後編 「私と塗絵くん」終わりの始まり
気持ち悪い。
どうして世界で一番大好きな塗絵にこんなことを言わなきゃいけないのか、自分でもよく分からない。少し伸びた爪が悔恨のあまり、手のひらに刺さる。それでもまぎれないこの感情のせいで、俺は塗絵の顔が見れない。
今度こそ嫌われるんじゃないか。
俺にこんなことをさせていったい何を——。
「じゃあ、行こっか」
俺の被害妄想を吹き飛ばした塗絵の声は子供っぽく、無邪気さを感じた。
俺は少し安堵し、そして戦慄した。
やっぱり俺は塗絵のことを何も分かっていない。
そんな俺の葛藤を毛ほども興味がないように、握りしめられた俺の手を上からそっと包み、すたすたと歩きだす。どんな風に塗絵と顔を合わせればいいのか、そんなことを考える隙も与えず、塗絵が俺の顔を覗き込む。
「ありがとっ、大好きっ!」
満面の笑顔だった。
あぁ、塗絵はこんなにも素敵に笑えるんだなと、顔がほころんでしまう。
きっとこんな顔を見られるのは俺しかいない。
俺だけが塗絵の欲しい言葉をかけてあげられる。
こんなこと誰ができる? 俺しかできない。
そう思うと、気持ち悪い心がほんのり和らいだ気がした。
その瞬間、塗絵の男っぽくてほんのり冷たい手に意識が飛び、身体中が熱を帯びだす。それに加えて心臓の鼓動も早くなっていき、別の何かがこみ上げてくる。
「私のためだもんね。それじゃあご褒美に、私が何かしてあげるべきかな?」
大学の西門を超えたあたりから、どんどん距離が近くなっているせいか、耳元で囁く塗絵はしっとり汗ばんできている。
手をつないで、恋人つなぎをして、今はがっちりと腕をホールドされている。見た目からは分からないがっちりとした筋肉が俺を完全に捕らえている。
微かにシトラスの香りが鼻孔をくすぐると、俺の高揚感は頂点に達した。
塗絵から、もう離れられない。
そんなことを思考に入れた時点で、俺の頭はショート寸前だ。
『何かしてあげる』それなら、と自分の思いついた欲望をそのまま口に出した。
「ねぇ、私が一年前に言ったこと覚えてる?」
私が塗絵にそう聞くと、腕にさらなる圧力が加えられる。筋繊維たちが初めて受ける刺激に少しばかり悲鳴を上げる。
「口調、戻ってるよ」
抑揚のない平坦な発声に、私の血の気が引く。熱を帯びたり、急激に冷めたり、私の身体は大忙しだ。
落ち着いて話そう、すべての努力が泡となるかもしれないのだから。
「……なぁ、俺が一年前に言ったこと覚えてる?」
「もちろん」
塗絵の声がもとに戻る。可愛い女の子の声だ。
「それじゃあ、一年間塗絵の言うこと聞いたんだからさ、私と! ——俺と! 付き合ってください」
最後の言葉は、少し周りの人を考慮して小さくなってしまった。
それでも、私はようやく言えたんだ。
塗絵くんのお願いをちゃんと果たすことができた。これでようやく私の思いは成就する。私が彼にどう思われてもかまわない。だって付き合えるんだから。
「ふふっ」
私の真剣な顔に何かゴミでもついていたのか、彼は吹き出すように笑った。
「それって女の子として? それとも男として?」
……まただ。私はこの顔を何度も見たことがある。
だからこそ、ここで何を言うべきかも分かっている。
「もちろん、男として」
神は私に、すごい贈り物をくれたと思う。
「えー私のことが好きなの? それとも僕のことが好きなの?」
あざとく上目遣いして、本当に可愛い。
「塗絵が好きなの」
ダメだ、今すぐ塗絵くんをめちゃくちゃにしたい。
「はい、じゃあ僕のモノね。決定」
そして、私は大学を辞めた。
はい、じゃあ私のモノね。確定。
好きな人に一年前の告白をお預けされたので理想的な男になりました 猫白狗狼 @midori3101
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます