の専門外だが、短い距離でゴムボールを投げる分にはとても良いコントロールだった。


「おねえちゃん、めっちゃ上手!」


 子供たちは、打ちやすいハツのボールをプラスチックのバットで打ってかわるがわる遊んだ。


「グリップ……、ええと、棒を持つ両手をもう少し上げると打ちやすいよ」


 ユキナガは子供たちの横で、バッティングフォームにアドバイスを与えていた。


 飛んだボールを誰が捕ることができるか、守りについた子供たちが笑いながらボールを追いかける。


「ハツ、君が今までやったのは、僕と二人でのキャッチボールだけだった。みんなでするボール遊びはどうだい?」


「頭でっかちだった野球の知識が身になっていくことを感じています。吸い込まれていくよう。それと単純に楽しい」


「それは良かった。僕もそうだ」


 電車が走りすぎる橋の下。川辺の原っぱでボール遊びの時間。子供たちの笑い声は、野球の赤ちゃんの産声にも似ていた。



 子供たちの中にひとり背が高い女の子がいて、その子はボールをうまく打つことができずにいた。

「わたしには無理?」


 ユキナガは首を振る。

「そんなことない。ん-とね、君は左打ちのほうが合う気がする。右手が強い」

 

 腰の回転についても癖があったのでユキナガは少しだけ助言した。すると彼女のスイングは見違えるようによくなった。


 女の子の振ったバットはハツのボールを芯でとらえた。


 スパーンという気持ちのいい音とともにハツに向かって強い打球が飛んだ。


「あぶない!」

 子供たちはハツを案じて叫ぶ。


 しかしハツは余裕だった。左手でボールを簡単にキャッチして見せた。

「ないすばっちー」

 彼女はにっこり笑った。


「ゴムボールは捕るの難しいんだけど、さすが本職のキャッチャーは違うな」

 ユキナガは感心した。


 子供たちはハツのところに集まった。

「おねーちゃんスゲー」

「かっこいい」


「称えなさい。もっとわたしを称えなさい」

 ハツは得意げだった。


 さて、ハツばかりにいい格好をさせておくのはつまらない。


「はじまりの野球は楽しく美しい。しかし野球はこれから進化していく。天才の出現によって概念は塗り替えられていく。この僕があらわれる。天才打者をどうやって抑えるか。それが人々にとっての思考の中心となっていく」


 ハツは(なに言ってんだこいつ)という顔になった。そして実際にそう口にも出した。


「お前のボール。僕が打ってやんよ。余裕だよ」

「ほおん?」


 ふたりとも悪い顔になった。

 対決、ピッチャー田中ハツvsバッター夏目ユキナガ。


「さあこい」

「あ、ユキナガくんって左打ちなんだ」


「そう、前世では右投げ右打ちだったんだけどね、今回は左打ちをやってみたくて練習していた」


 子供たち。

 バットを構えながらユキナガは思った。


 誰もとれない打球、僕がみせてあげるよ。

 

 それには名前があってね、ホームランっていうんだ。どこまでも遠くへ高く飛ぶボールはとてもきれいだよ。



 ハツは子供たち相手とはまるで違う、ガチの4シームを投げ込んできた。


 速いが、しかしそれは投手のボールとは質が違う。打てる。


 悪いなハツ。僕の第一号ホームランだ。この世界での。


 見とけよ子供たち。凄さを。


 僕のじゃない、野球のすごさをよく見ておけ。


 ハツの投げたボールは威力があったし、それを迎え撃ったユキナガのスイングの鋭さもすごいものがあった


 長い時間存在して劣化したプラスチックのバットがそれを耐えられるはずもなく。


 ひどい音がしてバットは砕け散った。ボールは少しだけ飛んで、すぐに落ちた。


 子供たちから何とも言えない悲しげな声が上がった。

 

 ユキナガとハツも、互いにしぼんだ風船みたいな顔をして見つめあった。


「え、もうやらないの?」

 子供たちはすっかりテンションが下がってしまっていた。


「だって棒が壊れちゃったし」


 ユキナガがボールを打った時の大きな音ですっかりおびえてしまっているようだった。


「なんか怖いね」

「やめようか」

「僕たちがボールで遊ぶことはもう一生なかったね」


 子供たちはどこかに行ってしまった。

 生まれたと思った新しい遊びの芽は潰えた。


 後にはユキナガとハツと、ばらばらになったバットが残された。


 ユキナガは砕けたバットのかけらを手にして、じっと見つめていた。彼は少し笑っていた。


 人はこういうときにも笑う。


 人間のそういう一面を、AIヒューマノイドである自分とは相違があるようだなとハツは常々感じていたが、このときのハツはユキナガと一緒に笑っていた。


 不思議だね、と彼女は思った


「ユキナガくん?」

「これ、直すのは無理かな」


 ハツはバットのかけらに目を移した。そして無言でそれを見つめた。


 口を開くまで時間があった。


「直せない。かけらをつなぎ合わせることができたとしても、歪んでしまっていて、ボールを打つ役目は果たせない。無理だと思う」


「そっか。でもさ、アイロンじゃないけど、熱をかけて少し溶かして、元の形に直すことはできないかな」


 ハツは少しの間考えて、それから首を横に振った。


 ユキナガはその後の道中しばらくバットのかけらをもっていた。荷物が増えてしまうことになったが、それに対してハツは何も言わなかった。


 しばらくしてから、ユキナガはそのかけらを捨てた。ハツには言わず、いつのまにか捨てた。


 この当時、厭世ムードというのは世界中を覆いつくしていた。新しいものがなんだか生まれづらい空気。


 スポーツ観戦や映画、アニメ、ゲーム。そういった楽しいものに触れた記憶を持つ人々が生き残っているときはまだ良かったのだが、世代が変わると、自分たちは楽しくない『はずれ』の時代に生まれてしまったという、暗い空気が人の世に立ち込めることとなった。


 その直前の時代が、景気も良く様々な文化が勢いよく花開いた時期だったことが彼らのその思いに拍車をかけた。


 後の世で、このころの時代を『暗黒時代』と呼ぶものもいれば、そうではないと考えるものもいる。学者の間でも意見は分かれていた。

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