第3話 たぬきの寝入り

 ぷにぷにと音が鳴っているように聞こえるのは己の頬が突かれているからだろう。


「ふふっ、可愛い」


 耳元から聞こえるのはの天才な幼馴染の声。


「……スー」


 そんな幼馴染の声に答えるように響かせるのは、たぬきの寝入り。


 さて、どうしてこんな状況になったのかを簡単に説明しよう。


 ――時間は遡ってつい5分前。


 多分、これからよくないことが起きるという予感が活性化させたのだろう。

 突然開かれた扉の音に反応して俺の目は覚めた。


「亜希ちゃんのご飯も作っておくから結糸のこと起こしててくれない?」

「わ、私がですか……?」


 開かれた扉から聞こえてくるのは母さんと亜希の声。


「中学の頃はよく起こしに来てたじゃない。あの時と同じように頼むわねぇ」

「わ、わかりました……」


 俺の目は覚めたけど、開いたとは言っていない。

 ……つまり、俺はこの瞬間からたぬきの寝入りを披露しているというわけだ。


「あっ、10分以内に頼むわね〜」

「……はい」


 俺達の気なんて知らない母さんは扉を閉めながら紡ぎ、亜希の返事とともにその扉は完全に閉じられた。


 もしここで俺が起きていればあんな事にはならなかったのだと思う。

 ……でも、気になるじゃないか。


 俺を起こすわけでもなく、母さんが階段を降りたことを確認した亜希はカバンを置いたのだから。


「結糸?起きてる?」

「……」

「ほんとに起きてない?」

「……スー」

「よし」


 やっぱりこの天才亜希は恋愛事情を割り込ませた途端鈍感になる。


 なんでだ?という疑問も浮かぶが、今はそれどころじゃない。

 隣に腰を下ろした美結はベッドに肘をついた。


「ここ最近結糸の寝顔見れてなかったからかな……。ちょっと新鮮」


 耳元で好きな人に囁かれたからだろう。

 全身に躍り出てくる鳥肌は危うく目を開かせようとした。


「本当は直接こんな事言いたいんだけど……恥ずかしさで死んじゃうかも……」


(もう直接言ってますけどね!?)


 なんていうツッコミは口の中で閉じ込め、咀嚼する。


 もしここで俺が目を覚ませばどんな反応をするのかは気になる。

 気になるが……もうちょっと見てみたいという自分がいる。


「ねぇ結糸?いつも頼ってくれてる私が変な女の子だったら嫌いになる?」

「……スー」

「ふふっ、寝息で否定してるの?可愛い」


 どうして否定してるのは分かって他がわからないのか。


 目を閉じてても分かるほどに頬を緩ませる亜希はチョンっと俺の肩に人差し指を当てた。


 一瞬飛び跳ねそうになった心臓と肩を押し殺しながら自然に目を閉じる。


「……起きてないよね?」


 今更だろという言葉が耳に届くが、慎重な亜希は念入りに仕上げたかったのだろう。


 俺から言葉が返ってこないことに小さく息を吐いた亜希は「よかった」と言葉を漏らし――肩にあった指を頬に当てた。


「え……?いま跳ねた……?」

「……スー」

「ほんとに寝てる?それともただのジャーキング?」

「……スー」

「ここまでして起きないのなら寝てるのかな……。というか寝ててくれないと困るし……」


 ホッと安堵の息を漏らす亜希だけれど、頬にある指を退けるつもりはないらしい。


「……起きないでくださいお願いします……」


 そう念じる亜希の指は、まるでズブズブと音を立てるように俺の頬へと埋まっていく。


(……起きれねぇ……)


 なんとなく分かる。

 もしここで俺が目を覚ましてしまえば、亜希は恥ずかしさから数日間口を利いてくれなくなる。


 それどころかもしかしたら『たぬきの寝入りしてたの?サイテー』と言われて嫌われるかもしれない。


(……よし、タイミングが良くなるまでたぬきの寝入りを続けよう)


 グッと亜希には見えない拳を握りしめた俺は、されるがままの頬に感覚を研ぎ澄ませる。


「ふふっ、可愛い」


 ――そうして今に戻る。


 どうやら俺の幼馴染は、俺の意識がなければ存分にデレるらしい。

 俺の目的とは程遠い気もするが、これはこれでありなのかもしれない。


「小さい頃から結糸のほっぺたはほんと柔らかいね」


 いつものツンとした亜希なんて想像もつかないそんな言葉が口から飛び出す。

 俺の意識がはっきりあるということも知らずに。


 ――ぷにぷに


「「……」」


 ――ぷにぷにぷに


「「……」」


 ――ぷにぷにぷにぷに


(寝てるとはいえ、ちょっとやり過ぎではないのだろうか?)


