OUT LIFE
冬になると冷たくて、風邪をひいてしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
頬が赤くなり、相対的に自分の体温が高くなる。でも感じるのは凍てつく寒さだけで、悴んでしまって思うように身体が動かない。
風邪の時の諸症状を連想し、やや気分が悪くなる。冬という単語だけでも熱っぽくなるのだから、私の中で冬と風邪という似ても似つかない二単語はイコールで結び付けられているのだろう。
病は気からというのは迷信だと思っていたが、この体験がある度にそうではないのかもしれないと思わされる。気や、悪いもの。そういったものが溜まって身体の不調を起こしているのではないか……と。
とはいえ、流石にそういったことはないだろう。病の大半は現代科学で解明されている。
恐らく未来ともなると不治の病などというものはなくなっているのだろう。皆が病を苦しまずに治し、健康長寿を維持できる社会が待っているのかもしれないと考えると、どうしても嬉しく思えた。
少なくとも、ばあちゃんがそこまで生きてくれればと願う。
ばあちゃんは俺の育て親みたいな存在だ。
父母は俺が幼稚園児の頃に死んだ。事故だったらしい。いつまでも帰ってこない父母への思いを墓前で散らしていた自分を優しく宥めてくれたのはばあちゃんだった。
そこから彼女に懐き――気がつけば養子として受け入れられていた。ばあちゃんも夫――俺のじいちゃんにあたる人物――を早々に亡くしていたから孤独だったのだと知ったのはだいぶ後のことだ。
ばあちゃんは賢かった。
色んなこと――決して学業のみではなく、それこそ家事や生活の知恵など――を知っていた。そして、それを俺に教えてくれた。
いつかは私も先に死ぬのだから、と言いながら。
恐らくは、俺もばあちゃんも孤独を恐れていた。
だから「自分が先に死ぬ」という言葉に申し訳なさを抱いたのだろう。俺なら間違いなくそうなる。自分だけが一抜けするなんて、残された側に失礼だって痛いほど思い知っているから。
だから、俺に生活の知恵を教えることで後悔の念を減らした。「今やれることをやっているのだ」という思いで、後悔を押し潰していた。
とはいえ、病などは避けられないものだ。
あれは確か、俺が小学生の頃。風邪を拗らせてしまい、中々治らなかった頃の話。
ずっと布団の中で横になっている俺をばあちゃんはなんとも言えない目付きで眺めていた。
それはまるで亡き夫の死に際を眺めるような、はたまた「置いていかないで」と懇願するような、そんなものだった。
幼いながらに、並々ならぬ思いがあるだろうことを察知していたが、俺はまだ子供だったわけだ。大人と違って、やれることも限られている。
身の回りの世話すらできない。ばあちゃんが飯を作って持ってくる度に申し訳なさを感じる生活がしばらく続いた。
ある日のことだった。ばあちゃんが、塩水を持って部屋に入ってきた。
そのしわだらけの手にはボロっちい紙が握られていて、そこには「排」だか「滅」だかの物騒な文字が書かれていた。思わず不穏だと感じた。
そして、その紙に書かれているであろう経文のような――はたまた呪文のような――何かを唱えあげていった。間違いなく何か、よからぬ事が起きているのだと思った。
超自然的――もしくは呪術的──な行為による治療という、本来のばあちゃんであればやらないであろう行為をするということは相当参ってたんだろう。
でも俺はただ、不気味だと――これなら仏間に飾られている天狗の面の方がましだと――思いながら見てることしかできなかった。
そして何かを唱え終えたばあちゃんは、俺に塩水を飲ませた。それも、無理矢理だ。
とてつもなく濃くて、舌先が塩味でピリッと痺れるのを感じる。味蕾と舌の許容量を超えた味に痛みを覚えた。でも、飲み込んでしまった。
吐き出そうとしたのに飲み込むとは、人間はパニックになると思い通りの行動すらできなくなるというわけだ。喉をズルっとしたジェル状の何かが通り抜けていくのを漠然と体感していた。
そして暫くして、そのジェル状の何かが、つぶつぶを伴って口から排出された。吐き気が止まらなくなって吐いたら、くらげみたいなぶるぶるの何か――ゼラチン質で透明――と、それにまとわりついていた無数の黒くて小さな「卵」物体が視界に入る。
ふと、カエルのそれに似ていると思ってしまった。
その奇怪な光景に思わず笑ってしまった。恐らく訳がわかんなくなって、自分が壊れそうになって、そうなった自我を辛うじて留めおくために笑ったのだと、今になればそう思う。
そして、それ以降、俺は風邪を引くことがなくなった。でも、正確にはゼロになったわけじゃない。
風邪になりかけのタイミングでばあちゃんに頼んでまじないを掛けた塩水を飲むことで黒色の「卵」を吐き出し、治療していた。
どうにも、この「卵」が病の原因らしかった。でも違和感はあった。俺は健康で生命力に満ちているが、ばあちゃんがその儀式めいた何かを行う度に、見るからに衰えていた。
歯が抜け落ち、皺が増え、手足すらまともに動かせなくなっていくばあちゃんを見て思ったのは「ああ俺のせいなんだな」という淡白な感情だけ。ばあちゃんは病院に行って入院し――今に至るというわけだ。
これから、俺はばあちゃんに、俺にしたことと同じことをするつもりだ。塩水と呪文の書かれた紙は持った。あとは、素人の知識でどこまでやれるか。
どれだけの「卵」が出てくるか分からないけど、少なくとも助かるはずだ。
俺はどうなるか分かんないけど――まあ、ばあちゃんより先に死ねるならいいなって思う。
――今行くね。
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