第4話

 《セキュリティクリアランスを認証しました…ドアロックを一時的に解除します。担当職員は警戒体勢に入ってください》


 遠くから合成気質の機械音声が聞こえてくる。

 頭の中は霞がかかったかのようにはっきりとせず、未だに朦朧としていた。


 ここはどこだ…?…僕は一体何をして…。


 次の瞬間、数々の出来事が僕の脳内にフラッシュバックした。

 一つの記憶を思い出すごとに、関連した記憶が連鎖的に紐づいていく。


 あぁ…完全に思い出したぞ…。

 任務先で誤ってインターポールを殺した僕は、政府から切り捨てられ、解雇リストラを言い渡されたんだった…。


 周囲の気配から予想するに、僕の考察はあながち間違いではないらしい。


 ということはここは刑務所か…。

 どうやら僕は長いこと眠っていたようだ。


 アクリル板のドアが滑らかにスライドし、牢屋のドアロックが解除される。


 「今日からここがお前の部屋だ。自分の犯した罪をじっくり償うんだな」


 少しばかりの浮遊感の後、背中から頭にかけて鋭い痛みが走った。


 「いてッ…」


 頭への衝撃のお陰で、僕の脳は完全に目覚める。

 頭の中は、霧が晴れたかのようにスッキリとしていた。

 

 《ドアロックを作動します…。対象を収容中…。》


 合成音声とともに、強化アクリル板のスライドドアが滑らかに閉まろうとする。

 その間、看守は床に倒れている僕のことをドア越しに睨みつけてくる。

 完全に収容されたことを確認した看守は、気分が満足したのかどこかへ去っていった。


 僕がぶち込まれた牢獄は、無機質なコンクリート製の部屋だ。質素で冷たい感触が僕の肌を刺してくる。


 ぶつけた頭を摩り、周囲を見渡していると、一人の人間が僕の目に留まった。

 ここで初めて、この部屋に人間がいたのだと気が付く。


 「激しく打ち付けていたようだが…。頭大丈夫か?」

 「うん。僕の頭は物理的に硬いから、これくらいの衝撃どうってことないよ。君はここの先住民?…なんていうか…、ここはとってもいいところだね。うん。」

 「ふっ…面白い冗談だな。お前は見るからにお人好しで善良な見た目をしているが…一体全体何して捕まったんだ?」


 壁掛けのベンチに腰かけている男は興味深げに僕のことを見つめてくる。

 目の前に座っているオレンジ色の囚人服を着た男は、体が羽毛で覆われ、鋭い嘴をもった鳥人であった。

 突然変異が日常茶飯事なこの世界では、獣人も決して珍しくない。


 「ちょっと仕事で失敗しちゃって、後輩と一緒にこの豚箱に収監されることになったんだ。彼女は…まぁ、意外とタフだし大丈夫だろ」

 「ふむ。お宅も色々あったんだな。俺はファルス。よろしくな」


 鳥人の男はそう言うと僕に手を差し出してきた。

 僕は男の手を握り返す。

 手と翼が一体化しているので、彼の掌の面積はかなり大きい。僕の左手が丸々覆われてしまった。

 

 「ところでここはどこだ?」

 「ここ?刑務所の名前か?」

 「うん。まぁそんな感じのことが知りたいな」


 なにせ外の景色を確かめられないままここまで連れてこられたのだから、自分が今どこにいるのか見当がつかないのだ。もしもの時のために、自分の居場所ぐらいは確認しておいたほうが良いだろう。


 「ここはセントラル共和国に存在するセントラル海域刑務所だ」


 今までで何度か耳にしたことがあるセントラル海域刑務所…。その名前を聞いて、僕は思わず溜息を吐いてしまう。


 「はぁ……。僕ってツイてないな…」


 セントラルの排他的経済水域EEZに存在するセントラル海域刑務所は、長い期間の服役や終身刑を言い渡された国際犯罪人が収容される、インターポール管轄の刑務所だ。

 海上にある分脱出はとても難しい。


 これはかなり面倒くさいことになってしまった。


 「そう落ち込むな。ここでの生活は悪くないぞ。飯はまずいし、シャワーは週に一回、夜も照明が焚かれているから眩しすぎて寝ることが出来ない。それに首輪が滅茶苦茶邪魔だ」

 

