5
一歩俺の部屋に入ると、彼はがらりと表情を変えた。さっきまでの影も感情もない微笑から、かったるそうな無表情に。そしてスニーカーを脱ぎ捨てると、俺の襟首を掴み、そのまま部屋に上がり込んでベッドに押し倒してきた。俺はそんな彼の豹変に、どこか安心している自分に気が付いていた。さっきの笑顔よりは、今の無表情の方がまだ、感情が読める気がする。彼はなにかに爪を立てて引き裂きたい気分で、その対象に俺を選んだのだろう。ずっと彼のことを見ていた、いたぶりやすいゲイの俺を。
彼が男を抱いたことがあるのかどうか、身体を重ねてもなお俺には分からなかった。その手際のよさには、過去の男が透けて見えるような気もしたけれど、ただ女をこなした結果そうなっているだけという可能性もあった。後になって、何度でも彼に、ホモと罵られるようになって、俺は彼が男を抱いたことはなかったのだろうと察するようになるのだけれど、少なくともはじめての夜には、俺は彼が男も抱けるタイプだということに、微かな喜びすら感じていたのだ。今思うと本当にバカみたいだけど、もしかしたら、俺が彼に少しでも好かれているのではないか、なんて、幸せな夢すらちらついた。俺は、男に抱かれたことはあっても、男に好かれたことはなかった。だからだろう。ただ彼が誰かを痛めつけたがっていることは薄々分かっていたのに、分からないふりをした。
彼とのセックスは、はじめのときから今と変わらない。疲れ切り、なにも考えられなくなるまで、だ。彼が俺から身体を離すと、しばらくぼんやり雨音を聞くような無言の間があった。俺も黙っていた。彼がなにかを言ってくれるのではないかと、わずかな希望にかけていた。そして、沈黙の後、彼は俺の髪に指をくぐらせた。それは、うっかり愛情を感じてしまいかねないような手触りで。
「一緒に死ぬか。」
はじめの夜も、確かに彼はそう言った。ほとんど聞き取れないような、微かな呟きで。多分彼は、俺にその言葉が聞こえていると思ってもいなかった。だから俺は、返事をするかどうか、迷った。物騒なその台詞に動じなかったのは、自分でもじっと刃物を手に鏡を見つめている夜があったからだと思う。だから、死はそう遠い世界の話でもなかった。
「うん。」
俺が迷いながらもそう答えたのは、恋をしていたからだと思う。認めないわけにもいかない。そのときにはもう俺は、どうしようもなく彼に恋をしていた。
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