第11話

 学校を出たわたしたちは、江ノ島駅にいた。


「二十分くらい移動するけど平気?」

「はい、大丈夫です」


 江ノ島電鉄、江ノ島駅。カントリー風の駅舎のなか、二番ホームのベンチに座って電車を待つ。

 風丸くんは襟元とネクタイをゆるめてうちわをぱたぱたと仰いでいる。その風がわたしのほうまで流れてくるので、意図せず涼しさお裾分けしてもらっている。

 とはいえ、ここまで十五分ほど歩いた結果、背中や首元は汗だく。さすがに暑いので、鞄の外ポケットからゴムを取り出して髪を結わえる。


「……なんか新鮮だな。いつも下ろしてるから」


 彼は珍しい動物を見るようにわたしの髪を眺める。


「下ろしているほうが落ち着くんですけれど。今はすごく熱がこもっているので、結んじゃいました」

「そっか」


 ――沈黙が流れる。間延びした蝉の鳴き声と、ぱたぱたといううちわの音がひときわ際立って聞こえる。


「そんなネックレス、してたんだ」


 風丸くんの視線は、引き続きわたしの首元にあった。

 髪をあげたことによって、ネックレスのチェーンがよく見えるようになったのだと気づく。


「あっ、そうなんです。これはその……気に入ってて。いつも着けてます」

「……誰かからもらったのか?」

「えっ」


 切れ長の目を細めて、なんだか怒ったような様子の風丸くん。何か悪いことでも言ってしまったかしらと、ドキリと緊張が走る。


「い、いえ。わたしが生まれたとき、お祝いとしてもらったものです」

「なんだ、そういうことか」


 怒ったような不機嫌らしさはパッと消えて、むしろ彼はどこか嬉しそうな顔をして正面に向き直った。

 それを不思議に思いながら、このネックレスのことをふと考える。


 ――魔女の子どもは、石を握りしめて産まれてくる。その石は神様からの祝福と考えられていて、その子にとって幸福のアイテムとなる。髪飾りに加工したり、指輪にしたり、わたしのようにネックレスにしたりと形は様々だけど、一生肌身離さず身に着けて過ごすのが魔女の里での慣習となっている。


 これが常識だったから、洋子さんから「人間の子どもは石を持って産まれないのよ」と聞いたときは驚いた。

 そして珍しいことに、わたしの石は真珠だ。真珠とは宝石であり、普通の石ころを持って産まれる子どもが大多数のなかで、非常に稀なことらしい。

 そう思うと、わたしの人生は生まれた瞬間に運を使い果たしたのかもしれない。


 そんなことを考えていると、列車が近づいていることを知らせるアナウンスが流れ始めた。


「来たな。これに乗るぞ」

「はい」


 ガタンゴトンという走行音とともに、緑と黄色の配色をした車両がホームに入ってくる。

 江ノ電は二両編成でこぢんまりとしている。彼の後について車内に入り、シートに腰をおろす。

 県内の高校は今日が終了式だ。それもあってか、車内は制服を着た人が多い。あとは地元住民のような人がぱらぱらと座っている。

 車内はクーラーが効いていてとても心地がよかった。緊張からか、暑さからか。背もたれに身を預けると一気に疲れが出たような気がして、思わずふうとため息が漏れた。


 ◇


 窓の向こうに流れる海を眺めていたら、あっという間に時間は過ぎた。

 わたしたちが下車したのは、鎌倉駅だった。駅舎は江ノ島と同じカントリー調。江ノ電の駅はすべてこうなのかしら。


「鎌倉、小早川はよく来る?」

「いえ。名前は知っていますけど、初めて下りました」

「そっか」


 西口と書かれた出口から外に出る。時刻は十三時近い。頭の真上にある太陽が、刺すようにわたしたちを照り付けた。


「店はすぐだから。もうちょい我慢して」


 少し前を歩く風丸くんが、わたしを気遣うように声をかけてくれた。


「わたしは大丈夫です。それより、ずっと荷物を持ってもらっちゃってすみません……」


 彼はずっとわたしの重たい鞄を持ってくれている。この暑い中、たいへんな重労働をさせてしまっている。何回か「自分で持てますから」と言ったんだけれど、彼はそのたびに断った。


「このくらい全然平気だから。普段部活でめちゃくちゃ走りこんでるし」

「……」


 またこの台詞だ。しかしそうは言っても、風丸くんはすごく汗をかいている。クーラーの効いていた電車内でさえ、しょっちゅうタオルで顔を押さえていたくらいだ。

 パーマのかかった髪の下から頬を伝う汗。目で追うと、とても肌が綺麗なことに気づく。


「な、なんだよっ。本当に平気だから! あんまし見んなって!」

「……すっ、すみませんっっ!!」


 噛みつくように叫んだきり、彼は言葉を発しなくなってしまった。

 なんとなく気まずい空気が漂い始め、わたしたちは黙々と歩いた。


「――着いた。ここだ」

「はい」


 しばらくして彼が足を止めたのは、道沿いの他の建物と比べて、ひときわ緑が豊かな区画だった。

 敷地入口のアーチには蔦が絡まり、背の高い木が覆いかぶさっている。それを眺めながら中に進むと、煉瓦でできたアプローチにもさまざまな植木鉢が置かれ、ひざ丈の植物が生い茂っている。非日常を感じさせる雰囲気に驚きながら進んでいく。

 店の入り口前にはモノトーンの立て看板が二つ出ていて、そのうちの一つに「鎌倉ガーデンカフェ」と書いてあった。もう一つはメニューのようだ。


 風丸くんがドアを開けると、リンとベルが鳴る。少し離れた場所にいる店員さんがこちらに気づき、「お好きな席へどうぞ」とにこやかに言った。


「テラスのほうが眺めがよさそうだけど……暑いから中にするか?」

「風丸くんの好きなところで大丈夫です」

「……じゃあ、中で。今日はほんとうにあちぃな」


 二方向がガラス張りになった店内は、とても開放感があった。ランダムに置かれている座席はすべてデザインが異なっている。ソファーもあれば、北欧風の椅子もあり、祖国にあるような和風な長椅子もあった。

 ガラスの向こうにはパラソルがついた屋外テラスも見え、確かに緑が素敵な席だと思った。だけど、彼の言う通り今の季節はちょっと厳しいものがありそうだ。実際、そこを利用しているお客さんは一人もいない。


 風丸くんが選んだのは、ベロアの生地が張られたソファー席。背もたれにはパンチが加工されていて、可愛らしいデザインだ。

 おしゃれすぎる空間に緊張を覚えながら、彼の正面に腰を下ろす。


「ほい。これがメニュー」

「あっ、すみません」


 メニューを受け取るときに、うっかり風丸くんの手に触れてしまうと、彼はこちらがびっくりするほど手をはねさせて驚いていた。

 手渡された白いメニュー表を開き――わたしは目を疑った。

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