 自分で言っている癖して、最後の方は苦笑いになっていく。


 「首輪?なにそれ?」

 「…お前の首にもついているぞ?気が付かなかったのか?」


 ファルスに指摘されて初めて、僕は自分の首に首輪が取り付けられていたのだと気が付いた。

 

 「あれ?なんだこれ?」 

 「今更気が付いたのかよ…」


 呆れかえるファルスを片眼に、僕は首についてある首輪をちぎろうとする。

 当然ながら生身の体では引きちぎることができないようだ。


 「特殊合金の金属で作られている首輪だから、壊すのはまず無理だな」

 「くそー。こんなダサいアクセサリーなんて付けられないよ…」


 この刑務所の看守は囚人に首輪をつける趣味でもあるのだろうか?だとしたらだいぶ気持ちが悪い…。


 僕はそんなことを考えていたのだが、ファルスによって直ちに否定された。


 「その首輪にはGPSと体内のスペルバイトエネルギーを乱す装置が取り付けられている。スキル所持者は力を使うことができなくなるし、刑務所のどこにいても看守によって常に位置情報を見られているんだ」

 「そ、そうなんだ…。確かに、スキルが使えないかも…」


 これはかなりまずい…。結構非常事態だ。


 僕は試しにスキルを使用しようと試してみるが、体内のエネルギーがかき乱され、なかなか上手く行かない。


  脱獄するためにはまず、この首輪を何とかしなければいけないのかもしれない。


 僕がそんなことを考えていると、次の瞬間、天井に取り付けてあるスピーカーから大音量の放送が聞こえてきた。


 『全囚人に通達する。これから一斉点呼を行う!チェックが完了したグループごとに食堂へ移動せよ!』


 放送が終わると共に辺りが騒がしくなった。

 看守の点呼と共に囚人の応答が聞こえてくる。それも次第に看守の声が近づいてくるではないか。


 「夕方の五時になったら一斉点呼が始まるんだ。囚人は一度部屋の外に出され、厳重にチェックされる。変な真似はするなよ」

 「分かってるって…スキルが使用できなくて僕はだいぶ萎えているんだ。今はそんなことする気力すら湧かないよ…」

 「そんなに落ち込むなって。これから夕食だ。気分転換できるかどうかは分からないが…腹を満たしてから考え事をするのが一番だぜ」

 


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 《セキュリティクリアランスを認証しました…ドアロックを一時的に解除します。担当職員は警戒体勢に入ってください》


 「囚人番号1827…ファルス!」

 「はい」


 看守の点呼と共に、ファルスは気だるそうに返事をし、両手をあげながら牢屋の外に出た。


 「囚人番号1828…エリアル!」

 「…はい」


 僕もファルスに習い、看守の呼びかけに答える。

 僕たちは牢屋の外の廊下に並び、数々の看守の監視下の元、点呼を受けていた。

 

 隣を見ると、おびただしい数の囚人たちがそれぞれの牢屋の前に並んでおり、それぞれ厳重なチェックを受けている。


 数分後、再び放送が聞こえてきた。


 『フロアAの囚人全員の点呼を完了した。よってこれより食堂に向かう。隊列を崩すことなく先頭に続け!』


 放送とともに、牢屋の前で待機していた囚人たちは隊列を作り始める。

 看守の号令とともに、刑務所内を規律正しく進んでいくその姿は、まるで洗練された軍隊のようだ。

 

 「それにしても凄い広さの刑務所だな」


 僕は先頭を歩いているファルスに声をかける。


 僕が収監されている刑務所は円柱の内部のような構造になっており、中央には牢屋一体を見渡せるような看守塔が建てられている。

 その周りを三百六十度囲っている5階層分に、囚人が収監される部屋が存在している造りだ。


 「この刑務所は最恐と名高い。天井にはテーザー光線を発射することができる最新鋭の監視カメラが取り付けられている上に、ドローンまで警備している有様だ。脱獄なんてほぼ不可能だな」

