第14話 未来の計画

「抗性、やたら高いな……」


 俺は小さく自嘲気味に呟き、微かに口元を緩めた。たった一時間前、布団にくるまって震えていた自分が嘘のようだ。夜の冷気に耐え切れず、身を縮めながら凍えていたのに——


 今では、ほとんど裸同然の状態で冷たい屋根の上に座り、吹き荒ぶ寒風を浴びても全くの無感覚だ。

 寒さも痛みも感じず、まるで自分がこの世界の物理法則から切り離された存在になったようだった。


 これが、俺がステータスをいじった結果なのだと、初めて実感した瞬間だった。


 この違和感とも言える変化は、不思議で、どこか心をざわつかせるものだった。今の俺は、まるで人間の枠を超えてしまったかのようだ。


「……完全に凡人じゃなくなっちまったな。」


 夜空を見上げながら、小さく呟く。


 俺はふと視線を下ろし、自分の手を見つめた。指を軽く動かし、その動作に宿る力の感覚を探る。この手には、ついさっき管理者権限で手に入れた圧倒的な力が宿っている。


「これから、こんな変化がどんどん増えていくんだろうな……」


 呟きながら、苦笑が自然と浮かんだ。


 かつて、チート権限を手に入れることは俺の夢だった。朝も夜もそのことを思い描き、世界を変える力を手にした自分を想像していた。


 そして今、その夢が現実となった。だが、思い描いていた喜びとは違う、どこか居心地の悪い感覚が胸に残っている。


 それは飽きでもなければ、空虚感でもない。ただ、極度の満足を得た後に訪れる困惑のようなものだった。


 俺は顔を上げ、静かに輝く星々を見つめた。夜空に散りばめられた光は相変わらず美しいのに、どこか遠く、手の届かない存在に感じられた。


「俺は……まだ、俺なんだろうか。」


 ふと、自分に問いかける。風にかき消されそうなほど小さな声だった。


 俺がまだ普通の人間だった頃の、ささやかな感情や、制約の中で感じていた不自由さ。それらはまだ鮮明だ。

 だが、この“変化”の中で、そういったものが少しずつ薄れていくのだろうか?あるいは、完全に失ってしまうのだろうか?


 ……わからない。


 その答えを出すことができない自分がいた。


 風は絶え間なく吹き続けているが、その冷たさを感じることもない。俺の意識は、その風に乗ってどこまでも漂っていくような感覚に包まれていた。


(まあ、ゆっくりでいいさ。まだまだ時間はたっぷりある。この世界で、自分がやりたいことをやればそれでいい……)


 心の中でそう自分に言い聞かせ、静かに自分を励ます。その瞬間、自然と口元に薄い笑みが浮かんだ。


 目の前に広がる無限の星空を見上げながら、俺の心は次第に穏やかさを取り戻していった。


 今の俺には、時間も自由も十分すぎるほどある。この新しいゲーム世界の中で、ゆっくりと自分の在り方を探しながら、好きなことを選び取っていける。

 そんな余裕があるだけで、不思議と胸の中に安堵感が広がっていくのを感じた。


「そうだよな……今はそれで十分だ。」


 そう呟きながら、一瞬だけ目を閉じた。


 だが、ふと頭の中に別の考えが浮かぶ。


 ——明日は早番じゃなかったっけ?


 その思いが浮かんだ瞬間、俺は一瞬固まり、すぐに苦笑いを浮かべた。


「……なんだよ、もうほぼ無敵なのに、まだそんなこと気にしてんのかよ。」


 軽く頭を振りながら、心の中でツッコミを入れる。だが、どこかおかしみを感じる自分もいた。


 そうだ。俺は今や、この世界で数え切れないほどの富を手に入れた。辞めようと思えば、いつでもこの収銀の仕事を辞められるはずだ。

 だが、何故だか、その選択をすぐに取る気にはなれなかった。


 平凡な生活は、確かに地味だ。しかし、そこには独特な安らぎがある。


 毎日、店での仕事の中で、クレアと口喧嘩をしたり、客と挨拶を交わしたり、レジで支払いを処理したり、時には天気の話題で雑談したりする。


 そして、些細な愚痴をこぼしたりすることも——そんな日々の平凡さが、時に財産と呼べるほど貴重なものに思える瞬間がある。


 夜空を見上げながら、そんなことをぼそりと呟いた。目には一瞬、ほんの少し感慨深げな色が浮かんでいた。


 屋根の上に座ったまま、俺は静かに星々を眺め続けていた。星たちの静かな輝きと夜風に包まれながら、自然と考え事が浮かんでくる。


 これからのこと、未来のこと、俺がこの世界で本当にやりたいこと……そんなあれこれが頭を巡り、気がつけば夜はどんどん深まっていた。


 もちろん、そのすべてがまだ具体的に形になっているわけではない。だけど、こうして考えているうちに、少しずつ小さな計画が心の中に生まれ始めていた。


「まあ、なんにせよ、これから先は面白くなるだろうな。」


 俺は小さく呟き、夜空を見つめる目に自然と期待の色が浮かんでいた。


 頭の中でこれからの未来についてぼんやりと思いを巡らせていたその時——ふと、視界の端に何かが光るのを感じた。


 視線を落として確認すると、どうやらシステムのタスク欄が一瞬だけ光を放ったようだった。新しいタスクが更新されたらしい。


 だが、それを見ても俺は特に気に留めなかった。


 今の俺には、もうタスクの報酬に頼って資源や装備を手に入れる必要なんて一切ない。


「まあ、放っておけばいいか。」


 俺は軽く手を振り、UI画面を閉じた。画面が消え、目の前に広がるのは相変わらずの星空だった。


 満天の星々が静かに輝き、冷たい夜風が頬を撫でる。世界は変わらず静かで穏やかだ。そして、俺の心の中もどこか同じように落ち着いていた。


 未来がどうなるかはまだわからない。でも、それがどんな形になるとしても、今の俺には十分すぎる力がある。そしてその力をどう使うかは、これからの俺次第だ。


 一晩中、俺は屋根の上に座ったまま星を眺めていた。結局一睡もせずに朝を迎えたが、不思議と心は穏やかで、むしろ爽快感さえ感じていた。


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