第9話 裏切り
「悪い、遅くなっちまった」
「ちぃーっす。大丈夫っすよ、オニーサン」
三日月の夜。
小さなランプをひとつ携帯して公園にやってきたシルマは、ベンチに座ってアルギエバの到着を待っていた。周囲への警戒も兼ねて一時間近く早く着いていたシルマに対し、アルギエバは三十分以上遅れて到着する。
「例のブツはここにあるっす」
シルマはそれっぽい宝石箱に偽の原石を詰め、風呂敷で包んで持ってきた。一度それを開封し、中身をアルギエバに見せる。
「へえ。早速見つけてくれて助かるぜ」
この暗闇ではシルマの持つ「アークトゥルスの原石」が本物かどうかなんて判別できないだろうが、アルギエバは気にしていない。やっぱりただの馬鹿な金持ちなのだとシルマは安堵する。
「なぁに、このくらいお安い御用っすよ! じゃあ、オニーサンのお金の方も確認させてほしいっす」
「良いぜ。ほらよ」
アルギエバも持っていた三つの巾着袋の口を開き、中身をシルマに見せた。無造作に入れられた沢山の札束からは、お金としての威厳がまったく感じられない。それがまたこの取引にはピッタリだとシルマは思った。
「じゃあ取引成立って事で良いっすかね」
「――待ちな」
不意にシルマを遮ったのは、目の前にいるアルギエバではない。
公園の暗闇から、何者かがランプも持たずに近づいてくる。
「旦那様、はじめまして。私は宝石商をしているモーリアという者です」
「え?」
シルマは思わず声を上げた。アルギエバに丁寧に挨拶をしたのは、シルマが昼間「アークトゥルスの原石」の偽物を買い付けに行った、あの宝石商の男だったからだ。
男はシルマなど眼中になく、アルギエバの前で深々と頭を下げている。
「あん? なんだお前」
アルギエバは大金の入った巾着を脇にかかえ直した。シルマとアルギエバの間に立ちふさがった宝石商は、シルマを指さしてアルギエバに訴えかける。
「騙されてはいけません、旦那様。この男の持っている石は『アークトゥルスの原石』ではありません」
「何?」
「なっ、ちょっと!」
宝石商はシルマなど見向きもしない。
「この男は私から適当な原石を買いました。それを旦那様に『アークトゥルスの原石』だと偽って売りつけようとしているのです。旦那様、この男を信用してはなりません」
「ちょ、なんてこと言ってくれるんすか!」
シルマは慌てて宝石商の肩をつかむ。宝石商はそのボンレスハムのような腕を振り回し、シルマを力いっぱい突き飛ばした。
「いって」
「触るなよ、この腐れ外道が。他人をあざむき金を騙し取るゴロツキめ!」
宝石商は罵りながら、地面に倒れ込んだシルマの体に数発蹴りを入れる。シルマの細い体には内臓を守るほどの脂肪もなく、宝石商のつま先は簡単に急所に入った。
「ぐはっ」
反吐をはき、シルマは腹を押さえてうずくまる。
「あとをつけて来て正解だったよ。こんなゲスな取引をしようとしてるなんてな」
「……ぐっ」
うずくまったシルマの脇腹にまた宝石商の蹴りが入って、シルマは倒れ込んだ。
長い付き合いの取引相手がこんな事をするなんてシルマは信じられなかった。昼間は確かに親身になってくれていたはずなのに――。
(あ、あの布に関するデタラメ情報が嘘だってバレたっすかね)
この豹変ぶりは、そうとしか考えられない。築くのは難しい信用も、崩れ去る時は一瞬である。
敵になってしまった宝石商は、土下座する勢いでアルギエバに頭を下げている。
「旦那様。『アークトゥルスの原石』をご用命であれば、是非この私めにお任せください。私が確実に本物の原石をお持ちいたします」
アルギエバは目の前でへこへこする宝石商と、その後ろで呻き声をあげるシルマに交互に目を向けた。
「なあ。俺にはよくわかんねえんだけどよぉ、そっちのニーチャンは俺を騙そうとしてたってわけ?」
「そうです、そうです! その通りです!」
