第7話 シルマとの出会い
アルギエバ・アークトゥルス王太子。アークトゥルス帝国の皇位第一継承者である。
現皇帝のシリウス・アークトゥルスには五人の子どもがいる。その中で男子は末子のアルギエバのみ。その為、アルギエバは幼い頃から次期皇帝として厳しい教育を受けてきた。
……のだが。
(なぁーんで、アル殿下ってあんな感じなんすかねぇ)
城の厨房で働くシルマは、シンクをクレンザーで磨きながら物思いにふけっていた。先日の入れ替わり大作戦の失敗を受け、シルマは現在一週間の罰掃除を遂行中である。
一日の厨房の使用が終わった夜十一時すぎ。
元凶のアルギエバは今頃、リベルタスによる夜の課外授業を受けている事だろう。ただ、あのアルギエバが大人しく言う事を聞いているかどうかは、はなはだ疑問である。
(アル殿下って、皇位継承者として礼儀作法を学んでるはずっすけど、言動が完全にスラム街のゴロツキなんすよねえ)
シルマが初めてアルギエバに出会った時、シルマはまさか彼が皇族だとは思わなかった。それほど彼は品位とかけ離れていたのだ。
二人の出会いは二年前。
スラム街で日銭を稼いで生きていたシルマが、たまたま通りかかったアルギエバを騙そうと声をかけたのが始まりである。
――二年前。
「オニーサン、オニーサン! 見ない顔っすねえ! 旅行っすか?」
シルマはスラム街を一人でフラフラする身なりの良い男に声をかけた。その男こそアルギエバである。
薄汚れたボロ布を身にまとうスラムの住人たちとは違い、アイロンのかかった綺麗な服を着ていたアルギエバ。金目の装飾品こそ身に付けていないが、安定した生活を送っている事は伺い知れる。
アルギエバは突然話しかけてきたシルマに対して警戒する事も無く、フランクに返事をした。
「ああ。この辺りに闇市があるって聞いて来たんだけどよぉ、あんた知ってるか?」
「もちろんっすよ! オニーサンも何か買いたい物があるんすか?」
闇市なんて大それたものではないが、スラム街には沢山のブローカーが居て、一般には流通しない品物を手に入れられる。その情報を元にスラム街へ足を踏み入れた一般人は、スラムの人間にとっては良いカモだった。もちろんシルマにとっても大事なメシのタネである。
「まあな。で、その闇市ってのはどこにあるんだ?」
シルマは本日のカモであるアルギエバの懐にズイと進み出る。
「チッチッチッ! 駄目っすよぉ、オニーサン。そんな余所者発言しちゃあ」
「あん?」
「ここはスラム街っすよぉ? 油断してるとカモられるっす。ほぉら、周りをよく見るっす」
シルマに促され周囲を確認したアルギエバは、周りをウロつく人間どもが一斉に自分に視線を向けている事に気づいた。全身を舐めるように見られ、納得して声をひそめる。
「ああ、なるほどな。でもよぉ、それじゃあ、どうしたら良いんだよ」
「んー、そうっすねぇ」
シルマはニヤリと笑ってアルギエバに耳打ちする。
「実はっすね、自分もこの界隈では結構名の知れた商売人なんすよ」
「お前が?」
「そっす、そっす。ま、これも何かの縁っす! 困ってるオニーサンをほっとくのもアレなんで、自分が仕入れてきてあげても良いっすよ」
「でもよぉ、そんな簡単に調達出来るもんなのかよ」
「まあ、ホントは予約でいっぱいなんすけど、オニーサンは自分と年も近そうだし、気に入ったんで、特別にどうにかするっす」
「本当か! それは助かるぜぇ」
シルマの誘いに、アルギエバは疑いもせず乗っかってくる。単純すぎるカモ。シルマは思わず笑みをこぼした。
これがシルマの「商売」の常套手段だ。
闇取引に不慣れな相手から依頼を受け、独自の裏ルートで商品を探す。それを高額な手数料と共に依頼相手に売りつける。言わば、悪徳バイヤー。それがシルマだ。