 「ほぇ…」


 僕がこの刑務所の警備システムについて感心していると、目の前に鉄製の階段が見えてきた。


 「これを下れば一階の大広間につく。主に一階は食堂だな」


 囚人達の隊列は、金属製の階段を下り、一階まで一気に下がる。

 数々の金属の上を歩く足音が、階段内に反響していた。


 やがて一階に降り立った僕たちは、監視塔の根本にたどり着く。ここは広間のようだ。

 広間の隣に食堂があるようで、鉄製のドア製の入り口には『食堂』というプレートが張り付けられていた。


 「見ての通りここが食堂だ。看守は入り口で待機している。聞かれたら不味いような話は食堂でするべきだな」

 「覚えておくよ」


 有益な情報を頭の片隅に置いた僕は、食堂の中に入った。

 すると、数々の長テーブルと椅子が規則正しく配置された食堂に到着する。

 椅子とテーブルは軽いアルミニウム製であり、安全の観点から地面に固定させられていた。

 隊列を崩さぬまま、夕食の受け取り口まで歩いていき、受け取った囚人から各々座席について行く。


 「座席はグループごとに決まっているから気をつけろ」

 「じゃあ僕はどこに座ればいいの?」

 「食品を受け取ったら俺についてこい。案内してやる」


 ファルスという男はとても頼りになるようだ。

 刑務所にきて右も左も分からない僕にとっては大いに頼りがいがある。


 ようやく僕が夕飯を受け取る番が到来し、僕は食堂のカウンターに立っている看守から料理を受け取る。

 プラスチック製の皿に乗っている料理は、絵の具のように粘度が高い、灰色に濁ったオートミールだった。

 よくわからない繊維が入っており、かなりまずそうである。こんなもの料理と呼べるわけがない。


 僕は貰った食品を見て顔を顰めていると、先に受け取って席についていたファルスが僕に手招きしてきた。

 僕は囚人達の視線を感じながらファルスの元へ急ぐ。


 「俺の隣に座ってくれ」

 「ありがとうファルス。ここが僕のグループなの?」 


 僕は長机に座っている、同じグループの人間たちに視線を通わせる。

 神経質そうな男に巨漢な体付きをした逞しい男。大きな狐の耳をはやした獣人の女が席に座っていた。


 「ああ。そうだ。グループで刑務所内の雑務をこなすことになるから、ここのグループの人間とはお互いにかかわりあうことになる」


 なるほど。刑務所内で雑務をこなすのか…。


 「僕のエリアルだ。今日からよろしく」


 僕は粘土のようなオートミールを食んでいる囚人達に向かって挨拶をする。

 神経質そうな男は僕を一瞬だけ一瞥したがすぐに視線をそらした。

 しかし、狐獣人の女は愛想の良い態度で挨拶し返してくれる。


 「私はフェネだ。よろしく」

 「こちらこそよろしく頼む。ところでだけど…君は狐の獣人?」


 反応してくれて僕は少しほっとする。

 神経質な男と巨漢の男とは正直言って付き合えるような雰囲気ではない。僕に対する敵意がかなりあるのを肌で感じ取っていた。


 「そうだぞ。私は夜狐族の狐獣人だ。ここ地域だとかなり珍しい種族だろうな」


 狐獣人の種族など無数に存在するので夜狐族と言われてもあまりピンとこないのだが…。珍しい種族であることは間違いないだろう。

 放射能に被爆し、野生動物に似た細胞へと変化した獣人。

 元はと言えば彼らも人間だ。人間に人種あるのと同様に、獣人も環境などの外的要因によって特徴が異なってくる。


 僕がフェネという狐の獣人と会話を交わしていると、次の瞬間、聞き覚えのある声が聞こえてきたではないか。


 「エリアル先輩!?ここにいたんですね。無事で何よりです」

 

 僕は声の主の方へ咄嗟に視線を向ける。 

 するとそこには、どろどろとしたオートミールを手に持ったセルが立っていた。

 

 「やぁ。セルもここのグループなの?」


 無事に再開を果たすことができて一安心だ。


 「はい。フェネと同じ部屋なので多分ここだと思います…。あってますよね?」

 「ああ。合っているぞ」


 オートミールを食んでいるフェネは、不味そうに顔を顰めながら肯定する。


 「やっぱり不味いよね?そのオートミール…」

 

 未だにご飯を口にしていない僕はファルスにそう尋ねた。

 対するファルスだが…彼は苦笑いをしている。 


 「…ハハ…。こんな見た目で不味くないわけないだろ…」

 「うん。それもそうか…」


 正直言って食いたくないけど、生きていくためには仕方がない…。

 僕とセルはお互いの顔色を窺うと、意を決し、オートミールを口の中に運んだ。


 う、うん…。不味いなこれ…。

 粘土を食べているような感触だ。髪の毛のように細かい繊維が入っており、舌触りも最悪である。こんなもの料理と呼べる代物ではない。


 「慣れれば平気さ。私もここへきて一カ月の間は油揚げが恋しくて夜な夜な泣いていたが…最近は味覚が感じなくなってきてな…今はもう、食べることにあまり抵抗を感じないぞ」

