もし、変えられるなら……

 灯りもついていない薄暗い一室。一人暮らしにしては随分と広すぎる家に男と彼女はいた。

 

 木頭きとう春馬はるま。人工知能開発の最先端にして、世界一の頭脳と呼ばれる春馬の左手には彼とは程遠い物体が握られている。

 

 小型拳銃。自宅をアメリカに構える春馬にとって、いつ命を落とすかわからない。そのための護身用のつもりだったが、今に至るまで状況が変わってしまった。黒く塗装された戦争道具に慣れない感触を抱きながら、世に蔓延る兵士の心内が薄々と察しがつく。

 

 震えが止まらないといった具合に足をガクつかせ、それでも拳銃は決して離さず、春馬は彼女の眉間に照準を合わせた。


「やっぱり、こうなるんですね」

「…ああ」

 

 声が震える。自分はこんな事をするために、今まで頑張ってきたわけじゃない。これほどまでに苦しい気持ちを味わうくらいなら、最初からこの道を突き進むことはしなかった。


―――どうしてだろうな…。

 

 高校の時、付き合っていた幼馴染が死んだ。胸が締め付けられる苦難と失望感を同時に味わった。数週間、数ヶ月は何もする気が起きないまま現実を受け止められず、ぼーと部屋に閉じこもった。

 

 そんな春馬が奮い立ったのは、大学生の頃だっただろうか。ぼんやりと高校に通い、成績だけは落とさず指定校推薦で理系大学に進学した春馬にとって、大学で研究していたテーマは奇跡の象徴だった。

 人間の範疇を越えるかの如く発展するAI。もう既に人類に手が触れる寸前まで開発が進み、徐々に仕事風景を移り変わりつつあった。

 

 けれどたった一つ、AIが人類に踏み込めない唯一の弱点。それは所詮人工知能が、データをかき集めた過去の収集の産物でしかないということ。

 

 故に、大学の研究テーマは春馬の目を引くものだった。


 「人間に近しい人口AIを作ること。それが長きにわたる俺の夢だった。だから人工知能を研究に改良を重ね、AIではなく、完全な人間の頭脳を作ったんだ」

 

 銃口を向けながら、春馬は目を細める。目前にいるそれは、紛れもなく女。人間の骨格を基礎に編み出した人型人工知能。そう言われて、信じる人間の方が少ない気がした。

 

 ぱっと見、年齢は17歳程度。モデルは亡くなった恋人だった。彼女に会いたい、もう一度話がしたいという願望を秘めたまま制作した人型ロボットだった。


「こうなることは、分かってました?」

「分かってたら、こんなことはしない!」

 

 声を荒げ激しく怒りをぶつける。吐き捨てた言葉通り、春馬には現事態を想定できなかった。人の持つ、発想力や想像力を手にいてた機械がどのような道を下るのか。


「お前は、世界にとって一つの生命体なんだ。機械が思考を持つということは、機械が人間になるということ。それを分かっていたはずなのに…、俺はー!」

 

 ただ、亡き恋人に会いたいという思いだけで目の前の彼女を作ってはいけなかった。

 彼女という存在が世界にバレた今、無数の組織から彼女が狙われる。いや、既に狙われているのだ。


「俺がこの手で君を殺す。そうすれば、君の存在が敵に渡ることはない」

「…でも、連中が欲しいのは私よりあなただと思いますよ。あなたがいればいくらでも私のような存在が作れるんですから」

 

 そう言って、さも当たり前な疑問を提唱する彼女。対する春馬の答えはシンプルだった。


「そんなことは分かってる。君を殺した後、俺は………死ぬつもりだ」

「だめです! そんなことしたらー」

「うるさい‼︎」


 途端に大きくなる声量を春馬は追い重ねるよう黙らせる。反論する彼女をゆっくりと落ち着かせて。


「俺はもう疲れたんだ。もう長い間、あいつのいない生活が続いてる。でもな、たとえどれだけ研究に没頭しても頭の片隅でいつもあいつが邪魔してくるんだ。お前が完成してもそうだった! 結局は……、結局はお前とあいつは違う存在なんだって、理解したんだよ」

 

 どれほど恋人の情報を読み込ませようと。肝心なところは、どこかズレる。全くおんなじ人間をいつから作り出すなんて絶対に不可能だったのだ。


「お前を殺して、生きてまで重責を負うなんてまっぴらごめんだ」

「……そう、ですか」

「ああ、すまない」

 

 自分から作っといてなんて無責任だろうと、春馬は思った。自分ならこんな主人、絶対に嫌だと。

 けれども、銃を向けられる彼女の表情はどことなく微笑んでいた。


「……ねぇ、春馬さん。なら、最後に一つだけ言わせてください」

「……なんだ」

 

 殺される間際だというのに、彼女から悲壮感は感じられない。春馬がいかに理不尽な行いをぶつけているか、彼女は理解できているはず。


「私は、あなたのことが大好きです」

「ッ、…そう設計したの俺だからな」

「いいえ。これはあなたが導入した情報ではなく、私個人の感情です」

 

 端的に、それでいてはっきりとした言い回し。意思を持って、彼女は告げる。


「あなたの寂しさを埋めたかった。あなたとずっと暮らしたかった」

「……」

「私じゃあなたを幸せにできない。そんなこと、生み出された瞬間に分かりましたよ。でもね、私はあなたを誰よりも知っている。両親よりも、あなたの大好きな幼馴染よりも。あなたが私にくれたのは、身体や知能だけじゃない。人としての感情、心を、授かったから」

「―っ!」

 

 ブレる。意識が、動悸が揺れる。幼馴染を亡くしたあの日から、ずっと空白だと思っていた日々。

 だけど、それは彼女を作り出したことで少しは変わったのかもしれない。平凡で灰色な毎日に僅かな日差しを灯してくれたのかもしれない。


―――なんでだよ。なんで今更…後悔なんて…

 

 視界が歪む。大粒の涙を溢しながら、春馬は引き金に指を掛ける。

 

 時間がない、この部屋の安全が保障されるのはあと数分といったところ。それまでに決着を、自らの道を閉ざさなければならない。


―――本当に、これでいいのか。


「春馬さんって、この世に奇跡が存在すると思いますか?」

「……間違いなく存在しない」

「そう言うと思いました。私ね、あると思います。きっとどこかに眠っていると思うんです。春馬さんが愛してやまない恋人さんに会える方法が」

「…ッ」

「見つけてください。そして、生きて、彼女に会ってください。ロボットなんていう仮初の偽物なんかじゃなくて、本物の恋人に」

 

 そう言って、彼女はそれきり一ミリも動かなくなった。

 引き金を絞る。衝撃音と共に、硝煙の匂いが辺りを支配した。

 

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