第8話 ベスパに乗って

 家を出て少し離れた道端に、バイクにまたがったハツがいた。


「ヘルメットかぶってね、ユキナガくん」


「格好いいじゃん、このバイク」

 ハツが乗るバイクは明るいオレンジ色のベスパだった。


「見た目はクラシカルだけど中身は今どきの高性能なんですよ」


ハツはシルバーメタルのゴーグル付きヘルメットをかぶっている。彼女は同じヘルメットをユキナガに手渡した。


「じゃあまあ、行ってみましょうか。わたしたちの輝かしい、過去へ」

「ああ」


 ユキナガはハツのバイクの後ろにまたがった。二人ともゴーグルを掛けて、ユキナガはハツの腰に手をまわした。


 ハツがバイクのアクセルをふかした。


 そのとき突然、かみなりが落ちたかのような光と音が二人を襲った。


「うわ」

「え、何事よこれ!?」


 青白い光は二人のバイクの行く手を阻むように集まり、形をなした。


 人間のかたちになった。


「夏目ユキナガ、田中ハツ……!」


 宇宙服姿のように見えるそれは男性の声で二人の名前を呼んだ。


 目の前で何が起こっているのかまるで分らない。


「リンドウ丸には……乗るな!」


 そう叫んだ男はふたりに近づこうとしたが、すぐに立ち止まった。彼の全体を包む青白い光がその輝きを増した。


「いやだ、いやだ!」


 男は叫んだ。叫び続けたが、やがて細かい光の粒子になって消えてしまった。


 あたりに静けさが戻った。


 不気味な沈黙だった。


「なんだよ今の!」


 とめていた呼吸を一気に吐き出すように、ユキナガが叫んだ。


 ハツは茫然としている。


「まったくわかりません。こんな現象を見たことがない。ただ、わたしたちが関わろうとしていることは、思った以上にヤバいようですね。完全にオワタと思いました」


「確かにな」


 二人は一度バイクを降りた。男が消えたあたりを見ていたが、それ以上何もこらない。


「ユキナガくん……、どうする? やめる? 兄もあなたに命を賭けるほどの覚悟は求めていないと思う」


 ユキナガは何もない中空をにらむように見つめ続けた。


「シバのすけは無理するなってきっと言うだろうね。優しい奴だった。ハツ、あいつに直接言うことはもうできないから、かわりに君が僕の今の気持ちを聞いてくれない?」


「聞かせて」


「僕は死んでも野球がもう一度見たいんだ」


「そっか、いいですよ。付き合いますよ、ユキナガくん」


 改めて二人はバイクにまたがった。


 ユキナガは我が家のほうを振り返った。彼が10年以上暮らした家と、大きな蔵が見えた。


 シバのすけと一緒に何度も入って探し物をした蔵。ユキナガはあの不思議な蔵がとても好きな場所だった。


 バイクは排気音とともに走り出した。リンドウ丸の待つ町まで。


 今はまだ何者でもない投手と捕手を乗せて。


 ユキナガとハツは二人乗りで走りながらいろいろ話した。これまでのこと。これからのこと。お互いのこと。


「君がぴりぴりというか、ちょっと怒っているように見えるときってさ。あれって、よそからの余計な情報を遮断する防御策としてああいう表情と口調を選択してアウトプットしているの?」


「人間と同じですよ。わたしたちAIには感情があるんです」


「有機コンピュータ内で感情が生まれる仕組みって、いったいどういう理屈なんだろうか?」


「人間の感情だって別に全部が全部、論理的に解明されているわけじゃないでしょ。同じよ」

「まあそうかも」


 風の音が邪魔で、ハツの言葉は聞こえたり聞こえなかったりだったが、そのなかではっきりとユキナガに聞こえた言葉があった。


「あなたはいつか、わたしのことも壊すのでしょうね」


 風を受け、前髪をなびかせながら彼女の横顔は微笑んだようだった。

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