【臨月に書いた文章】呪い、祝い、生きていくのではなく

柳なつき

だからずっと消えないかなしみを

 私は結婚、妊娠、出産を経て、初めて世間の「標準」に載った。この「標準」という表現は多くの問題を孕んでいるが、その上で、そう思う。

 25歳で結婚、29歳で第一子を出産、31歳で第二子を出産。結婚が若干早く、結婚から出産までに少し間があるが、それにしても可笑しくなるほどに「平均値」だ。


 私はずっと外れてきた。中学も高校も不登校で、大学も中退した。その他の個人的な事情も「普通」とはかけ離れていた。いまでも「普通」の呪いに苦しんでいる。


 しかし、今度は私が「普通」になってしまったのだ。私が呪いをかけ得る側になってしまった。


 外れてきたことも、こうなってしまえばほとんど「関係のない」ものとなる。「昔、多少の苦労はあったかもしれないけれど、お母さんになったのだから頑張らなくてはね」という、ただそれだけのひとになる。


 この違和感。砂を噛んだような違和感。


 普通と呼ばれるあかるい世界に来てみて感じたのは、それでも、苦しみも切なさも消えないということだ。むしろ、押し込められるぶん窮屈になったかもしれない。


 たとえば苦しいほど子どもを望んでいるひとから見れば、マタニティマークをつけて歩く私はある種の特権階級かもしれない。


 けれど、私もほしかったものがある。「普通」の、いろんなものがほしかった。いまだに諦めきれていない。手が届かない。手が届かなかったし、もうどうしようもないのだけれど、ずっとずっとわだかまっているものがある。


 マタニティマークをつけて歩く私は誰かのもっている「普通」がずっとほしい人生で、ついでに言うなら妊娠して自分の仕事や人生やプライベートもままならなくなっている。


 向こう側にあるもの。手が届かなかったもの。

 手に入れたもの。「普通」であること。

 「普通」のなかにも存在する苦しみ。


 自分にあるもの、ないもの、他者にあるもの、ないものを。

 呪い、祝い、生きていく。それが世の常なのかもしれない。

 しかし、そうではない生き方があるならば。そうではない社会が、世界が、あるならば。


 手に入れらなかったものがある。手に入れられなかったことがある。

 だからずっと消えないかなしみを、そのまま受け止めることのできる世界であってほしい。

 だから私も、他人のかなしみを受け止められるようになりたい。たとえ、自分にとって酷く眩しく痛くとも。

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