基本的にここへ来る人間は「ヤバい物」を取引しにくるので、法外な手数料を取っても文句は言われにくいのである。
「ちなみにっすけど、オニーサンが探してる物ってなんなんすか?」
日用品、食料、武器に装飾品。果ては違法ドラッグや人身売買まで、このスラム街のネットワークで手に入らない物はなかった。何を依頼されても「あぁ、それを入手するのは難しいっすねえ。でもまあ、なんとかするっすよ」とかなんとか言って引き受けるのだ。
シルマはアルギエバの身なりを上から下まで舐めるように見つつ、どこまで手数料を上乗せできるか皮算用した。
アルギエバは頭をポリポリと掻いて、探し物を口にする。
「じゃあよぉ、『アークトゥルスの原石』って手に入んねえかな」
「え?」
「だから『アークトゥルスの原石』だって。知らねえの?」
「いや……」
知らないわけがない。アークトゥルスの原石。名の知れた国宝である。
「えーっと。オニーサン、正気っすか?」
「正気、正気。すこぶる正気」
アルギエバはへらへら笑って答えた。
いくら闇市とはいえ、ここはしょせんスラム街。国宝が出回る事なんて流石にない。そもそも、国宝のほとんどが城に保管されているという事は、帝国に住む人間にとっても周知の事実である。
この男、たぶん無知で馬鹿だ。正気……ではあるかもしれないけれど、本気とは思えない。
この依頼は「それっぽい物が手に入ったら良いな」くらいの軽い依頼なのだと、シルマはそう結論づける。
「あー、えーっとぉ、わかったっす! ボクにお任せあれっす!」
「おう、助かるぜ。よろしく頼むわ」
シルマの軽い承諾に、アルギエバの返事も軽い。
これなら適当な原石を「アークトゥルスの原石っす」と渡しても、「そうか、そうか」と軽く納得するだろう。
「じゃあ三日後、またここに来て欲しいっす。バッチリ用意しとくっすから!」
「あ? 三日後? ちょっと待った。いつ受け取りに来れるかわかんねえからよ、待ち合わせの約束は出来ねえんだ。手に入った時点で連絡してくんねえかな」
そう言って、アルギエバはポケットから手のひらサイズのハンカチみたいな布を二枚取り出した。一枚をシルマに握らせる。
「なんすか、これ」
布の端には王冠のような紋章がついていた。
「この紋章、なんか見た事ある気がするっすね」
どこで見たのだろう。布自体は安っぽく見えるが、有名な物かもしれない。
アルギエバが布を開き、表面を指でなぞる。
「この布に文字を書くとな、もう一枚の布にもその文字が浮き上がるんだ。これで離れていても連絡がとれるだろ? 俺も都合がつく日時を連絡するからよ、あんたも何かあったらこれで教えてくれ」
「へえ、便利っすねえ」
それは闇ルートで色々な品物を見てきたシルマも初めて見る逸品だった。こんな珍しい物を持っているくらいだ。もしかしたら国宝も本気なのかもしれない。
「それで、金はどのくらい用意したらいいんだ?」
アルギエバに尋ねられ、シルマは考えた。アルギエバがどこまで本気なのか、少し試してみよう。
「そっすねえ。うぅん、最低五億プリンは必要……っすかねぇ」
それは小さな村の財政予算に匹敵する金額である。
が。
「おう、わかった。用意しとくわ」
快諾。
「いや、オニーサン、本気っすか? 五億プリンっすよ?」
「本気、本気。マジと書いて本気」
「マジと書いて本気……? なんか逆な気がするっすけど」
アルギエバが馬鹿なのか、本当に国宝が手に入ると思っているのか、シルマには判断がつかなかった。どっちにしろ馬鹿か。しょせんここはスラム街である、という事をどこまで理解しているのかも怪しい。
カモ……なんだろうか。
取引に対する不安を抱きつつ、シルマは偽アークトゥルスの原石を調達しに行く事にした。
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