第6話
「……なぁセル…」
「なんですか?便秘二日目みたいな顔をしてますけど?」
「おいお前、失礼だぞ。僕はいつでも健康な便だ!って…言いたいのはそういうことじゃなくてだね…。そろそろ脱獄しないか?」
冷却器の掃除が始まってから三日が経過した。
ロープ一本で二十メートル越えの穴を降下し、いつ動くか分からないファンに薬品をかけてまわる雑務なのだが、毎日毎日、同じ冷却器へ行っては清掃をやらされる日常だ。
いつ終わるのか分からないまま、この仕事を続けるのなんて耐えられるわけがない。広い娑婆の世界に脱獄して、新鮮な空気を吸いたいものだ。
「突然どうしたんですか…まぁこのオートミールはまずいですし、気持ちは分かりますけど」
セルはオートミールを口の中に入れると、予想通りの味だったのか顔を顰めた。
何度食べても慣れないであろう、粘着質で細かい繊維が引っ掛かる舌触り。
気に入らなかったのか、セルの耳は重力に従って垂れている。
「私も脱獄したいな…」
「え、フェネもそう思うんですか?」
「ああ…。正直日光がきつくて…今も尻尾と気分が落ち込んでいるよ…」
暗い顔でハハハと笑うフェネ。
夜狐族である彼女にとって日光というものは体に対してかなりの毒があるようだ。
日陰を好んで住み着くカビみたいだな。
口に出したら殺されそうなので言わないけど。
「はぁ…どうにかして脱獄できないかな…僕なら看守全員を相手にしても無傷で勝てる自信があるんだけどなぁ…」
たとえ看守に勝てたとしても、牢獄の強化アクリル板をこじ開け、さらには出口を阻む鉄格子の破壊をするのは不可能だろう。
スキルが使用できるのならなんとかできるかもしれないが、流石に生身の体では不可能だ。
僕はそう思っていたのだが…。
「それなら…私も協力してあげようか?刑務所のシステムを落とすことならできるぞ?」
「フェネが刑務所のシステムを破壊するのか?」
「うん?なんか信じてなさそうだな」
日光の当たりすぎでおかしくなったのかと思ったよ。フェネなんかが最恐と名高い刑務所のシステムに侵入できるわけがない…はずだ…。
もし本当にできるならそれは滅茶苦茶凄いことだけど…。
「そういえば…。フェネっていったい何して捕まったんですか?」
セルは首を傾げた。
確かに言われてみればそうかもしれない。
フェネは一見しておとなしい狐女だが、ここはインターポールに目を付けられた極悪人が収監される刑務所だ。
一体全体何を犯したというのだろうか?
「フフフ。特別に教えてあげようじゃないか!」
フェネは誇らしげに胸をそらすと、自身が捕まった理由を嬉々として話し始めた。
「過去にインターポールの刑務所のシステムにハッキングしたことがあるんだ」
「は?!」
隣で話を聞いていたファルスがオートミールを吹き出しそうになった。
喉に詰まったのか、ファルスはゲホゲホとむせている。
「大丈夫かよお前…」
ディアスはそう言うとファルスの背中を優しく撫でた。
普段は素行が荒いが身内に対しては優しいようである。
最近、僕に対しても謙虚な態度をとるようになってきたのがなりよりの証拠だ。
数日間に僕にオートミールを投げつけられ、それがトラウマになったのかは分からないが、僕を呼ぶときは必ず『さん」付けをしてくる。
「私は凄腕のハッカーでな。ある日、セントラル刑務所のデータベースをハッキングして、とある囚人を脱獄させてくれないかと依頼されたんだ。報酬も悪くなかったし、出しても問題なそうな囚人だったから外に出してあげたんだけど…任務の後、依頼人が口封じとして、私のことをインターポールに通報やがったんだ。あの野郎、いつか痛い目を見せてやる」
なるほど。フェネも色々あったようだ。
まさか、凄腕のハッカーだったとは夢にも思わなかったけど。
「因みに仕事の際に使用していたニックネームは何ですか?」
いわばペンネームみたいなものだが。
仕事で本名を使用する愚か者なんているはずがない。
「ん?私の仕事名は『フェネ』だぞ?」
なんていうのは冗談である、前言撤回だ。
僕がそんなことを考えていると、目の前でオートミールを食んでいたセルが突然声を上げた。
「ああ!フェネって、『静寂のフェンリル』っていう二つ名で知られている人ですよね!?」
「え…まぁ世間ではそう言われているけど…何で知っているの?」
「僕も初耳なんだけど?」
『静寂のフェンリル』だって?そんな中二病気質な二つ名なんて聞いたことがないのだが…。
「ほら、過去に特務警察のデータベースを乗っ取ろうとした『静寂のフェンリル』ですよ」
…。
……。
ああ!確かにそんなことがあったような気がする!
