第2話:人の顔と名前を覚える能力、そしてその能力が失われて家族の顔にさえ見覚えがなくなってしまう“後天性相貌失認”

以前、人の顔を覚えるのがやたらと得意な人(以後「Nさん」)と知り合いだったことがある。あるときNさんと道でばったり出くわして立ち話をしているときに、その能力がいかんなく発揮されるのを目の当たりにした。そばを女性が通り過ぎたのだが、Nさんはその女性の後を追いかけて声をかけた。


相手は、Nさんに見覚えがないらしく怪訝な表情で呼びかけに答える。「○○さんでしょ?」とNさんが声をかけると、その女性は狐につままれたような顔で、こっくりと頷いた。そして、Nさんは相手のことをどうして覚えているかを説明し始めた。


「ほら、○○さんは9年前に××という会社の××支店で事務の仕事をしていたでしょ? 私も少しだけその職場にいたんですよ。覚えてませんか? 1週間ほどで辞めちゃったんだけど」


後で聞けば、その女性とは、ほとんど言葉を交わしたこともなかったという。ただ、名札か何かを見て名前を覚えていた。たった1週間ほど同じ職場にいたに過ぎず、ほとんど会話をしたことのない相手であるにもかかわらず、Nさんは彼女がそばを通り過ぎたときに、瞬時ににしてすべてを思い出したのだという。


Nさんによれば、その女性に特別印象が残っていたからではない。別に相手が誰であろうと、同じクラスや職場にいた人の顔と名前はほとんど覚えているし、何年経とうが、どこかでばったり出くわしたときには瞬時にして思い出せるという。


それどころか、一度でも会話を交わしたことのある相手なら、名前がわからなくても、いつどこで会ったことのある相手かを瞬時にして思い出せるらしいのだ。実際、上記以外にも、その能力が発揮される現場に居合わせたことがある。


ある店でNさんも交えて何人かで飲んでいるとき、Nさんが突然、店員の若い男性に「2年くらい前に○○という店でバイトしていたでしょう」と声をかけたことがある。ビンゴだった。その店員は内心、気味悪がっていたに違いない。


一方、筆者は、人の顔を覚えること自体は苦手ではないように思うのだが、関連付けができないことが多くて困っている。まず、名前と顔を一致させるのが苦手である。顔に見覚えはあっても、ばったり出くわした場所と状況が異なっていると、相手がどこの誰なのか皆目見当が付かない。その状態で、相手が会釈して来ようものなら、適当に笑みを作って誤魔化すほかない。


ただ、そういう状況であっても、確かに相手の顔に見覚えはあるのだ。だから、筆者がいくら相手の名前を思い出せなくても、「相貌失認」という症状を患っていることにはならない。


「相貌失認」とは、他人の顔を認識できないという症状である。重度の相貌失認では、知り合いや友人だけでなく、毎日顔を合わせているはずの家族の顔を見ても見覚えがない。先天的にこの障害を持って生まれてくる人もいれば、外傷や感染症で脳の特定部位が損傷を負った結果として後天的に相貌失認を患う人もいる。


「相貌失認(Prosopagnosia)」という症状が最初に医学文献に登場したのは、1947年のことだった。ドイツのある医師が頭部に銃弾を浴びた兵士を診察したところ、他人の顔を認識する能力が失われていることがわかった。


最近まで、相貌失認は極めて稀な障害だとされていた。しかし、ここ数年の研究の結果、そんなに珍しい障害ではないらしいことがわかってきた。軽度の相貌失認を含めれば、50人に1人程度の割合で相貌失認患者が存在するという。


ハーバード大学心理学部のケン・ナカヤマ教授が率いた調査でも、相貌失認の罹患率を2パーセント前後と見積もる結果が得られている。ナカヤマ教授は、やがて相貌失認が疾患として広く認知されることになるだろうと述べている。


カナダ・トロントの“The Global and Mail”紙のオンライン版に掲載された記事には、後天的に重度の相貌失認を患うことになった2人の人物にスポットが当てられている。


①カリさん:25歳の女性(ファーストネームのみ明かされている)。23歳のときに、てんかん性発作を止めるために脳外科手術を受けたところ、他人の顔を認識する上で基幹的な部位に損傷が生じたらしく、重度の相貌失認に陥った。


②ロブ・クロスさん:同じく25歳の男性。4年前に脳にウイルス感染を患った後、重度の相貌失認に陥った。


ここで注目すべきは、2人とも他の脳機能には何ら障害がないという点である。他人の顔を認識する能力だけが失われてしまっているのだ。それゆえ、2人は相貌失認がもたらす不便に悩まされつつ、相貌失認を他の認識能力で補う工夫を駆使してもいる。


23歳のときに脳外科手術を受けたカリさんは、ひと夏を回復期間に当てた後、大学のクラスに戻った。これでもう、何年もの間自分を苦しめた発作とおさらばして快適な大学生活を送れるはずだった。


ところが、大学に戻ると、見知らぬ学生たちが彼女に声をかけて手術のことを尋ねてくる。それが何を意味するか。恐ろしい事実だった。自分は友人の顔を思い出せなくなっているのだ、と彼女は悟った。