 というか若干頬が痛いからやめてほしい気持ちすら湧いている。


「あ、ごめん……嫌だった……?」


 果たしてその言葉は俺が寝返りを打ったから発せられたものなのか。はたまた俺が起きてることを知っているからだろうか。


 ……まぁ、前者だろう。

 背中側にいる亜希はあからさまな申し訳無さそうな声とともに腰を上げた。


「……そろそろ起こそっかな」


 その言葉から感じられるのはまだ飽きたらないと言わんばかりの声色。


 寝返りを打たなければもっとしていたのだろうか?なんて疑問が脳裏を過る中、亜希はベッドに膝をついて俺の肩を握った。


「ほら起きて?朝だよ」

「……ん」


 揺すられる中、寝起きだと言わんばかりの声を上げてやれば「もう……」という言葉が降り注がれる。


「私が来なかったら遅刻してたよ?ほら、有美あみさんがご飯も作ってるらしいから行くよ?」

「……おう……」


 自分で言うのもなんだが、名演技だと思う。

 バカはバカなりにバカを隠すために演技を鍛える。

 それが功を奏し、今こうして亜希を騙せているというわけだ。


「返事ばかりで起き上がらないじゃん……」

「布団が離してくれないんだよ……。相思相愛だからいいんだけどさ……」

「バカなこと言ってないで早く起きなっ、さい!」


 言葉を区切ったかと思えば、肩から手を離して勢いよく布団を捲り上げる亜希。


 チラッと横目に見える膨らんだ頬を見るに、『相思相愛』という言葉に嫉妬でもしてるんだろうか?


(……布団に?)


 思わず苦笑を浮かべてしまう俺はやおらに目を開き、亜希に向けた。


「……なに笑ってるの」

「いんや別に。それよりもおはよう」

「気になるけど……まぁいいわ。おはよ」


 顰蹙を向ける亜希だが、すぐに眉を戻して布団を折りたたみ始める。


 ……さっき俺はバカはバカなりにバカを隠すために演技を鍛えると言ったな?

 どうやらそれは天才も同じようだ。


 己の『変な女の子』を隠すために相当な演技の鍛錬を積んできたのだろう。

 というか顔に出なさ過ぎだろ……!さっきまでふにゃふにゃだっただろ!?


「な、なに?私の顔になにか付いてる?」

「なんか頬に違和感があるなって思ってさ……。なんかした?」

「別に?自分で引っ張ったんじゃない?」

「……自分で、ねぇ……」


 含みの帯びた言葉を返してもなお悠然としている亜希を見ながら体を起こす俺は、大きく伸びを披露した。


「それよりも久しぶりにこんなに寝たんじゃない?」


 そんな俺を横目に布団を置いた亜希は苦笑を浮かべながら紡ぐ。


「どうやら俺も疲れてるみたいだな……。ってことでおやすみ――」

「疲れてるのは分かったから学校の準備しますよー」


 布団を握ろうとするために先手を打った俺の手よりも遅くに放たれたはずの亜希の手が布団を掴み、座ってる俺では届かない高さに持ち上げてしまった。


「……分かったよ」


 ジト目を向けながらも腰を持ち上げた俺は寝癖を治すわけでもなく、タンスへと向かった。


 今日、久しぶりに俺は遅くに起きた。

 別に亜希のデレを見たかったとか、亜希が来ることを知っていたからわざと遅くまで寝ていた訳では無い。


 ……ただシンプルに目覚ましをかけ忘れただけだ。


 もちろん亜希にそんなことを言えば『バカなの?』と罵られることが目に見えている。

 というか昔言われた。


 それ以来俺は毎朝目覚ましをかけ、亜希がうちに迎えに来る前に支度をして一緒に登校する日々を過ごしていたのだが……うん。

 遅く起きるのも悪くないかもな?


「……結糸?変な企み考えてないでしょうね」

「ん?なんのことだ?」

「はぐらかすならもっと分かりにくくはぐらかしなさいよ……。次目覚ましかけなかったら置いていくからね」

「…………やっぱ亜希って超能力者だよな」

「結糸は分かりやすいの。というか幼馴染だからなんとなく分かるの」

「……ほーん」


 なんとなく分かると言うのなら今すぐにでも俺の感情に気づいて告白してきてほしいものなのだがな?


 そんな細める俺の目から逃げるように布団をベッドに戻した亜希はカバンを握る。


「それじゃあ先に下降りとくね?」

「あいよ」

「……これで寝たら許さないから」

「寝ねーよ!」


 途端に放たれる睨みに対してシャツを握りながら叫びに近い声を返す。

 さすれば『冗談』と言いたげに微笑を浮かべた亜希は扉を開き、


「ならよかった」


 そんな言葉を残して部屋を後にした。


「……このギャップはいつになっても慣れる気がしねぇ……」


 シャツを片手に項垂れる俺なんて亜希は知らないのだろう。

 階段の音を耳に入れながら上着を脱いだ俺は、腰を落としたまま着替え始めた。

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