「仕返しとして、パソコンに電子機器をオーバーヒートさせることができるウィルスを送り込んで、嫌がらせをした『静寂のフェンリル』のことだね!!」
完全に思い出したぞ!『静寂のフェンリル』のお陰で三日も業務ができなかったから、僕たちは相当困っていたはずだ。
腹いせに、何とかIPアドレスと使ってるVPN回線を特定した僕たちは、家のブレーカーを落とせるほど強力なコンピューターウィルスを送り付けてやったんだった。
「はぁ!?あれってエリアルのせいだったの!?」
システムを乗っ取ろうとした組織の元人間が目の前にいたことを知ったフェネは、驚愕したのか、目を見開いていた。
フェネは『静寂のフェンリル』と呼ばれる凄腕ハッカー、そして僕たちはアストラリス国の秘匿された諜報機関の元エージェント。
敵対関係になっても何ら不思議ではない構図だ。
「ふざけるな!お前が送ってきたウィルスのせいで、その月の家の電気代が跳ね上がったんだぞ!私のパソコンをオーバーヒートさせやがって!!あれのせいで油揚げを買うお金が電気代に全部溶けたんだ!」
怨恨の籠った瞳で僕のことを睨むフェネ。
「ち、違うって…ウィルスを送り付けたのは僕じゃない!そもそも僕はパソコン関係に疎いし、専門的なことは仲間の職員にやらせたんだ!」
「まぁ、ウィルスのデザインを担当したのはエリアル先輩ですけどね」
余計なことを言うなよ…。
僕は今まで忘れていたというのに、よく覚えているな…。
「ウィルスの設計を担当した?どういうことだ?」
「そんなに怒らないでくださいよフェネ。エリアル先輩は相手の嫌がることをするのが得意だから、反撃する際にハラスメントの専門であるエリアル先輩の意見が参考にされただけです」
そういえばそんなことあったね。
今となっては懐かしい過去だ。
「セクハラ以外のハラスメントなら大得意なエリアル先輩は、被害の状況から組織絡みの攻撃ではなく、個人のサイバー攻撃だとすぐに見抜きました。そこで、個人が最も嫌がるであろう、PCに莫大な負荷をかけ、電気代を吊り上がらせるウィルスを開発してみてはと提案したんです」
「ふ、普通はそんな案なんて通るわけないじゃないか!どうかしてる!」
「まぁ、サイバー担当の総責任者もエリアル先輩と同じくらい変な人でしたから、謎に意気投合してしまい…嫌がらせレベルのウィルスを送り付けることになっちゃったんですよね」
「や、やってることがハラスメントなんだよ…」
「なんだか、エリアルの性格が分かった気がするな」
ファルスは妙に納得しているようだった。
「それって褒めてるの?」
「「褒めてない」」
フェネとファルスは同時に答える。
「まだ許してないぞ。お前が嫌がらせレベルのコンピューターウィルスを設計したせいで、私は油揚げが食べれなかったんだ…」
「だったら最初から、特務警察のシステムに攻撃なんてしなかったら良かったのに」
一人で最恐と名高い特務警察のデータベースに侵入するのはかなり凄いことなのかもしれないが、それにしても後のことを考えなさすぎだ。
居場所が特定できず、逮捕までに至らなかったからせめてもの反撃として、僕たちは家の電気代を吊り上げるコンピューターウィルスを開発したのだ。
責められても、それは筋違いである。
「まぁ、その話は置いておいてだな…」
フェネは僕のことを睨んできているが、気づいていない振りをする。
「脱獄の計画でも立てるんですか?」
「そういうこと」
「上手く行きますかね…」
僕の戦闘力をもってさえすれば、温室育ちの看守など、何人かかっても撃退できる自信がある。
だから簡単に脱獄できるはずだ…。たぶん…。
「ファルス達も脱獄したくないの?」
「俺は…」
ファルスが言いかけたその時、ディアスはファルスの発言を遮るように即答した。
しかも目を爛々と輝かせながら…。
「俺は脱獄したいぞ!」
「は?ディ、ディアス…お前何いってんだ!?」
「なぁファルス。良く考えてみろ。俺らの刑期はあとどれぐらいだ?」
突然の質問に不思議そうな顔をするファルス。
少し考えた後、ファルスは口を開いた。
「だいたい六十年くらいじゃなかったか?」
「そうだ!」
ディアスはそう言うと、忌々しそうに唇を噛む。
「刑期を終えて娑婆の世界に出たとしても、俺らは既に爺だ。人生の大半を刑務所で過ごすくらいなら脱獄したほうが良い!」
ディアスの意見に初めて僕は共感した。
その通り過ぎる回答だ。
「まぁ、ディアスの言うことも一理あるが…」
「なんだ?脱獄するのが嫌なのか?」
「いや。そういうわけではない。ただ…失敗したときの代償が大きいことは知っているのか?」
見つかったらただでは済まないのは当たり前の事だ。捕まらなければいい話である。
「おいおい。ここにぶち込まれてから随分と丸くなったなファルス!お前はリスクなんて気にもとめないワイルドな鳥人だったはずだ!」
ディアスの訴えかけによってファルスは数秒間逡巡した後、ゆっくりと嘴を開いた。
「わかった…俺もできる限り協力しよう。役に立つかは分からないが…。」
「というわけだエリアルさん。俺もできる限り協力する。だから計画を練るのは任せたぜ」
要するにディアスは作戦作りという一番面倒な工程を僕に一任するということだ。
「凄腕ハッカーである私がついているんだぞ?大丈夫に決まっている!」
謎に自信が有るフェネ。
僕は幸先が不安で仕方がなかった。
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