第9話
「先輩!大丈夫でしたか?」
「うん。なんとかね…」
屋内型の船乗り場に辿り着いた僕は、深く安堵の溜息を吐いた。
ここまで来れば取り敢えず一安心だ。
堤防には小型のモーターボートが止められており、既に乗り込んだファルス達がエンジンを掛けている。
「エリアル。出発の準備はもうできているぞ。忘れ物はないか?」
「うん。さっさと逃げようぜ」
僕はモーターボートに乗り込むと、薄いマットが敷かれた座席に腰掛けた。
こんなところにはもう二度と戻りたくない。
さっさと脱獄して娑婆の空気を吸うとしよう。
僕は切にそう願っていたのだが…。
「待てやそこの脱獄囚ッ!儂の刀をよくもッ…よくもやってくれたなッ!貴様だけは許さんぞゴルァ!殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
「先輩!?執行官が追いかけてきてる気がするんですけど…私の気のせいですか?」
「おいエリアル!お前あいつを始末したんじゃなかったのかよ!は、早く俺を守れ!貴族なんだぞ!」
全員が目を丸くする中、ノーヴィスだけが悲鳴に近い叫び声を上げていた。
「早く船を出してくれ…追いつかれる前に…」
「お、おう」
このままではハトバに追いつかれそうなので、ファルスは慌ててモーターボートを発進させる。
すぐさま猛スピードで港を飛び出し、セントラルの海域へと突入した。
「待ちやエリアル!貴様の顔は覚えたやからな!必ず…必ず儂の手で殺すッ…刀のかたきやぁぁ!!」
後方から聞こえてくるハトバの叫び声を、僕はなるべく聞かないように努める。
怨恨だかなんだか知らないが、人から情を抱かれるのは色々と面倒だ。
僕ができることといえば、ハトバが今日の出来事を忘れてくれるよう願う他ない。
あわよくば今後の人生において二度と出会うことがありませんように……。
堤防で地団駄を踏んでいるハトバを片目に、僕は疲労が深く滲んだ溜息吐く。
華麗な脱獄劇を披露した僕らのことを、ハトバはいつまでも殺気を孕んだ瞳で睨んでいたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「先輩、お先に失礼しました。シャワーを浴びてきてもいいですよ」
六畳間ほどの空間でくつろいでいた僕は、先にシャワーを浴びてきた後輩のセルからそう言われた。
「うん。後で浴びに行くよ」
「今日の任務で汗かいたんですから早く洗ってほしいんですけど。ただでさえ狭い部屋ですし、臭いが充満しやすいので今行ってきてください」
「母親みたいなこと言ってくるじゃん…もう、わかったよ…」
渋々了承した僕はシャワーを浴びに行くことにする。
ここはアストラリス国とセントラル共和国に挟まれているロスカルト連邦国だ。
一週間前に無事脱獄を果たした僕達だったが、当然行く当てもなく困り果てていた。
そんな僕たちを見かねたフェネは、彼女の親戚が運営しているネットカフェを薦めてきてくれたのだ。
当然僕たちは無一文だったため、何かしらの仕事をしなければならない。
これもまたフェネの提案だったのだが、彼女から勧められた仕事をこなし、その日一日の生活費を何とか繋ぎとめていた。
まぁ長期滞在用の部屋はコストが高いから、セルと相部屋なんだけどね…。
僕は嫌だったのだが、セルはなぜか乗り気のようだった。
何故かはわからないが、部屋決めの時の記憶が僕の脳内に蘇ってくる。
…
『長期滞在用の部屋…十分な広さですけど価格が高いですね…』
『だったら、普通の個室で良いんじゃない?』
僕は夜狐族のオーナーから受け取ったネットカフェの料金表をセルに手渡す。
『普通の個室はたったの二畳ですよ?シャワーも付いてないですし、通常部屋で生活できるわけないじゃないですか!』
『でもお金がないじゃん』
僕の的を得た指摘により苦虫を嚙み潰した表情になるセル。
しかし、彼女は何かを閃いたようだった。
『わかりました…相部屋にしましょう!』
『え?今なんて?』
きっと空耳に違いない…。
