第10話
一学期の終了式を終えた教室は解放感に溢れていた。
早々に帰宅する子もいれば、教室に残っておしゃべりに花を咲かせている子たちもいる。小桃ちゃんは友達とカラオケに行くって言ってたっけ。
わたしはロッカーの中身をすべて持ち帰ろうと荷物をまとめているところ。夏休みじゅう学校に置いておいては、またイタズラされてしまうかもしれないから。
通学鞄に力いっぱい教科書を押し込んでいると、後ろから声がかかった。
「おい小早川」
「……? あ、風丸くん」
振り返ると、右肩にリュックをかけた風丸くんが立っていた。
パーマがかかった長めの前髪から、切れ長の目がのぞいている。いつもはちょっと怖くもみえるその目は、落ち着きなく左右に動いていた。
「あのさー……俺……」
話し出した風丸くんだったけど、言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
いったい何だろう。でも、彼がわたしに話しかけることと言えば、プリントを回すときの相槌か、あの言葉しかないことを思い出す。
「あの、もしかして。今日は部活がお休みなんですか?」
「……っ! そ、そうだけど……!」
どうやら当たったらしい。風丸くんは焦ったように表情を崩した。
ちょっと間を取ってみるけど、彼は顔を赤くしてうつむいてしまった。しばらく続きの言葉はなさそうに思えたので、わたしは例の返事を口にする。
「あの、わたし、このあと予定がないんです」
「えっ!?」
わたしの言葉を聞いた途端、彼は信じられないものを目にしたような顔をした。そして「まじかよ」「どういう風の吹きまわしだ? 夢じゃないだろうな」などとぶつぶつ呟き始めた。その様子を見て、急に不安になってくる。
「風丸くん……? ごめんなさい、わたし変なこと言いましたか?」
「いいや! 全く変じゃない!!」
言い終わるかどうかというところで、かぶせ気味に返事をする風丸くん。その勢いに驚いたけれど、彼はすごく嬉しそうな顔をしていることに目を奪われる。
それは普段友達の輪にいるときの笑顔と比べて、どこか少しだけ違う笑顔に見えた。
「じゃ、じゃあさ。このあと飯でも行かない?」
笑顔はすぐに消えて、また照れくさそうな顔に戻る。さっきと違うのは、顔は地面のほうではなく、しっかりわたしのほうを見ていることだ。
「ご飯、ですか」
彼の言葉を繰り返す。
終了式が終わって今は十一時半。魚心亭に帰って昼食にしようと思っていたけれど、このあと彼となにかするならば、その前に昼食というのは自然な流れだろうか。
洋子さんは彼に任せたらいい、島の閉門までに帰ればいいと言っていたから、とりあえずそうするべきかもしれない。
「わかりました。ご飯、行きましょうか」
「! お、おう……!」
「だけど、すみません。わたしは江ノ島以外の飲食店に詳しくないんです。どこか当てはありますか……?」
「それは平気。小早川、好きな食べ物ってある? 逆に苦手なものとか」
「特にありません。なんでも美味しく食べられます」
残飯で育ったわたしは好き嫌いなどない。きちんとした食事にありつけるだけで十分満足だ。洋子さんの美味しい食事を思い出すだけで頬が緩んでしまうぐらいには、今の食生活に大きな幸せを感じている。
今朝のお味噌汁も揚げ茄子がいい仕事をしていて、また一つ食の新境地を見た気持ちになったばかりだし……。
「正面からだとヤバイな……。俺、これから耐えられるかな」
ぼそっと何かつぶやく声が聞こえて、はっと我に返る。
「すみません、ぼうっとしてしまいました。今なにか言いましたか?」
「いっ、いいや。なにも言ってない。じゃ、とりあえず学校出ようぜ」
「わかりました」
ポケットに入れたスマホを取り出し、洋子さんへ「風丸くんと出かけることになりました」と一言連絡を入れる。
ぱんぱんに中身の入った鞄を持ち、教室を出る彼の後をついていく。
「……なんだよ、それ。すげえ重そうだけど」
ちらりとこちらを振り返った風丸くんが、呆れたようにわたしの手元を見る。
「ロッカーの中身が全部入ってるんです。もっと大きい鞄を持ってこようと思っていたのに、うっかり忘れてしまって……」
昨夜は箒づくりに熱中してしまい、例によって夜更かししてしまった。目覚まし時計で飛び起きたあと、反射的にいつもの鞄を持って登校してしまったのだ。
チャックが閉まらなくて、中身が丸見えになっている通学鞄。今からご飯に行くというのに、相手がこんな感じで申し訳ない気持ちになる。
「貸して、それ」
「これ、ですか。はいどうぞ……?」
彼の目線の先にある、丸々と太った鞄を差し出す。
と、彼はそれを軽々と左肩にかけた。そのあとなにか起こるのかなと思ったけれど、彼はすたすたと廊下を歩き始めた。
「えっと、風丸くん?」
「……俺が持つよ。大変だろ」
「えっ」
彼の言葉に目を丸くする。
ちらっとわたしを見た風丸くんは、すぐにぷいっと顔をそむけて先を急ぐ。
「……」
彼の大きな背中を見つめながら、わたしは胸に不思議な感覚を感じていた。
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