宝石商が猛烈に首を縦に振る。アルギエバはシルマに向けて問いかけた。
「って言っているけど、本当か?」
「えっ……と」
シルマは痛みをこらえて顔を上げる。
その視界に、にらみを利かせている宝石商が入った。その顔はもう、信頼なんて出来ない敵の顔だ。たとえこの場を取り繕っても、宝石商にすべて台無しされるだろう。もう無駄だ。なにもかも。
シルマが何も答えずにいると、宝石商はここぞとばかりにシルマを批判し始める。
「こいつはスラムのゴロツキなんですよ。口が上手いだけの信用出来ない男です。ガキの頃からスラムに居て、人を騙す事が染み付いてるんですよ」
宝石商は倒れ込んでいたシルマの長い髪を掴み、そのままアルギエバの前に引きずり出した。
「見てください。こいつ、女みたいな顔でしょう。元はスラムの汚い男どもに身体を売っていた男娼なんです。汚い男ですよ。旦那様のように高貴なお方が関わりを持つべき相手じゃありません。以降の取引はぜひ、私めにお任せください」
そのままヒョイと打ち捨てられ、シルマは唇を噛んだ。宝石商の言葉から幼き日の記憶がフラッシュバックし、目をぎゅっと閉じる。
まるで良い行いをしたとでも思っていそうな笑顔を作る宝石商に向かって、アルギエバは問いかけた。
「それで? あんたは信用できる人間なわけ?」
「それはもう! 宝石のA級取引者証も持っています! 多くの侯爵家との取引実績もあります!」
「へえ」
ランプを掲げ、アルギエバは宝石商を品定めするようにジロジロと眺める。
「でもよぉ、なんでそんなご立派な宝石商さんがわざわざ俺にかまうんだ? 関係ねえだろ。俺が『スラムのゴロツキ』に騙されたって、ほっときゃいいじゃねえか」
「いえいえ、そんなわけにはいきませんよ。だって旦那様は……ほら、……ねぇ」
「んだよ、言ってみろよ」
宝石商がもみ手をしながら腰を低くする。
「旦那様は、アークトゥルス家のお方……ですよね?」
アークトゥルス家。つまり、皇族である。
倒れていたシルマは目を見開いた。あんなガラの悪そうな取引相手が皇族だなんてあり得ない。
「へえ、なんでそう思った?」
「シルマが……いえ、あのゴロツキが、国宝のハンカチを持っているのを見ました。簡単に手に入る物じゃありません。あのハンカチは、旦那様があいつに渡した物ではありませんか?」
「ああ、これ?」
アルギエバがポケットから布を出す。
「こんなもん、たいしたもんじゃねえよ」
アルギエバはそのままシルマに近寄り、起き上がれずにいる彼の口についた血をその布でふき取る。
「なあ、お前。あっちのオッサンの言ってた話は本当か? スラムでの生活の事とかよ」
その問いはシルマの心の深い所にグサリと突き刺さった。アルギエバの覇気のない声色に、彼の同情を感じる。
同情されるのは好きではない。シルマの体に無意識に体に力が入った。口の中は血の味がする。
シルマは目の前で手を貸そうとしているアルギエバを押しのけた。
「はぁあ。そうっすよ。全部その通りっす。まったく、なんでバラしちゃうんすかね。せっかく新しい金持ちのカモを見つけたと思ったんすけど」
「お前……」
アルギエバの同情に満ちた目、ほどこしの手。上から与えられた善意が、暗闇にうずくまって罵られていたシルマを余計に虚しくさせる。取り繕いたいという気持ちすら湧いてこない。
シルマは持ってきた原石に手をかけた。
「ここにある『アークトゥルスの原石』も偽物っすよ。罰するならどうぞ、ご自由に。自分、なんでもするっす。投獄っすか? それとも奴隷にします? あ、夜の相手でも良いっすよ」
「……へぇ」
どうでもいいと言いたげなシルマに、アルギエバは頷いて言う。
「じゃあお前、俺んち来いよ」
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