僕はそう思っていたのだが…。
『長期滞在用の部屋に私たち二人で泊まりましょう!』
『私たち二人…?その中に僕も含まれているの?』
『何言ってるんですか?含まれているに決まっているでしょう』
『嫌だ!僕は嫌だからね!通常部屋の方が安いし、お金が節約できる!シャワーがなくても良いじゃないか!』
僕の言葉を聞いたセルは、今にも泣きだしそうな表情になった。
『私は全身が体毛で覆われた獣人なんですよ!?シャワーを浴びないと臭くなっちゃいます!』
『えぇ…別に臭くなっても良くない?それに僕と相部屋にしたら夜中に何されるか分からないよ?』
『大丈夫です!全然大丈夫ですからッ!お願いします長期滞在用の部屋に一緒に泊ってください!』
セルに体を思い切り揺さぶられた僕は渋々了承したのだった。
懐が寂しくなる一方だが、従順な後輩の頼みならば仕方がない。
『先輩が夜中に女性を襲うような人じゃないのは知ってますよ。そもそもそんな度胸も持っていないくらいの小心者ですし』
だからその後、僕の悪口が聞こえてきたのはきっと気のせいに違いないだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後輩と同じ屋根の下で眠るのは何とも気分が落ち着かない。僕の寝顔をバカにされそうで嫌なのだ。
「それにしても、フェネが有名企業
セルの言う
彼女の親は数々のソフトウェアやインターネットサービスを開発している企業のCEOであり、数年前にはスマートフォンに取って代わる画期的な製品を生み出した。
「うん。ソフトウェア系の企業だからかは知らないけど、彼女がハッキング技術に長けているのは父親のお陰なのかもしれないね」
僕はそう言うと、人差し指と中指を立て、上から下へと素早く振る。
《おかえりなさい、ユーザーID<エリアル>様。全システムがオンラインになりました》
どこからともなく人工音声が聞こえてきた次の瞬間、僕の目の前に光り輝くホログラフィックスクリーンが現れた。
これがスマートフォンに取って代わった製品。次世代型のウェアラブルデバイス『ホロリング』だ。
主に、腕輪型や指輪型、そしてイヤリング型が開発されており、製品を装着することで神経を直接操作し、使用者にホログラフィックスクリーンを見せることが可能になるのだ。
僕はイヤリング型である『ホロリング』を耳に装着していた。
見た目としては、長方形に近い形状をしたプレートタイプのイヤリングだ。
先進的なデザインであり、形状も他のタイプと違って少し大きいため、イヤリング型は性能が良いらしい。と言っても、人間の感覚では他デバイスとの差を実感することは出来ないらしい。それほど矮小な違いしかないのだろう。
「新しい依頼はありますか?」
セルはそう言うと、僕のホログラフィックスクリーンをのぞき込んできた。
セルは指輪タイプの『ホロリング』を装着している。
『ホロリング』を装着している者同士ならば、お互いのホログラフィックスクリーンを覗くこともできるのだ。
「フェネが作ったシステムには良さげな依頼は来てなかったよ」
「そうですか、まぁ気長に待ちましょう」
僕たちが利用しているシステム『シンメトリー』は裏社会に生きる僕たちにとって大変ありがたいサービスだ。
僕たちに『シンメトリー』を紹介してきたのはフェネであり、『シンメトリー』を開発したのもフェネである。
無一文で困っていた僕たちに、悪魔の囁きみたいな提案をしてきたフェネ。
その時の記憶が今になって蘇ってきた。
…。
『君達…お金ないよね?仕事欲しくない?』
『当然どうしたんですか?』
お互いの連絡先を交換しておいた僕達だったが。脱獄した後日に早速フェネから電話がかかってきた。
『数年前に私が開発したサービスがあるんだけど…私が刑務所に収監されていたせいで完全に運営が停止しちゃってね…復興がてらに手伝って欲しいことがあるんだ』
『どうしますか先輩?』
『う~ん。報酬次第かなぁ…』
因みにホロリングをつけている場合、通話の音声は脳内に直接聞こえてくる。
