第19話

 イリーナが通された部屋は、まるで中世の応接間のような趣きだった。

 壁には古めかしい肖像画が飾られ、赤い絨毯が踏みしめるたびに不穏な音を立てる。

 部屋の奥には、ふんぞり返ってワイングラスを傾ける男の姿があった。


「ほう……これが噂の闇魔法使いか。いい女だな」


 不遜な口調でそう呟いたのは、アルトハルト子爵。

 茶色い髪をオールバックにしており、刺繍の豪華な上着をまとっている。

 ただ、その目は貪欲にギラギラと光っていた。


「わざわざ呼びつけた理由は何? “契約書”を潰したいんでしょう?」


 イリーナは鋭い口調で問いかける。

 子爵はニヤリと笑い、グラスをテーブルに置いた。


「ご明察。あの転生弁護士の書く契約書は、我々にとって実に厄介な代物だ。何しろ、冒険者たちがあれを神経質に使い始めたせいで、いろいろ“うまみ”が減ってしまったからな」


「“うまみ”ってのは、不当な報酬のピンハネとか、軍資金の横流しとか、そういうことかしら?」


 イリーナのあからさまな挑発に、子爵は少し顔を歪めるが、すぐに笑いに変える。


「ははっ、ずいぶんと大胆に言うね。だが、悪くない。闇魔法使いというのは、もっと世の中を斜めから見るぐらいのほうがいい。……まあ、仮にそんな“うまみ”を多少いただいていたとしても、世の中とはそういうものさ」


 子爵は軽く肩をすくめる。

 あくまで“まっとうな取引”を装っているつもりかもしれない。

 しかし、その奥底には悪意の塊が見え隠れしている。


「それで、私に何をさせたいの? 私が闇魔法を使えば、その契約書がどうにかなるとでも?」


 イリーナが冷たく問いかけると、子爵は指を鳴らしてギュンターに合図を送った。

 ギュンターは扉の外へ出て行き、何かを運んできた。それは一枚の羊皮紙。


「これは、討伐隊契約書の“改訂版”だ。もちろん、あの転生弁護士が作った真正な契約書じゃない。だが、見た目はそっくりに仕上げてある。これを……そうだな、何とかして本物と差し替えたいんだよ」


 イリーナはその羊皮紙を手に取るふりをして、ちらっと目を走らせる。

 そこには、かなり都合の良い条文が書かれていた。

 例えば“貴族の指示に従わない冒険者は報酬を没収する”といった理不尽な項目まである。


「やり口が幼稚ね。誰がこんな怪しい文書を信用するの? あいつが黙っていると思う?」


「我々としては、冒険者にとって“都合が悪い内容”を、すべてイリーナ殿の闇魔法の力で隠蔽してもらいたいのだ。闇魔法には、敵の記憶を混乱させたり、書類に暗示をかける呪術的な術式があるのではないかね?」


「……そんなもの、あるとでも?」


 実際、闇魔法の中には人心を惑わす系統もないわけではない。

 だが、それを悪用すれば罪に問われるのは明白だ。

 王国憲法第25条には「魔法の悪用による他者支配の行為は禁止される」と明記されており、日本の法律でいえば詐欺罪や強要罪に近い扱いとなる。


「もし、俺たちの願いを聞き入れてくれたなら、報酬は思う存分支払おう。闇魔法を使える者は希少だ。お前に不自由な思いはさせない。……どうかな?」


 子爵の瞳がいやらしく光る。

 イリーナは、その光を軽蔑するように見返した。


「なるほどね……いいわよ。話だけは乗ってあげる。だけど、その前にいくつか条件があるわ」


「ほう……聞こうか」


 イリーナは心の中で“ここが正念場だ”と念じながら、冷静な口調で条件を列挙する。

 もし子爵がすべてを了承するようなら、そのやり取りが貴重な証拠にもなる。

 そして、その間にも俺たちが駆け込める隙を狙っているのだ。


「私が闇魔法を使うには特別な触媒と空間が必要。ここじゃ足りないものばかりね。それをすべて揃えてくれるなら、やってあげなくもないわ」


 その挑発的な言葉に、子爵は腹の底から笑い声を響かせる。


「ふははは! いいだろう。揃えてやろうじゃないか。ギュンター、すぐに手配しろ。闇魔法でこの国を我々の思うままに操ってやるのさ!」


 絶好の悪役っぷりを見せる子爵。その姿こそが、まさに“極悪”というにふさわしい。

 こうしてイリーナは、子爵らの最悪な計画を引き出すことに成功する。

 あとは、俺たちがタイミングを見計らい、この洋館を押さえ込むだけ――。


 だが、その時、子爵の目配せに気づいたギュンターが、こっそりと扉を閉ざした。

 そして複数の兵士がイリーナを取り囲む。


「もしかして、全部録音や記録しているんじゃないだろうな? お前の仲間が近くにいるような気配がするが……」


 まるでこちらの存在を嗅ぎ取ったかのようだ。

 イリーナの心臓が高鳴る。

 外で待機している俺たちと合流できる前に、囲まれてしまえば不利だ。


「フフフ……まあ、ちょっと確かめさせてもらおうか。イリーナ殿、動かないでいただきたい」


 ギュンターが片手を上げると、兵士たちが一斉に剣を抜く。

 イリーナは唇を噛みしめた。


「やるじゃない……ちょっとだけ見くびってたわ」


 果たしてこの場を切り抜けられるのか。

 外で構える俺たちとの連携はうまくいくのか。


 闇に包まれた洋館に、息が詰まるような緊迫感が漂う。

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