第7話 旅立つ二人

 その夜、ハツはユキナガの家に泊まることになった。出発は明日の朝。


 ユキナガの両親は、はるばる遠方から訪ねてくれたシバのすけの妹を歓迎してくれた。


 ふたりが時間を遡る長い旅に出ることは言わない。


 明日ユキナガは、学校に向かうといって家を出て、夕方には帰ってこられるはずだ。まるで平凡なただの一日であるように。


 ハツはシバのすけが寝床にしていた押し入れで休むことになった。


「いいの、そこで?」

「どこでもかまいません」


 AIも定期的な休息は取る。


 電気を消して暗くなった部屋で、少し離れたところからハツのささやき声が聞こえた。


「感謝します。ユキナガさん」

「君がうらやましいよ。未来に希望がある」


「うまくいくかどうかは、まだ分からないわ」

「挑戦できることがうらやましい。可能性があることがうらやましい。僕とはちがって」


「……わたしにも、あなたの手伝いがなにかできるといいのだけれど。ただ……、なにも知らないあなたのご両親に少し申し訳ない。あなたはわたしのためにこれからきっと少なからず危険な目に会うことになる」


「そうかもね」

「怖い?」


「少しはね。でもそれと同時にわくわくしている。だってタイムマシンに乗れるかもしれないんだよ。あれ、そういえばどの時代まで行くんだっけ?」


「記事には20世紀中盤と書いてありましたね」

「そっか、すごいよね」


 ユキナガは目を閉じた。明日のために眠ろうと思った。ハツもそれ以上は話さなくなった。


 少し時間が経った。


「そういうことかあ、シバのすけ!!」

「わあ」


 ユキナガが突然叫んで、ハツが驚いた。


「どうしたの。いったい何がどうしたの」


「20世紀だろ、それは野球の全盛期だ。僕は野球のある時代に帰れるんだよ!」


 カーテンの隙間から、月明かりの筋が部屋の中をわずかに照らしていた。


 薄暗い中で、ハツが身を起こしてユキナガのほうを向いたのが分かった。


「帰ってどうするの? あなたが望んでいるのはプロ野球選手になることでしょ? 現地の国籍もなにもない」


「いけばきっとやりかたはある。少なくともこの時代で生き続けるよりははるかに可能性がある。こんなことを言うのは情けないけど、悔しいけど、ここは僕のいるべき世界じゃないんだ。わかったよシバのすけ。確かにそれしか方法はない」



 ハツは戸惑っているようだったが、ユキナガの興奮は収まらない。


 そうだ。きっとそれこそがシバのすけの目論見。


 運命が待っていると、手紙の中でユキナガの親友は言っていた。


 そのあともユキナガはしばらく寝付くことができなかった。いろんなことを考えて、それからふと我に返った。


 本当のところハツは自分のことをどう思っているのだろうか。


 兄を壊した男のことをどう思っているのだろうか。そんな奴と旅に出ることが嫌ではないのだろうか。


 答えは見つからなかった。


 しばらくハツのことを考えたあとで、ユキナガにようやく眠りが訪れた。


 翌朝。


「ぴょこ ぴょんぴょん ぴょこんぴょん!」

「うわ」


 ハツの歌声でユキナガは起こされた。


「おはようございます、ユキナガさん」

「あ、うん。おはよう。ハツさんどうして今歌ったの?」


「アラーム機能です。朝7時にセットしておきました」

「ああそういうこと。びっくりした」


 話しているうちに忘れそうになるが、やはりハツは人間ではないらしい。


「アラームの曲とボリュームは変更できますが?」

「じゃあ、次は変えてもらえるかな。結構おどろいた」


 ユキナガが学校へ行く支度を整えて母親にあいさつした。


「いってくるよ」

「行ってらっしゃい」


「今日の晩御飯ってなに?」

「たくさんの肉とだけ言っておきます」


「そりゃ楽しみだ」


 ユキナガは今日学校へは行かない。


 そしてこの家に戻ってくるつもりがない。

 

 つまりこの世界での肉親とはもう会えないということだ


 自分は決断を急ぎすぎただろうか。


 何も知らない母の顔を見て、ユキナガにためらいが生まれた。


 玄関先を出て、振り返った。母がまだわが子を見て微笑んでいる。


 前世の記憶があるユキナガにとって、両親とは前世の二人のことだった。


 幼児のころから大人のころの意識がそのままあった彼にとって、この世界での親を本当の親だと思うことはどうしても抵抗があった。


 でもこの世界の母も父もいい人だった。大変な恩があって、ユキナガは彼らのことが好きだった。愛していた。


 これがお別れでほんとにいいのだろうか?


 すぐに迷いのない答えなど決めることができるはずもなかったが、時間はなかった。ハツが自分を待っている。


 そして昨日までの自分が、シバのすけと二人ぼっちで地道な練習を続けた過去の自分が、どうしても野球がやりたい、野球がみたいと訴えかけてくる。


 泣くほど悔しかった日の自分が、無念を晴らしてくれと祈っている。


 ユキナガは心を決めた。旅立つことを決めた。


「いってきます」

 もう一度母に声をかけてユキナガは家を出た。


 もし、また次の人生があるならば。


 そのときはあの人たちの子供にもう一度生まれて、今度は普通の親子として人生を最後までともに過ごすのもいい。きっとそうしよう。


 前世の記憶なんかないほうが良かったな。ユキナガは一瞬だけそう思ってから、その気持ちにフタをすることにした。


 今日の晩ごはん、何だったんだろうな。

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