第2章

第9話 旅路の春

 『徳を積む』という言葉を人は好む。何千年も伝わる考え方。


 何かを努力し続けても、この世で報われるとは限らない。正しいものが勝つとは限らない。


 でも、積み重ねた善きものはあなたの次の世に持ち越されるかもよ。


 むかしからいろんな人がいっていたこと。


 昔々から人はそうやって来世に自分の夢を託したともいえるし、『世の中には転生している人が思っている以上にいるものなんですよ』ということを、暗に伝えようとしていたのかもしれない。


 それはそれとして我らがユキナガ。生まれ育った街から、戦艦型タイムマシン『リンドウ丸』が停泊する横須賀まで向かった。


 AIヒューマノイドのハツと一緒に。


 ハツがバイクを運転して、ユキナガは後ろで彼女につかまっていた。


 そろいのヘルメットとゴーグルを身につけて、ハツは若草色のシャツをよく着ていた。ユキナガは高校の制服姿。


 色々荷物の入ったグレーのリュックは後ろに乗るユキナガが背負った。


 オレンジ色のバイクは、姿かたちはクラシカルなベスパだったが、見た目よりずっとパワーがあって、二人乗りでも余裕の走りだった。


 この世界ではエンジン技術が随分向上しているようだった。


 ユキナガはバイクに詳しくないが、250ccほどのパワーはあるように思えた。


 ユキナガも運転してみたいけれども、この世界での彼は運転免許を取得していない。


 広い駐車場ですこし運転させてもらい、ぐるぐると輪を描いて走り気分転換をした。


「いいバイクじゃん」


 オレンジ色のベスパを眺めながらユキナガはつぶやいた。


「だって!」

 ハツはそれを聞いてバイクに語りかけた。


「ベスパ、ほめられて嬉しいって」

 彼女も嬉しそうに笑っていた。


 途中で、手続きのために役所に立ち寄った。


 ハツの所有者名義登録をユキナガに変更する必要があった。手続きは簡易なものだった。


 前の所有者の名がちらりと見えたが、ハツがそれについてとくに語ろうとしないので、ユキナガも深くは追及しなかった。


 手続きが終わってから近くで昼食をとることにした。AIヒューマノイドは人間と同じ食事でもエネルギー補給ができる。


「ハツ、僕がなにか買ってくるよ。天気がいいし、そとで食べよう」

「良いですね」


 ふたりは少し黙った。


 AIヒューマノイド田中ハツ。所有者、夏目ユキナガ。


 今日からそうなった。あらためて考えると不思議な照れくささがあった。


「これから僕たちは過去の時代へ向かう船に乗ろうとしている」

「うん。まるでマンガみたい」

「本当だね」


 できれば野球マンガでありますように。


 そう言い残してユキナガは売店を探しに行った。



 ユキナガの背中を見送ってから、ハツはひとり呟いた。

「お兄ちゃん、わたしはこんな感じでいいのかしら」


 近くには川が流れ、橋があった。さっき電車が一本通って行った。堤防沿いにはいい感じの草むらが広がる。


 ハツは草の上に寝っ転がった。腕を組んで枕をつくり、空を見上げる。傍らには赤いラジオ。


「なんかこう、春の昼下がりって感じのおだやかで明るい曲はやってない?」


 ハツが赤いラジオに話しかけると、音楽が流れ始めた。

 

 それはハツも好きな曲だった。ただ春という感じは別にしない。


 この世界に現存する音源はとても少ない。600曲くらいしかないはずだった。


 だから、多様なリクエストに対応するのは無理な話。


「ハツ、あれ」

 いつのまにかユキナガがすぐ近くまで戻ってきていた。


「え、なに?」

 ハツはユキナガの言うほうを見た。


「おや」


 ユキナガは自分の目を疑っているようだった。


 しかし何回見てもあれは。


「あの子バットを持っているじゃないか!」

 彼は叫んだ。

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