第2話 幼馴染は奥手

「……亜希さんやい」

「なに?」

「なんか遠くないっすか……?」


 学校も終わり、正門を潜った俺と亜希は街へと向かう道を歩いている。……のだが、俺達の間にはあからさまな人一人分の隙間が空いていた。


(……もしかして噂はただの噂だったのか……?)


「別に?いつもの距離感だけど?」

「いや絶対違うって!普段からこんな距離離されることないよ!?」

「……なに?もしかして私に近づいてほしいの?」


 顰蹙の瞳が俺の顔を貫く。

 横目だというのにも関わらず、その瞳に宿る圧と言ったらどの先生よりも怖く、どんな動物よりも怖い。


 どうして幼馴染の睨みを怖いと思ってしまうのかなんて、言わずとも分かるだろう。


 ――亜希のことが好きだから。


 好きな人に睨まれて怖いと思わない男なんているか?

 嫌われるかもしれないという恐怖に怯えない男がいると思うか?


 否!絶対いない!


「い、いきなり黙ってどうしたの?私の顔になんか付いてる……?」

「ちょっと考え事をねぇ。あっ、ちなみにさっきの質問だけどもっと近づいてほしい」

「…………そっ」


 突然ふいっと顔を逸らす亜希。

 はたして照れ隠しでもしてるのだろうか?はたまた俺の言葉が気持ち悪かったのだろうか?


(多分前者だろう)


 前も見ることなく、ノールックで俺との距離を縮めてくる亜希は意味もなく肩にあるバッグをかけ直し、咳払いをした。


「それで?私に近づいてほしい明確な理由は?」

「理由?そんなのないけど」

「……体温を感じたいとか温まりたいとかなにかないの……?」

「いまもう7月前半だぞ?さすがに温まりたいとかはないけど……」

「……あっそ」


 見るからに機嫌を悪くする亜希は、またもや意味もなくバッグをかけ直す。


 一体亜希はなにを言いたかったのだろうか?

 そんな疑問が脳内で渦巻く俺は――


「あーそういうこと?」

「……どういうこと?」


 つまるところ、亜希は俺と手を繋ぎたかったんだと思う。


 小説だとか漫画でよくある『寒いから手繋いで温めてあげる〜』を想像してくれたら分かりやすいだろう。


 頭が働く亜希のことだ。

 最初から俺との距離を離すことによって、俺が『手を繋ぎたい』と言い出すのを待っていたということ……!


「もしかしたら手寒いかもな?」

「な、なにいきなり……」

「亜希の言う通り温まろうかなぁってさ」

「…………もうダメですよーだ」

「え、?」


 亜希の不服に満ちた声と俺の腑抜けた声が歩道に落ちる。


 そうして亜希が目を向けたのは、対面から歩いてくる同じクラスの2人組の生徒たち。


「あーそういうこと?」


 再度その言葉を漏らした俺は唇を尖らせた亜希を見下ろし、そして対面の女子に目を向けた。


「……なにに納得したの?」

「ん?俺を温めるために亜希はどんなことをするのかなぁって」

「それ気になるんだ」

「亜希のことだからな。とんでもない発明品を手渡してくれるんじゃないかなと思ってさ」

「……わたしのことなんだと思ってるの?」

「エジソンの生まれ変わり」

「残念ながら私は発明家じゃなくてもっと原始的な人です」

「原始的?」


 いつの間にか元通りになった唇がこちらを向く。

 俺がだということも知らずに。


「……それ以上は言わない」

「え、なんで」


 不意に怪訝な顔を逸らし、かと思えばクラスメイトの女子2人にほほ笑みを浮かべた。


 ……もしかしたら俺の思惑が筒抜けなのかもしれない。

 だっておかしいだろう?あそこまで促しても言い淀み、俺には絶対に向けないであろうほほ笑みを他の人には見せる。


「ありゃありゃ?お2人さんお熱いねぇ〜?」

「別にそういうんじゃないんだけど……」

「えぇ?亜希ちゃんって――」

「ストップ!まだ結糸にはバレてないから!」

「……亜希ちゃんって頭でっかちだよね」

「え?頭でっかち?」


 隣からはやんややんやといろんな言葉が聞こえるが、俺の思考はそんなものに構ってる暇はない。


 だってさっきの亜希は『俺の策には絶対にハマりませんよ〜』って言いたげな仕草をしてた!


 俺なりにかなり良い感じに状況を促せていたはずなのに、亜希は尽く折ってきやがる!!


(クソう!これだから天才は!!)