その後、カリさんは相貌失認という診断を下された。視覚には何の障害も生じていなかったが、他人の顔を認識する上で基幹的な働きを担う脳の一部分に損傷を負っていたのだ。彼女の症状は重く、親しかったはずの友人はおろか、両親や弟の顔すら思い出すことができないほどだった。


「私には、顔全体の形と髪型しか認識できません」とカリさんは言う。


相貌失認を患って以来、カリさんは場所に基づいて、自分の目の前にいるのが誰かを判断するようになった。大学で誰かに会ったら、たぶんその誰かはクラスメートだろうと判断する。しかし、いったん大学のキャンパスの外に出たら、もう相手をクラスメートと認識できなくなる。30分前まで一緒に講義を聴いていたクラスメートとショッピングモールで鉢合わせしても、もう相手が誰だかわからなくなっている。


場所だけで判断するのには限界がある。そこで、カリさんは、もっとほかの視覚的な手がかりにも注目するようになった。たとえば、ヘアスタイルであったり、その人に固有の仕草であったり、体つきであったり、眼鏡や装飾品の有無であったり・・・。冬場には、友人たちが普段着ているコートを覚えておく。そして、声も重要な手がかりとなる。


こんな工夫により大学生活を何とか続けてはいるが、生まれ故郷のニューブランズウィック州には恐くて帰る気になれない。結束の固い村に帰って、自分に声をかけてくる人たちを思い出せないというのは実にまずい状況になるからである。知り合いのいない大都市に溶け込んで暮らしている方が彼女には気楽なのだ。


最近も、カリさんの両親が親族会を開いたことがあった。子供のころから知っているはずの親戚が何人もやって来た。だが、誰の顔にも見覚えがなかった。やむを得ず、カリさんは体調が悪いと言い訳して、ほとんどの時間を自分のベッドルームで過ごした。本当に歯がゆい思いをしたという。


もう1人の相貌失認患者ロブ・クロスさんも、4年前に相貌失認を発症して以来、歯がゆい日々を過ごしている。彼は、ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市の製造会社に勤務しているが、自分の症状に気づかれるまいと、同僚を名前で呼ぶことを避けてきた。あまり親しく会話を交わすこともない。


彼の症状に気づいていない同僚たちは、彼に毎朝「ハイ!ロブ」と気さくに声をかけてくる。だが、ほとんどの場合、ロブさんは相手が誰なのかわからない。相貌失認を患って以来、新しい友達が出来ることもめっきり少なくなった。


「同僚たちは僕を見て、ひどく内向的な奴だと感じているでしょうね」とロブさんは言う。


実は、上記のカリさんとロブさんは昨年から、カナダと欧州の科学者たちの共同研究に協力するためにバンクーバーを中心に北米各地の研究施設を飛び回り、何時間にも及ぶ検査を受けている。


軽度の相貌失認の場合は、誰かに似ていない人を似ていると思ったり、しばしば人違いで誰かに声をかけたりすることがあると言われている。そういえば、筆者にも変な経験がある。まったく見知らぬ人に親しげに話しかけられ、「この間のあれはどうでした」的なことを矢継ぎ早に聞かれたことがあるのだ。


私があっけに取られて言葉に窮しているのに、その相手は5分以上も私のことを知り合いだと思い込んでいた。そのときは、自分に瓜二つの他人がいるか、または自分自身が別人になって行動していること(乖離性行動)があるかのいずれかではないかと思ったほどだ。


しかし、私に声をかけてきた見知らぬ人物が軽度の相貌失認を患っていた可能性もあるわけだ。かたや、冒頭で述べた昔の知り合い(Nさん)は、おそるべき“相貌認識力”の持ち主だった。


映画『プラダを着た悪魔』では、アン・ハサウェイ扮する主人公アンドレアがワンマン上司ミランダに命じられ、パーティー前の短時間の間に何百人ものゲストの写真を見て、顔と名前と地位を暗記するシーンがある。水商売の世界では、客の顔と名前を覚える能力が重視される。たった一度でも店に来たことのある客の顔と名前を正確に記憶することができれば、高く評価される。


しかし筆者は、顔に見覚えがあっても名前を思い出せないことがしばしばある。少し前の記事で書いたように若い頃にバーの雇われマスターをしたことがあるが、久しぶりに来る客の名前を思い出せなくて苦慮したことが何度もあった。今でも、仕事関係の人の名前をなかなか覚えることができないでいる。飲み屋の女性の名前もなかなか覚えられない。


そういえば、小学校から大学に至るまで、クラスメートの名前をなかなか覚え切れずにいた。特に高校のときは1学年終わるころになっても、名前がわからないクラスメートがいた。上記のロブさんのように、相手を名前で呼ばないことが多かった。


自分自身、相貌失認ではないと思うが軽度の“人名失認”なのかもしれない。芸能人とか有名人の名前もよく忘れる。ところが、物の名前に関しては、忘れやすいどころか実に覚えがいい。さらに数値データに関しては、ちらっと目にしただけで、いつまでも正確に覚えていたりする。


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