人を憎むことは簡単ではないようだ。
島尾
魚屋の魚、マンション内の人間
この文章は2部構成です。
・第1部 魚屋にカネを払うかどうか迷った末に
・第2部 マンションで火災発生のもよう。そのとき俺は
第1部
12月27日の夜から12月29日の昼13時までの約40時間、私は憎悪にまみれていた。対象は、富裕層である。この世に存在する富裕層のすべてという訳ではない。ただ、①カネを何に使っているのか、②貯金にしては莫大すぎる過剰量のカネを一切使っていない可能性、この2つを考えると私は猛烈に憎悪の念が発現する。特に②は最低といえる。カネがないために死んでいく人々が多数いる一方で、何にも使われていない紙きれ同然のカネが金庫の奥の暗闇で眠っているかと思うと、腹の底から怒りの熱がこみ上げる。私が憎む富裕層は、①はどちらでもよいが②は必ず満たしている。逆に、①も②も満たしていない富裕層に対しては特に何とも思わない。
年末は全国で一斉に休暇となる。毎日のように仕事をしていると思しき富裕層の一団も、繁華街や各地の観光地に大挙として押し寄せる。まさに今日、29日の13時以降もそうだった。都心部のタリーズで本日のコーヒーをちびちびと飲みながら、私は先に書いた条件を満たしそうな富裕層らしき者どもを何人も見た。そのたびに、私の中に激しい憎悪の念が生まれ、それを抑えるための冷たい何かを自分で創出した。
そんな不安定な精神状態で、私は夕飯を買うために魚屋に立ち寄った。今日は魚1匹でも食べて風呂に入り、すぐに寝ようと思ったのである。市場の中には多数の魚屋が客取り合戦をやっていて、普段からうるさいのがさらにひどくなっていた。そういう店を避けて、最も奥にあった比較的静かな魚屋に立ち寄り、どの魚にしようか数分選んでいた。店員が「イカにしますか」と訊いた後、私は「いや、そこのソイです」と言った。しかし現金は150円しか持っていなかったのでキャッシュレス支払いが可能なのか尋ねた。店の人は、PayPayしか無理だという。そして、「今は混雑しているからクレジットカードも無理」と言った。なぜ混雑しているから無理なのか私には理解できない。実際は、カード会社に払う手数料とカード読み取りの機械に払わなければならない費用の両方を払いたくないのだろう。「いくらするのか」と問うと「1,500円」と答えた。腹が立っている状態で魚屋にケチ臭い対応をされたものの、私はソイを買うために「現金をおろしてくる」と無愛想に言い放ち、その場を後にした。しかし、ゆうちょ銀行のカードが財布になかったことに気づいた。それは家に置いてきたのだった。他の銀行には残高が1,000円もない。私は渋々30分かけて家に帰り、ゆうちょ銀行のカードを持って再び家を出た。その間じゅう、私は、迷っていた。なぜソイを購入しなければならないのか。もし購入したら、ソイの命が1,500円で取引されたことについて徹底的に論じる気でいた。(※)とうとうゆうちょ銀行に到着してATMにカードを挿入したとき、「硬貨の取り扱い不可」という文言が目に入った。残額は1,998円。あと2円足りなかった。試しに「2,000円」と入力して引き出そうと試みたが、エラーとなった。当たり前である。
お気づきだろうが、上の文章に(※)という記号を入れた。実はこのとき、一つの出来事が起きていた。そのことについて第2部で書こうと思う。
第2部
家を出てからマンションの建ち並ぶ「富裕層の巣窟」の脇を歩いて、普段は使わない「K1丁目店」という店舗のATMに到着。私は1,000円をおろして、もう1,000円引き出せないか試していた。ここで謝らねばならない。「2,000円」とは入力していなかったことを。
さて、その30分ほど前である。とあるマンションの火災報知器がけたたましく鳴っていたのは。何だろうと思って、ひとまずそのマンションの名前を確認。今はもう忘れたが、漢字10文字程度の怪しい施設名が書いてあった。関わるべきか否か、と逡巡し、あたりを見回し、誰もが無視して通り過ぎていくのを見て、私も「K1丁目店」へ足を向けた。その後、「1,000円」と入力してエラーメッセージが出、なんだかムカついて、私は「そうだ、魚屋に行かなければいいんだ。たかがそんなもんにお金を払う必要はない。確かに『戻る』と約束したが、その約束を果たせば、私の懐に残るカネは千の位が0になる。………行かない!」と決めた。市場には外国人富裕層もいた。わざわざあのうっとうしい汚濁的空間に身を戻し、ただでさえ落ち込んだ我が精神をさらに傷つけるのか。それはさすがにできないことだった。
それで、例のマンションの前を再び通ることにした私。報知器は相変わらずけたたましく鳴っていた。前と違っていた点は、4人か5人ほどの人々が何事かと確認し合っていたことだ。私はとっさに横にいた人Aに「これいつから鳴ってるんですか」と質問。「30分前くらい」と答えてくれた。上の文章の「30分前」はこの人の言葉に
その光景を見た結果、私が約40時間ずっと抱えていた精神的不安定の状態が霧散した。なぜか晴れやかである。そうして、自分が15分前に通報していれば良かったと後悔した。あのときは誰もが報知器の音を無視して通り過ぎ、自分もそうしたからだ。もしその間に人命が失われていたらと考えたら、勇気のない自分を恥じるほか無かった。だいたい、私はかつて警察に通報した過去がある。とある駅の駐車場から異音(クラクションの連続音)が鳴っていて、そこに停められていた車の中で人間がハンドルにうつ伏せ状態になって気絶しているのを目撃した。私は通報し、後にその人が無事であったことを警察に知らせてもらった。すなわち私は「通報ができる人間」なのである。なのに今回それをしなかったということは、間違いを犯したとしか言いようがない。結果的に私より勇敢な誰かが通報したが、その間に人命が失われていた可能性を否定できない。たとえ憎き富裕層あるいは怪し気な連中であろうとも、それが人であって且つ人命である限り、なにもかも忘れて消防に通報すべきだった。そういうふうに考えているときの私は、富裕層に対する憎悪など忘れ去っていた。私は人を助けようとしたと言い切れる。
*
人を憎むのは案外難しいということを、今日知った。それは多分、ずっと前に何回か経験して知ったはずのことだろうと思う。今回のような緊急時において、私の中には憎しみよりも先に立つものがあるということを再認識した。同時に、緊急時でなければ人を憎み、さらには自分自身が精神的不安定に陥ることをも確認した。
ここから浮かび上がる疑問は、こういう心理的変化が私個人だけでなく、多くの人々において成り立つのかどうかである。誰かへの憎しみが消える瞬間が人命の消失間際の窮状的土壇場だと仮定するならば、その人はその時、いったい何ができるのだろうか。
人を憎むことは簡単ではないようだ。 島尾 @shimaoshimao
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