 「フェネ…それって大丈夫なの…?」


 フェネの言葉を聞いて僕は急に心配になる。味覚がおかしくなる化学薬品でも入っているのだろうか…。


 「勿論大丈夫だ。油揚げのことを考えると尻尾と耳が痙攣しだすが、時間がたてば元通りになる」

 「それって大丈夫って言わねぇだろ…。急に不気味な笑い声を出すのはそのせいだったんだな…」

 「フェネさんの好物って油揚げなんですね。それも依存するほど好物だったなんて」


 セルは恐ろしいものでも見るかのような目で、オートミールを見つめている。

 セルもいずれかは好物の鹿肉が食べたくなって中毒症状を起こすようになるのだろうか?ちょっとばかし楽しみである。


 僕がそんなことを考えていると、向かい側の座席に座っていた巨漢の男は、急に声を張り上げた。


 「おい、うるせぇよ!エリアルって言ったか?食事くらい黙って食え」

 「これは誰?」

 

 巨漢の男にすごまれた僕だが、対して動揺することなくファルスに尋ねる。

 それを見ていた巨漢の男は僕の態度が気に食わなかったようだった。


 「コイツはディアスだ。俺と同じ傭兵団に所属していたんだ」

 「へぇ…傭兵団だったんだ。名前はなんていうの?」

 「夜ノ薔薇っていう傭兵団だ」

 「ああ。聞いたことがある。どこで聞いたんだっけなぁ…」


 僕は自信の記憶を掘り返そうとしてみる。

 目の前のディアスは僕の行動一つ一つが気に入らないのか苛立ちを隠せない様子だった。


 「エリアル先輩が過去に戦ったことのある傭兵団じゃないですか?」

 「ああ…。そういえば特務警察の任務で夜ノ薔薇に潜入したことがあったね。懐かしいな…」


 僕の言葉を聞いて驚愕するファルス。

 ディアスもほんの少しだが、目元がピクリと反応していた。


 「お、お前…特務警察の人間ったのか!?それに夜ノ薔薇に潜入したことがあるだって!?そんなに凄いエージェントだったのか!?」 

 「ひょっとして僕のこと恨んでる?」


 ファルスは夜ノ薔薇のメンバーなのだ。

 特務警察の僕に恨みを抱いていても何ら不思議ではない。


 「いやいや。俺はインターポールに捕まった時点で組織から切り捨てられたんだ。今更恨むわけないだろ。そもそも潜入されていたことだって知らなかったんだから、自分と関係している実感はないな…」

 「そうなんだ」


 考えてみればその通りである。

 僕も特務警察から切り捨てられた身である以上、彼との境遇は似ているのかもしれない。


 「チッ…。なに腑抜けたこと言ってんだファルス!」


 僕たちの会話を聞いていたディアスは、次の瞬間、ドスの利いた声でそう言った。


 「コイツは俺たち傭兵団の敵だったんだぞ?だったら今後調子に乗らないよう、ここで分からせておくべきだ」

 「は?ディアス…お前何言ってんだ?」

 「俺は単純にコイツの行動が気に入らねぇ。それに奴の目を見てみろ!」


 ディアスに命令されたファルスは僕の目を見つめてくる。

 僕は目をそらすことなく、ファルスの視線を正面から受け取った。


 「特になにかあるわけでもないが…。エリアルの目の何がおかしいんだ?」


 ファルスの言葉を聞いたディアスは苛立たしげに頭を掻く。


 「お前の目は節穴か?俺は数々の死闘を経験してきた身だから分かる。奴の目は異常だ!!人を何千人も殺してもあんな目にはならないぞ?!」


 ディアスという男の洞察力は意外と優れているようである。

 幼い頃から弱肉強食の世界で暮らしていた僕の目は、光を吸収するような黒い膜が張られ、その周りに蛍光黄色のラインが入っている。

 金環日食のような見た目で美しく、神秘的なオーラを放っているのだ。 


 「僕の目は少し特殊でね…初対面の人にはよく誤解されることがあるんだ。だから僕は救えないほどの悪人じゃないよ」


 金環日食のような瞳は政府の実験の後遺症だ。

 かなり珍しい目なのでオークションに売り出されそうになったこともある。


 「チッ…。だとしても俺はお前が気に入らねぇ…。お前は今日来た新入りだ。先輩に対して敬う態度を見せたらどうだ?」

 「なるほど。それも一理あるね」

 「だったら…」

 