お互いに許可しあえば、音声を他人とも共有することができるのだ。
『君たちに拒否権なんてないんだからな?私は無償でホロリングをあげたんだぞ!もっと感謝するべきだし、進んで私の提案を飲むべきだ!』
『でもホロリングってもう大量生産されてる安物じゃない?僕たちは無一文だけど、一日アルバイトしたお金で買えると思うんだけど?』
『ち、違うわ!そのホロリングはCEOの娘である私が直接手掛けたのもだから他の物とは比べ物にならないほど性能が良いんだぞ!?』
使ってる感じ、他の製品とあまり違いはないのだが…。
『普通のホロリングと同じ性能だと思うんですけど…』
『セルまでそんなこと言うのか!?使っているうちに分かるから!って…私が言いたのはそんなことじゃなくて…。まぁとにかく私に協力してくれたら報酬としてお金が貰えるぞ。君たちに拒否権はないし、どのみち強制的にやらせるつもりんなんだけどね』
フェネがそう言った次の瞬間、僕のホロリングに一件の通知が届いた。
《『シンメトリー』をダウンロードしてくれてありがとうございます!》
ん?なんだこの通知は?シンメトリーなんてアプリ、ダウンロードした覚えがないのだが…。
『シンメトリーは私が開発した副業アプリだ。エリアルとフェネのホロリングにダウンロードしておいたぞ』
なに勝手なことしてんだコイツ!?僕のデバイスをハッキングしたのか?
『そ、そんなに怒らないでくれよ。話を聞いてくれ!』
『フェネのお願いですし、なるべく協力はしますよ』
『流石はセル!エリアルとは大違いだな!』
僕の悪口が聞こえたような気がするのだが、多分気のせいに違いない。
『簡単に言うと、シンメトリーは裏社会に生きる人間たちに依頼をお願いするオンラインサービスだ。ブローカーっていう仲介役を通じて依頼内容がリスト化され、アプリ内に表示されるんだ。君たちは、気に入った依頼があれば受理し、依頼内容にそって攻略していけば良い。ゲームみたいだろ』
なるほど、面白そうではあるが…果たして稼げるのだろうか。
『とにかく、一度試しに拝見してみてくれ』
『わかりました』
セルはそう言うと、ホロリングにダウンロードされた『シンメトリー』というアプリを開いた。
先進的なUIデザインとともに、『シンメトリー』が起動する。
『フェネ…これ全部一人で作ったんですか?』
『ああ。そうだぞ。親父は
フェネの口調は何だか寂しそうだった。
僕はあえてその事を触れないようにし、『シンメトリー』を開いているセルのホログラフィックウィンドウをのぞき込む。
怪しげなものは先に後輩にやらせ、安全地帯から様子見するのが一番である。
下衆の極みな考えなのかもしれないが、この汚い世界で生きていくには下衆にならないといけない。
僕がそんなことを考えていると、セルは『シンメトリー』の依頼リストを見始めた。
そこには様々な依頼が書かれており、ハイリスクハイリターンなものから安全な仕事まで品ぞろえは様々だ。
政治家の妻と息子を隣国まで亡命させるものであったり、過激派宗教団体を壊滅させる依頼であったり…。
なるほどね。こういう系統の仕事なのか。
てっきり闇バイト系の仕事なのかと思っていたのだが、実際の様はだいぶ違うようだ。
黒ではないが、完全に正義だとも言い切れない、グレーゾーンのお仕事。
裏社会に生きる者たちにとっては大変やりやすい任務がここには集っているのだろう。
『最近サービスを再開し始めたばかりだから依頼されている任務は少ないけど、これからどんどん増えてくると思うぞ?』
『なるほど、これは良いシステムだね。早速やってみようかな』
『やけに乗り気ですね先輩』
お金が沢山あって困ることはないんだし、このシステムを利用すれば、少しはましな生活を送れるだろう。
そう考えた僕は、嬉しそうなフェネの話を聞きながら、『シンメトリー』の依頼リストをスクロールしていくのだった。
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