「もっと篠原しのはらくんにアタックしてみたら?」

「それね!亜希ちゃんの顔と性格なら篠原くんなんてイチコロだよ?」

「……私なりにアタックしてるつもりなんだけどね……?」

「じゃあもう告白まで行っちゃえば?」

「――っ!?ま、まだ!まだそこまではできない!!というか結糸の横でこんな話しないで!?」

「わー!天才が照れた〜!」

「逃げろ逃げろ〜!」


 突然俺の名前が呼ばれたかと思えば、なぜか2人の生徒は亜希から逃げていく。

 ……なぜか楽しそうに。


「……なにがあった……?」

「なんでもない!」

「叫んどいて……?」

「私だって声を張ることぐらいあります!ほら早く行くよ!」

「わ、分かり……ました?」


 見るからに頬を赤くしている亜希は勢いよく俺から顔を逸らして前を歩きだす。


 あの2人が亜希になにを言ったのかは分からん。

 けれど良いものが見れたことに何ら変わりはない!


「……あんまり見ないでくれる?後頭部に視線が突き刺さりまくりなんだけど……」

「だって亜希の赤面だよ?金輪際拝めることができないかもなんだし、目に焼き付けときたいじゃん」

「……やめて。私の赤面は付き合ってから見せるって決めてるの」

「どんな決め事?っていうかここ最近は亜希の赤面は結構見るけど……」

「じゃあ拝まなくてもいいじゃん……!」

「それとこれとは別々だからさ」

「いっしょです!」


 いつになく張り上げる声は後頭部越しでも照れてるのがよく分かる。


 猿も木から落ちるとはこのことだろう。

 どうやら常日頃からツンで過ごしている亜希でも、照れる時は照れるらしい。


 その勢いに任せて告白してくれたら嬉しいんだけどな……!


 カバンで顔を隠す亜希の後ろ姿に眉根を立てる俺は、突然こちらを振り返る亜希と目が合う。


「な、なに……?結糸が睨みを浮かべるなんて珍しい……」

「亜希のマネ」

「……幼馴染のことバカにしてるの?」

「べっつに〜?」

「あーあ、そんなこと言っちゃって良いんだ。折角ボールペン買ってあげようと思ったのにな」

「え!まじ!?」

「……現金な男ね」


 俺の食いつきが想像以上だったからだっただろう。

 苦笑を浮かべる亜希は小さくため息を吐き、


「……じゃ、じゃあ明日も一緒に帰ってくれる……?」

「もちろん!なんなら明後日も明々後日も!」

「やっ――じゃなくて、当たり前よね」


 一瞬握りかけたあの拳は見間違いなんかではないのだろう。

 けれど特に深堀りする気はない俺は視線を亜希の目に戻して素直な疑問をぶつける。


「当たり前……なのか?」

「当たり前でしょ。だって幼馴染だよ?」

「俺の身近には幼馴染だけど険悪なやつがいるけど……」

「よそはよそ。うちはうちよ」

「なるほど……」


 些かゴリ押しが過ぎるとは思うが……まぁ、良しとしよう。


 先ほどまでの赤面なんてどこに行ったのやら。

 心底満足そうに焦げ茶の髪を靡かせる亜希はスキップでも踏むかのような足取りで隣に並ぶ。


 この数分で色々考えたが、多分あの『噂』になんら間違いはないのだろう。

 けれど多分……というか絶対に亜希は奥手だ!


 亜希もそうかもしれないけど、俺だって『早く告白してこ〜い』ってな感じで相当アプローチしてるはずだぞ?


 それなのに亜希といったら俺の好意に気づくどころか、アプローチにすら気づいていないと来た。


(天才なんだったら気付けっての……!俺ですら気づいてるんだぞ!?)


 俺の幼馴染が鈍感なのは


 というのも、俺が授業中眠たくなったりすると、亜希は机に突っ伏す前に蹴りを入れてくる。


 勉強がわからない時もそう。どこが分からないかを的確に当て、言葉なしに教えてくれる。


 どうしてそんなやつが鈍感で奥手なのか。

 ……理由なんてひとつしかないじゃないか……!


(亜希の恋愛経験が皆無だからだよ……!)


 俺とて恋愛経験が豊富かと言われればそこまでではない。

 でも、小説だとか漫画でそれ相応の知識は付けているし、友人の恋愛話もよく聞く。


 亜希だって俺の部屋に入り浸っているのだから同じ本を読んでるはずだし、恋愛話も聞くはずだ。


 なのにも関わらず鈍感なのは、これも天性の才能なのだろう。


「ほらついたよ――ってなんで渋い顔してるの……」

「ちょっと考え事をな……」

「また?解決しないことならいつでも頼って良いんだからね?」

「ありがとうだけど、今は大丈夫かな?」

「……そう」


 どことなく不服気に頬を膨らませた亜希は未だに目を伏せている俺を一瞥し、文房具屋へと入っていった。

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