 ディアスが何かを言い出す前に、僕は彼の発言を遮った。


 「だとしても、君みたいな人間に従いたいとは思えないな」

 「てめぇ…この俺をおちょくっているのか?俺より強いというのなら従ってやる…だが、お前は見るからに弱そうだ…覚悟はできているんだろうな?」


 僕の一言により、周囲の空気は一気に悪くなる。

 今にもディアスは爆発しそうだ。


 「勿論おちょくっているに決まっているじゃないか。悪いけど君は脅威に感じられない。凄んでいるけど全然怖くないよ」

 「エリアル…よせって…」


 ファルスが慌てて止めに入るが既に手遅れだ。

 ディアスは耐えに耐えた末、ついに激怒した。


 「調子に乗るなよッ!」


 勢い良く席を立ったディアスは、机の向かい側から殴りかかってくる。

 

 動きを見切っていた僕はディアスのパンチを軽々躱した。

 

 「なッ!?」


 見かけに以上な動きを見せる僕に驚いたのか、ディアスは目を剥いている。

 拳は思い切り空を切り、少しの間ディアスに隙ができた。

 職業柄、僕が相手の隙を逃すわけがない。


 流れるような動作でオートミールの乗った皿をつかんだ僕は、ディアスの顔に思い切り投げつけた。

 

 『パンッ』という小気味のいい音とともに、ディアスの顔面にオートミールが張り付く。

 パイ投げの要領と全く同じだ。


 「え、エリアル…お前やりやがったな…」

 

 ファルスは青ざめた表情でそう言った。

 ディアスの隣で夕食を食べていたフェネや、神経質そうな見た目をした男ですら目を剝いて驚いている。


 「き、君…ディアスを怒らせちゃったね…きっと殺されるぞ?」

 「ファルスさん…これってかなり不味い雰囲気ですか?」

 「も、勿論だ。関わらない方がいいかもしれない…」


 ディアスの顔面に張り付いたオートミールがずり落ちていき、机の上に落下した。


 粘着性のあるオートミールに顔を覆われているディアスは、憤怒の表情で僕を睨みつけている。

 親の仇と対峙したかのような、怨恨の籠った視線を、僕は平然と受け止めた。


 「…殺してやる…」


 ディアスは短く一言そう言うと、机に落下したオートミールを思い切り拳で叩きつける。

 

 「ひゃ!?」


 衝撃によって粘着性の高いオートミールが周囲に跳ね上がった。

 さらに面白いことに、フェネや神経質そうな男の顔面に、オートミールが飛び散ってしまう。


 「ディアス…てめぇやりやがったな……」


 フェネは呆れたような顔で平然と受け流していたが、神経質そうな男は我慢できなかったようだ。

 お返しとばかりに、神経質そうな男はディアスに向かってオートミールを投げつける。

 しかし、投擲技術が皆無なのか、オートミールはディアスを大きくそれ、別の人間の後頭部に命中した。


 「んあ!?…なんだ…?」


 スキンヘッドの男は自身の後頭部を触る。

 彼の手にはドロドロのオートミールが付着していた。


 「やべぇ…」


 神経質そうな男は、まずい状況に陥ったと悟り、速やかに何処かへ去っていく。

 

