第4話 新入生の手引き
入学式が終わった後は、夜の
漢字で書くと「幸」ではなく「雪」の雪村さんとは、夕方に落ち合う約束をした。なんでも社交上の理由から午後には予定があるそうだ。
雪村さんと話していて出遅れてしまい、大講堂の周辺には誰もいなくなっていた。しまった、ほかの新入生について行こうと思ったのに。
俺は『新入生の手引き』を開いた。スコーラ先生の冗談に驚いたものの、方向感覚は優れている。前世の仕事柄、初めての場所に行くことがよくあった。俺は地図の読める男なのだ。
……迷った。どこだ、ここ?
気づいたら森にいた。先ほどまで石畳の上を歩いていたはずなのに。そもそも学園は敷地が無駄に広く、広い敷地にぽつぽつと建物が点在している。その間を埋めるのは石畳の道と木立だ。うっかり道を外れて木立に足を踏み入れたのならわかる。新入生丸出しで『新入生の手引き』を開きながら歩いていた。だが、どう見てもここは森なのだ。左右を見ても、前後を見ても木しか見えない。頭上を見ると緑色の洪水に吸い込まれそうだった。
学園の全体図には、東側に「森」という記載がある。詳細はない。俺が目指す学生寮は学園の北東に位置しているので、ここからまっすぐ北を目指せばいい。問題は北がどちらなのかわからないことだ。俺の乏しいサバイバル知識が、年輪を見れば方角が分かると告げるが、切り株なんて都合よくあるはずもない。切り株をこしらえる技能もない。森林破壊を目論む前に校舎の尖塔を探す。大講堂に行く時も見えていたから、目印になるだろう。遠回りになるかもしれないが、それがこの迷子から抜け出す近道になるはずだ。
「まだ森? なぜだ!」
かれこれ三十分ほど歩いたというのに森を抜ける気配がない。校舎の尖塔も三十分前から同じ大きさに見える。人の笑い声が聞こえるから、なにかしらの建物は近いと思うんだが……。
歩き続けて暑くなってきた。休憩がてら上着を脱ぎ、丸めて枕にして寝転がる。
「あぁ、腹減った」
『いたずらがすぎたようですよ』
人の声が降ってきた。俺は急いで起き上がり、目の前に見えた服の裾をつかんだ。現れた天の助け、逃してなるものか。
動きがないので見上げると、相手は謎の現象に突入していた。入学式で見かけた光る教師のうちのひとりだ。分類するならキレイなお兄さん、というころか。薬草学か校医が似合いそうな人である。灰白色のローブが白衣を連想させた。
裾から手を離し、上着を羽織りながら立ち上がる。頭の中で「キラキラした人と関わるのは危険」と警報が鳴り響くが、俺は迷子だった。道を聞かないうちには、この場を去ることができない。仕方なく相手が動き出すのを待つ。
「すみません、先生。寮はどっちですか?」
キラキラが収まったころを見計らい訊ねる。先生は俺を下から上へ、しげしげと眺めたあと「ふふふ」と笑った。
「ずいぶんと気に入られたようですね」
そう言って指をパチンと鳴らす。先ほどまでかすかに聞こえてきた笑い声が、途端に大きくなった。
『も~っ、まだ遊んでたかったのにぃ~』
『クスクス、でも楽しかった~』
『ごめんなさい』
見ると三人の妖精が先生の周りを飛んでいた。転生してから何種類かの妖精に出会ってきたが、飛ぶ種類は初めてである。背中に生えているのは蝶のような美しい羽ではなく、キャラクターとして描かれるようなミツバチの丸っこいそれだった。ティンカーベル的な妖精とは程遠く、全体のフォルムもでっぷりとしていた。くるくると三人で位置を変えながら飛ぶ姿は、まるでお手玉みたいだ。
「もしかして俺、こいつら迷わされていたんですか?」
「ええ。妖精たちが迷うあなたを見て、ずいぶんとはしゃいでいました」
妖精がいたずら好きなのは、この世界でも共通である。俺が指を差すと三人は俺の元へとやってきた。順番に指を手に取り、上下にブンブンと振る。握手のつもりかな? 兄弟なのか姉妹なのか不明だが、三人は血縁関係らしく、非常によく似た顔立ちをしていた。同じ服を着ていたら見分けがつかないだろう。
「笑われていた、の間違いじゃないですかね」
三人の妖精は鈴を転がすような笑い声をあげながら姿を消した。先生が微笑む。
「ここは妖精の森とも呼ばれていまして、彼らの生息地の一つなんです。来月までは、不運な一年生が何人か出てくるでしょう」
「俺はさしずめ、今年度の不運第一号ですね」
妖精たちの住処なら、森林破壊を目論んだほうが早く森を抜けられたかもしれない。先生は俺の背後に回り、肩に両手を置いた。輝きがこぼれる。
「もう大丈夫だと思いますが、念のため守護の術をかけておきましょう。まっすぐ進めば、寮に向かう道に出ます」
「ありがとうございます」
遠くで『また遊ぼうね』と妖精たちの声が聞こえた。
地図の縮尺が間違っているのか、それとも単に学園が広すぎるのか。森を抜けたはずが、寮にたどりつく気配はなかった。寮に到着していないということは、俺を待ちかねているはずの軽食にも出会えていないということだ。
「はぁ、遠い」
思わずついた嘆息を、誰かが拾い上げた。
「おや、悩み事かい? 子・猫・ち・ゃ・ん?」
近くに人がいたことにも驚いたが、それ以上の衝撃が俺の体を駆け抜けた。はたから見れば、今の俺は猫っぽく見えたかもしれない。尻尾を踏まれ、全身の毛を逆立てている
あれに関わったら、俺の精神は五分と持たずに崩壊するだろう。
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