第6話 リベルタスの使命

 アークトゥルス帝国。

 広大な土地と豊富な資源を有するこの国は、農業、工業ともに盛んな国だ。各地で生産された農作物や工芸品は首都に運ばれ、交易が活発におこなわれている。国内外から人や物が集まる首都は活気があった。

 そんな首都の中央に、皇帝の住むアークトゥルス城が建っている。人の往来が激しいこの土地柄、城は常に強固なセキュリティで守られていた。


 アークトゥルス城の中央。特別執務室。

 現皇帝のシリウス・アークトゥルスと数人の従者たちは、帝国の運営についての会議を終え一息ついていた。


「リベルタス」


 皇帝シリウスの呼びかけに、部屋に集まっていた中で一番若い従者のリベルタスは、急ぎ足で皇帝の元へと進み出る。


「はい、皇帝陛下」


 頭を下げるリベルタス。

 六十代にさしかかった皇帝はグレーの髪を耳にかけ、腰掛けていた椅子の厚みある背もたれに深く体を預けていた。彫りの深い皇帝の顔には、これまでの苦労が多くのシワと共に刻まれている。

 皇帝は軽くのけ反ったような姿勢から、見下すように鋭い視線をリベルタスに向けた。


「アルギエバの様子はどうだ」

「はい、皇帝陛下。アルギエバ王太子殿下は毎日のように城外への脱走を試みておられます。が、ご安心くださいませ。すべて未然に防いでおります」

「そうか」


 皇帝はフンと鼻で笑う。


「アルギエバを守れよ、リベルタス。お前が信用に足る男かどうか、すべての判断はお前の行動にかかっている」

「はい、皇帝陛下。仰せの通りに」


 頭を下げていたリベルタスが姿勢を正すと、皇帝はこれ見よがしに右腕の袖をまくった。あらわになったのは、腕に残る十数センチほどの古傷。ぱっくり割れた傷の中央には、赤くジュクジュクとした呪いの跡が見える。


「今日も傷が痛む。嫌になるな、魔道具の呪いという物は。何年経とうとも弱まる事がない」


 皇帝の嘆きに対し、リベルタスは何も言えず頭を下げた。重苦しい静寂が閉め切られた執務室を包みこむ。同席していた数人の従者たちも、皇帝の言動を固唾をのんで見守っている。


「なあ、リベルタス」


 皇帝はねっとりとした声でリベルタスに問いかけた。


「今の生活、役職、仕事内容、それらに不満はないか?」


 皇帝はリベルタスをジトッと睨みつけながら、獲物を捕らえた蛇のようにじわりじわりと牙をむいた。まとわりつく畏怖がリベルタスの動きを封じる。


「不満など、とんでもございません、陛下」


 普段は冷静沈着なリベルタスも流石に声が震えた。他の従者たちは一回り以上も年下の、二十代前半であるリベルタスに同情の目を向けている。

 リベルタスを見ている皇帝の目はまるで毒針のように、リベルタスにじわりじわりとダメージを与えた。重苦しい空気の中で、皇帝がゆっくりと口を開く。


「それならば良いのだ。だが、不満をため込まれては困る。お前にまで反逆をくわだてられてしまっては、今度こそ我が帝国の危機となるからな」


 冷笑した皇帝の言葉に、リベルタスの手がピクリと動いた。従者たちから向けられていた視線が、皇帝の言葉と共に、さあっと引いていく。


「リベルタス。もしも不満があるのなら、なんでも言うのだぞ。我が帝国の安寧のため、お前の話はなんでも聞いてやろう。どうだ、何かないか?」

「とんでもございません、皇帝陛下。陛下にはこのような寛大な措置をいただき、感謝しかございません。私はいま、本当に幸せでございます」


 リベルタスは深々と頭を下げる。


「そうか。ああ、リベルタス。悪く思わないでくれ。お前の父親の件があっては、警戒するのも当然だろう?」

「おっしゃる通りでございます」

「そうだろう」


 カッカッカと笑う皇帝の声が部屋中に響き、リベルタスはこぶしを強く握った。震える手を、もう片方の手で抑えつける。


「だがな、リベルタス。いくらお前が大人しくしていたとしても、我はお前を百パーセント信用することが出来ぬのだ。絶えず誠意を見せよ、リベルタス。アルギエバに忠誠を誓え。その誠意をもって、我はお前の父親の事を不問とする」

「……はい、ありがたく存じます」

「期待しているぞ、リベルタス。では解散しよう」


 皇帝を筆頭に次々と執務室をあとにし、一番最後にリベルタスが部屋を出た。鍵をしめて、持ち場へと戻る。


 ――アルギエバに忠誠を。


 リベルタスの脳内にその言葉が繰り返し響く。父の犯した罪をつぐなえるのは、息子のリベルタスだけだ。


 アルギエバに忠誠を。

 いずれ皇帝となる、アルギエバに。

 そして、このアークトゥルス帝国に。

 それがリベルタスに与えられた使命だ。

 肝に銘じて廊下を歩く。唇をかみ、感情を押し殺しながら。


「あんれえ? リベルタスくんじゃねえの」


 リベルタスの耳に軽薄な声が届く。廊下を歩くリベルタスの行く先に、忠義を誓った相手がいた。


「これはこれはアルギエバ王太子殿下。どちらへ行かれるおつもりですか。今は礼儀作法の授業のお時間だったはずですが」


 気持ちを切り替え、リベルタスはいつも通り振舞った。

 アルギエバは少年のようにボールを小脇に抱え、厨房係のシルマを引き連れて歩いている。


「ああ、そうだったかもしれねえなあ。でもよぉ、たまには運動しないと体がなまっちまうからよぉ」

「それで授業を抜け出した、というわけでございますね」


 皇族としての使命をないがしろにして、遊び歩くアルギエバ。このふざけた姿はいつ見ても腹立たしい。自然とこぶしに力が入る。


「人の気も知らないで」

「あん? 何か言ったか?」

「いえ、なんでもございません」


 焦り、怒り。そんな負の感情に蓋をして、リベルタスは目の前の事だけに集中する。


「さあアルギエバ王太子殿下、授業に戻りましょう」

「は! やなこった! 今日こそ完璧に逃げ切ってやるぜえ!」

「させません」


 駆け出したアルギエバに対し、リベルタスは隠し持っていた魔道具で捕獲用の網を召喚する。


 ――アークトゥルス帝国に忠誠を。


 それがリベルタスの使命なのだ。

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