 「イタズラか?しょうもねぇな」


 状況を理解したスキンヘッドの男は、目の色を変え、勢い良く立ち上がった。逞しい二の腕にはタトゥーがびっしりと書かれており、見た目はかなりいかつい。


 周囲に視線を通わせた後、スキンヘッドの男は拳がオートミール塗れのディアスに注目する。


 「お前か…」


 殺気を目に宿したスキンヘッドの男は、次の瞬間、ディアスの顔面を思い切り殴った。

 スキンヘッドの男はディアスがオートミールを投げてきたと勘違いしたのだろう。

 角度的に誤解しても仕方がない。


 「グハッ……!?てめぇ…な、にしやが…る」


 殴られる心当たりが全くないであろうディアスは、顔面を押さえながら狼狽している。


 うわぁ、もろに直撃してるよ…。これはだいぶ痛そうだ…。

 案の定、ディアスの足取りは次第にふらついていき、ついには気絶してしまった。

 大きな衝撃音とともに、巨漢のディアスが地面に倒れ込む。

 彼は泡を吹いていた。


 「チッ…。イライラするなぁ…。二度と愚行を侵さないように、俺の恐ろしさを体に覚えさせてやる…」


 満足しきれなかったスキンヘッドの男は、自身の感情の捌け口となるであろう、気絶しているディアスに向かってもう一度拳を振るおうとした。

 流石にもう一発食らうのは不味いだろう。

 下手したら死んでしまうかもしれない。


 「おいそこのスキンヘッド。これ以上殴るのはよしたほうが良い」 

 

 僕は親切心で彼に警告してあげたのだが、なぜか逆上された。


 「あ?だったらお前が代わりに殴られたいのか?」

 

 別にそういう事を言っているわけではないのだが…。

 この刑務所には言語力が乏しい奴しかいないのだろうか?


 僕はスキンヘッドの男に向かってため息を吐く。

 それを、スキンヘッドの男は自身に対する挑発行為だと誤解したのだろう。

 僕には全然そんなつもりはなかったんだけどね。


 「なんだお前?舐めているのか?…おい!お前らこっちに来い。少しは楽しめそうだぞ…」

 

 スキンヘッドの男はニヤリと笑うと、自分のグループから四人の仲間を呼んだ。

 ガタイの良い男たちは顔を見合わせると、ガラの悪い笑みを見せ、こちらにゆっくりと向かってくる。


 「看守に見つかると面倒くさいからなぁ…。バレないよう、全員で囲めばボコボコに殴れるはずだ」


 スキンヘッドの男は下衆の笑みを浮かべると、仲間の囚人達に命令を下し、大勢で僕を囲んできた。

 集団リンチにするつもりなのだろうか?この刑務所の治安は予想以上に悪いようだ。


 「やめてくれザール!こいつは今日ここに来たばかりの新入りなんだ!今回ばかりは勘弁してくれ」


 集団で僕を殴ろうとしてきた囚人達をファルスは慌てて止めに入る。

 僕を庇ってくれるのだろうか?ファルスという男は優しくて親切心に溢れているようだ。


 「そこをどけ。ファルス…」


 ザールと呼ばれたスキンヘッドの男はそう言うと、ファルスの顔面目がけて思い切り拳を振った。


 固く握られた拳がファルスの顔面に迫っていき……。


 仕方がない。

 僕のことを庇うつもりだったようだし、彼の優しさに応えて、今回ばかりは助けてやろう。


 上半身の力を抜き、回旋運動で体を捻りながら僕は地面に倒れる。

 両手で手をついた僕は、骨盤を軸にし、右足をスキンヘッドの顔面目掛けて思い切り振り上げた。


 「ガホォッ!?な、なんだッ!?」


 姿勢を低くした攻撃は相手に見つかりずらい。

 死角からの予想外の攻撃に戸惑いが隠せない様子のザール。ファルス目掛けて振るわれた拳だったが、顔を蹴られた衝撃で軌道が逸れる。


 さて反撃してやろうじゃないか。


 僕はベストタイミングを逃すことなく、流れるような動作でザールの筋肉質な両足を薙ぎ払った。


 「は!?」


 彼は未だに状況が理解できていないようだ。

 地面に倒れこんだ彼の顔面に向かって、僕は思い切り拳を振るった。


 「グハッ…」


 ザールはうめき声を漏らすと、すぐさま気絶する。

 彼の仲間やファルスは、目の前の状況が信じられなかったのか、目を剝いて驚いていた。


 「う、嘘だろ…体が何倍も大きい相手を物ともしないなんて…」

 

 フェネも目の前の状況が信んじられなかったようだ。

 僕に対して恐れとも捉えられる視線を向けたのち、セルの方へと視線を送った。


 「エリアル先輩の手にかかれば、一対一の喧嘩で負ける相手はいませんよ。エリアル先輩は特務警察の中でも特出した戦闘力を誇りますからね」

 

