第10話 居場所をくれた殿下
アルギエバの提案に宝石商が慌てて声をかける。
「だ、旦那様。そんな奴をお屋敷に連れて行くのは、どうなんでしょう。ゴロツキですよ。汚い男です。旦那様の品位が」
「ああ? てめえには関係ねえだろ」
アルギエバに睨まれ、宝石商はそのでっぷりとした体を一回り小さくした。
「だいたいよぉ、さっきから聞いてりゃ、なんなんだお前」
「ひっ」
アルギエバが踏み込んだ分だけ宝石商は後ずさる。
「お前は他人にとやかく言えるような人間なのかよ。暴力ふるって、悪口言ってよぉ、お前の方がよっぽど悪人だろ」
「し、しかし旦那様。こいつが旦那様を騙そうとしたのは紛れもない事実です。連れて行くべき場所はお屋敷じゃなく、牢獄なのでは? こんな男を屋敷へ連れて行ったら、旦那様の周りの人間も黙っていないと思います」
「あー、あー、あー! うるせえなあ!」
アルギエバはシルマの脇に手を入れ、彼を無理矢理立たせた。
「っつ」
腹部の痛みにシルマは顔を歪める。アルギエバは自分の肩にシルマの腕を回して、彼の体重を支えた。
「行くぞ」
それを聞いた宝石商が何か言いたそうに口を開く。すかさずアルギエバは牽制した。
「俺はよぉ、誰と取引したいかっつったら、やっぱ正直で信頼できる奴が良いんだよ。こいつは正直だよなあ。嫌な過去の話も、俺を騙そうとしたことも、全部認めた。けど、お前はどうだ?」
背中を丸めた宝石商を見下ろしながら、アルギエバがたたみかける。
「お前はこいつと知り合いだったんじゃねえの? なんでこんな怪我するまでボコボコにすんだよ。おかしいだろ」
「知り合いではありますが、こいつはゴロツキですし」
「だからなんだよ。お前はそれを知ってて今まで付き合ってきたんだろ? なに急に手のひら返して攻撃してんだよ」
「それは、その、旦那様には不釣り合いな奴なので」
「は? じゃあ何か? こいつは俺のせいで怪我させられたっつー事?」
「い、いや、それは」
「あ? なんだよ、違うのか? 俺のせいかって聞いてんだよ。答えろよ!」
宝石商が小声で「勘弁してください」と呟き、アルギエバはチッと舌打ちした。
「あのなあ、俺は裏切り者が一番嫌いなんだ。簡単に裏切って、仲間だと思ってた奴を傷つけるのが一番許せねえ。お前がやってる事はそれなんだよ。反撃されたくなかったら帰れよ、クソが」
「でも」
「でもじゃねえんだよ。お前、俺が何者かわかってんだろ? だったらさっさと失せろ。お前を握りつぶす事くらい俺には簡単なんだよ」
宝石商は小さくうめいて、公園から走り去っていく。
「ふん。雑魚が」
アルギエバはシルマを抱えて歩き、暗闇の中ベンチに座らせた。
「おいお前、大丈夫か?」
「……うっす」
痛みをこらえてシルマは言った。深呼吸して吐き気をこらえる。
シルマはぼんやりと今後の事を考えていた。宝石商との関係はもう終わりだ。恨みを買っただろうから、彼と親交のある取引仲間にも悪い噂を流されるに違いない。シルマを見限る人だって出てくるだろう。バイヤーにとって人脈を失う事は死活問題だ。
肩で息をするシルマの隣にアルギエバも腰かけた。
「あんた、名前は? ……いや、俺から名乗るのが礼儀だな。俺はアルギエバ・アークトゥルス。あのオッサンが言った通り、アークトゥルス家の人間だ」
「ガチすか」
シルマはふとアルギエバに渡された布に付いていた紋章の事を思い出した。あれは皇族であるアークトゥルス家の紋章。シルマは大した馴染みもないが、この国で暮らしていれば何度か目にした事がある物だった。
「で、あんたは?」
アルギエバがシルマにぶっきらぼうに尋ねる。
皇族にしてはずいぶん荒っぽい言動だけど、シルマにとってはこの荒々しさが逆に心地良かった。皇族とは思えない胡散臭さに、少しだけ安堵する。
「自分、シルマっす」
正直に名乗るのもどうかと思う。だがシルマは偽りなく答えた。どうしてだろう。馴染みの宝石商に裏切られて心細かったのかもしれない。あるいは自暴自棄だったのかもしれないし、多少なりともアルギエバに心を開いていたからなのかもしれない。でも、理由なんてどうだって良い。ただ名乗りたかった。
シルマは痛む体をベンチに預け、真っ暗な空に輝く三日月を眺める。
「名前はシルマ、姓は無し。金も家族も無しっす。そちらさんと違って、天涯孤独のスラムのゴミっすよ」
「シルマはずっとスラムで生活してんの?」
「そっすね。物心ついた頃からスラムで物乞いしてるっす」
「ふぅん。……じゃあ、丁度いいな!」
「いや、何が?」
何でもいいから付いて来い、と言うアルギエバに連れられ、シルマはそのままアークトゥルス城に連れていかれた。部屋と仕事を与えられ、正式に城の職員扱いになる。
(なんで?)
アルギエバの考えなんてシルマには理解できない。けれど、これも何かの縁なのだろう。アルギエバが「雇う」と言ったら、城ではそれが受け入れられるのだ。
それはシルマにとって、初めて他人によって与えられた居場所と使命だった。
――現代。
厨房で一人黙々と罰掃除をしていたシルマは、ようやくひと通りの掃除を終えた。その時。
バタンッ!
厨房のドアが閉まる音が聞こえて、シルマは出入口を確認する。
「あれ、アル殿下。何してるんすか」
「リベルタスから逃げてきた。ちょっとかくまってくんない? あとついでにジンジャーエール頂戴」
「はいはい。お任せあれっす」
厨房の奥にアルギエバを招き入れ、飲み物を提供する。
「おう。わりぃな、シルマ」
「お安い御用っす。でもアル殿下、たまには逃げずに勉強した方が良いんじゃないっすかねぇ」
「あ? なんでそんなこと言うんだよ、この裏切り者め!」
「だって今のままじゃ完全にスラムのゴロツキじゃないっすか。公務にだって差し支えるし、この前だって侍女の若い子を怖がらせて泣かせてたっすよね。自分、知ってるっすよ」
「ケッ」
アルギエバはわざとらしく唇を尖らせて、シルマから顔をそらした。
「良いんだよ、別に。俺は皇位なんか継ぐ気はねえんだからよ」
「出たぁ〜、反抗期ぃ〜」
「うるせえ! ほっとけ!」
シルマは茶化したけれど、今までのアルギエバの態度を見ればその言葉も本気だとわかる。少なくともこの二年間、アルギエバが皇族という立場と真面目に向き合っている姿なんて一度も見たことがない。
(なんか理由でもあるんすかねぇ)
シルマはそう思いつつ、アルギエバに尋ねることはしなかった。彼の方から話してこないのならば聞く気はない。誰だって聞かれたくない話のひとつやふたつはあるものだから。
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