 誇らしげに話すセルの話を聞いていたザールの腰巾着達は、ようやく状況が理解できたようだ。


 「ざ、ザールさんがのされただとッ!?お前ら気をつけろ!こ、こいつは予想以上に強いぞ!」


 適切な距離を取った後、すぐさま僕を囲むようにして隊列を再構築する四人組。


 「全員で襲い掛かれば勝ち目はある…お前ら行くぞッ!」


 一人の男の掛け声により、四人組の巨漢たちが僕に向かって一斉に襲い掛かってくる。

 面白い展開になってきた。


 「エリアル!逃げろ!」


 ファルスは僕のことを心配して声を張り上げていたが、安心してほしい。

 僕がこのレベルの人間たちに負けるわけがないのだ。


 腰巾着Aの拳をひらりと躱し、伸びきった二の腕を掴んだ僕は、彼の関節を反転させ、思いきり膝蹴りの一撃をいれた。


 『ボキッ』という鈍い音とともに、彼の右腕があらぬ方向へと曲がる。


 「ぐぁぁあ!?」


 腰巾着Aはあまりの痛みに我慢できなかったのか、地面に倒れこんだ後、騒がしくのたうち回っていた。

 この時点でかなり派手に喧嘩していたためか、僕たちは結構目立っている。

 このままでは看守に見つかり、大事になってしまう可能性があったのにも関わらず、僕はザールの残党たちをボコボコにしていた。


 人に注目されていようが、看守を呼ばれようが、その時の僕はあまり気にしていなかったのだ。


 突っ込んでくる腰巾着Bの袖を掴み、相手の勢いを利用して体格差のある男を軽々なげる。

 腰巾着Bは数メートルほどぶっ飛ぶと、アルミニウム製の机の上に落ちた。

 派手な音を立てながら、机の上に乗っているオートミール達を吹っ飛ばしていく…。

 

 「だ、誰だテメェ!?ふざけてるのか!?」


 机を使っていた囚人達に殴られる腰巾着B。

 ここで新たな喧嘩が勃発した。 


 「ち、違う!俺じゃねぇ、あいつが投げてきたんだ!!わざとじゃ…グハッ…」


 顔面を殴られ、気絶する腰巾着B。

 少し可哀想だが、僕を集団リンチにしようとしてきた君たちが悪いのだ。


 「戦闘中によそ見は駄目だよ」


 残るは腰巾着CとDのみだ。

 彼らの視線はリンチにされている仲間のもとに行っていた。


 「お前何しやがる!?ふざけるなよ!」


 腰巾着Bを助けに行こうと慌てて駆け出した腰巾着Cの足を、僕の右足で引っ掛け、盛大に転ばせる。


 我ながら性格が悪いと思う。

 僕はうつ伏せになって倒れている腰巾着Cの首を手刀で思い切り叩いた。少しはおとなしくしていてほしい。


 「だからよそ見するなって言ったじゃないか」

 「なんなんだお前は!?どうしてそこまで強いんだッ!?」


 残るは残るは腰巾着Dのみ。

 ファルスやフェネは固唾をのんで僕のことを見守っていた。 


 「僕はあらゆる武術に精通している。躯柔術、カボエルラ、近代式護身術、その他数え切れないほどの体術が頭の中にインプットされている。君たちごときが僕に勝てるわけないじゃないか」

 「クソッ…俺だって武術には精通しているんだ!舐めるなよッ!!」


 圧倒的な力の差をまだ理解できないのか、僕に突撃してくる。


 「君は基礎に忠実だね。だから動きがとっても読みやすい…」


 体の重心を地面に落とし、低い姿勢のまま、腰巾着Dの足を僕の足で薙ぎ払った。


 「ッ!?」


 目を見開き、バランスを崩した腰巾着Dは地面に激突しそうになる。

 その隙を逃すことなく奴の袖を掴んだ僕は、勢いを利用し、円弧状に男を投げ飛ばした。


 「グハッ!?」


 腰巾着Dは腰巾着Bをリンチにしている別グループの集団に激突する。

 

 …ね、狙い通りだ。うん。


 「痛ぇ…また人が飛んできやがった…今日は奇妙な日だな…」

 「おい兄貴!ラマルブが気絶してるぞ、奴だ!さっきから人を投げてくる野郎は奴に違いない!」


 今更気づいたのか…。こいつら相当バカだな。

 

 「クソッ、舐めやがって…これでも喰らいな!」


 馬鹿女は僕に向かって、オートミールの乗った数々の皿を投げてきた。

 平静とした態度で、僕は飛来してくるオートミールを四方八方に弾き飛ばす。


 「うわ!」


 『ベチャッ』という粘り気の高い音とともに、弾き飛ばされたオートミールの一つがフェネの顔面にこびりついた。

 

 「もう!顔が汚れるじゃないか!!」

 「エリアル先輩…最低ですね」

 「ご、ごめん…」

 

 セルは呆れた視線で僕を見つめてきている。僕にはセルが考えていることが手に取るように分かった。

 『コイツまた問題起こしてるよ。ハァ、やれやれ』的なことを思っているのだろう。


 フェネには悪いことをしたと思うが、元はと言えばオートミールを投げてきた馬鹿女が悪いのだ。


 「な、なんだ!?…ッ…オートミール!?お前が投げたんだな?」

 「ち、違う俺じゃねぇ!向こうから飛んでき……グハッ!!」


 被害が二次被害をよび、食堂は収集がつかなくなっていく。

 気がつけばあちこちで粘性の高いオートミールが飛び交っていた。

 

 流石に食堂の外で待機していた看守も異変に気がついたのだろう。

 ちょっとやそっとの喧嘩だと普段は黙認しているのだろうが、こうも事態が大きくなってしまえば、看守も出動するしかない。


 「エリアル!危ない!」


 ファルスはそう言うと、オートミールを投げつけてくる馬鹿女を殴り飛ばした。

 ここは刑務所だ。女だろうが子供だろうが危害を加えてくるならば等しく撃退するべきである。


 「あ、ありがとうファルス」

 

 ファルスの拳の強さに度肝を抜かれた僕。

 薔薇の剣に所属していた元傭兵も伊達じゃないようだ。


 「看守が来たぞ!」


 すると、囚人のうちの一人が全員に警告した。

 食堂の入り口から騒ぎを聞きつけた看守がなだれ込み、手当たり次第にテーザーガンを発射し始める。


 「総員!速やかに騒ぎを鎮圧せよ!被害を最小限に抑えるのだ!」


 一人の看守がテーザーガンの銃口をファルスに向けていた。

 

 撃たれても死にはしないが、数日は筋肉が麻痺するほど強力で痛いタイプのテーザーガンだ。

 逆上したセルに何度か打たれたことがあるので、テーザーガンの痛みは良く知っている。


 仕方がない…ファルスはいい奴だし、助けてやろう。


 オートミールが乗っていたプラスチック皿が画面に落ちていたので、僕は皿を掴むと、テーザーガンの射線を遮るように投擲した。

 フリスビーディスクと同じ要領だ。


 『チュンッ』という音とともに、電極がテーザーガンから放たれる。

 テーザーガンの射線状にはファルスが存在しているが…。


 「なッ!?防がれただとッ!?」


 僕が投擲したプラスチックの皿に電極が突き刺さった。

 銃とは異なり貫通力が無いため、プラスチックでも防ぐ事が出来るのだ。


 驚愕している看守の隙をつき、彼の死角から僕は一撃をいれる。

 

 「グアッ!?」


 うめき声を上げた後、看守は地面に倒れた。

 大丈夫…。姿は見られていないから後々問題になることはないだろう。


 僕はそう思っていたのだが…。


 「あの囚人が看守を殴ったぞ!おい!とっ捕まえろ!」


 運の悪いことに、他の看守に見つかってしまった。


 やばいどうしよう…。これ以上騒ぐ前に奴を口封でもしておくべきか?


 僕が焦っていると、見かねたファルスが声をかけてくる。


 「抵抗するのはよしたほうがいい。これ以上問題を起こすと面倒になる…」

 

 やっぱりそうだよな…。

 

 僕は抵抗することを諦め、素直に両手をあげる。

 

 「あいつだ!捕まえろ!」


 看守の一言とともにテーザーガンが放たれた。

 電極は僕の首へともろに辺り、キツい痛みによって地面に膝をついてしまう。


 抵抗すればテーザーガンなんか無効化することもできるが、これ以上大事にならないためにも、ここは素直に鎮圧されておこう。

 

 ため息を吐いた僕は密かにそう思ったのだった…。

 

 

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