第5話 おててつないで

『あはははは』

『フフフフフ』


 うららかな陽気に誘われ、花畑を駆けるアルギエバ。

 蝶のように軽やかに舞い、春の歌を唄うように笑い声がこだまする。

 温かく握られた手。

 隣に居るのは……。


『しっかり勉強してくださいませ、アルギエバ王太子殿下』


 ピシッとした燕尾服を身にまとう従者リベルタスだ。


『終わるまで離しませんよ、殿下』


 彼はアルギエバの手を握りしめ、ニヤリと笑う。

 手から消えない、彼のぬくもり。

 迫りくる笑顔。


「ぎ、ぎゃあぁぁあ! やめろおぉぉ!」


 叫んだアルギエバは、リベルタスを拒絶するように飛び上がって、目を覚ます。


「……って、あれ。ここは……ベッド?!」


 アルギエバの視界に飛び込んできたのは見慣れた自室である。花畑でもなければ、蝶も春の陽気もない。アルギエバは自分のベッドの上で寝ていたのだ。


「悪夢、か」


 バッと左手を見る。さっきまで繋いでいたかのようなリベルタスの手の感触は染み付いたまま消えないが、当のリベルタス本人は居ない。


「はあ、良かったぜ」

「何が良かったのです」

「うわぁあ!」


 部屋の奥から声をかけられ、アルギエバは思わず叫んだ。


「リベルタス! なんでお前が俺の部屋にいるんだよ!」


 広いアルギエバの部屋。ベッドから少し距離を置いたところに簡易的な応接チェアがあるのだが、リベルタスは従者のくせにその椅子にゆったりと腰かけていた。目覚めたアルギエバに気付き、リベルタスはベッドに近づいてくる。


「何をおっしゃるのです、王太子殿下。昨夜の事をお忘れですか」

「昨夜の事って……なんだよ」


 昨夜、リベルタスのわけのわからない魔術のせいで、お手てを繋いで仲良く授業を受けなければならなかったアルギエバ。授業が終わり、魔術が解けた瞬間に脱走しようとしたところで、リベルタスは再度アルギエバに魔術をかけた。


「あっ、てめえ! 寝るまで手を離さないとかなんとか……!」

「さようでございます、王太子殿下」


 リベルタスがいやらしく笑む。

 そう。再びかけられた魔術は、アルギエバが眠りにつくまで二人の手が離れなくなるという「約束の錠」。そのためアルギエバはリベルタスと共に自室へ戻り、お手てを繋いだままベッドに入ったのである。


「ぐぁっ、頭が痛い。不快すぎて脳が勝手に昨日の記憶を抹消しようとしてやがる」


 だが、おぼろげに覚えている。

 一人でベッドに入ろうとしたアルギエバに対し、リベルタスは「添い寝して差し上げましょうか」などとぬかし、ベッドに入ってきたのだ。


「ああ思い出したぞ! ふっざけんなよ、テメェ! お前はベッドの横にでも立っていれば良かったじゃねえかよ! 添い寝なんてする必要なかったじゃねえか!」


 声を荒らげるアルギエバを見て、リベルタスはうんざりと首を横に振る。


「何をおっしゃいます、殿下。立っていた私に向かって、『これじゃあ、いつもの姿勢で寝られねえ!』とおっしゃったのは殿下ではございませんか」

「あぁん? 俺がてめぇをベッドに誘ったとでも言いたいのかよ!」

「その通りでございましょう」

「っざけんな!」


 と叫んでみたが、アルギエバは思い出した。

 確かに、リベルタスがベッドの横に立つと、アルギエバの腕は変な角度に固定されてしまった。ただでさえイライラして目がさえているのに、姿勢が悪くては尚さら寝付けない。だが困ったことに、アルギエバが眠らなければリベルタスのかけたヘンテコ魔術は解除されず、ずっと手をつないだままになってしまう。

 やむを得なかった。

 一刻も早く手を離したかったアルギエバは、リベルタスをベッドに招き入れるしかなかったのだ。


「『さっさと来いよ』と強引にベッドに誘ったのは貴方様でございます、殿下」

「……ぐっ。頭がいてぇ」


 確かに言った。その通りだ。

 その事実を思い出し、アルギエバはここから消え去りたくなった。

 しかも最悪な事に、ベッドに入ってからもアルギエバは全然寝付けなかったのである。何故だ? 無意識に封印していた記憶をたどる。


「あ、そうだ思い出したぞ、リベルタス! てめえがうるさくて寝られなかったんだろうがよ!」


 よみがえる記憶と共に、アルギエバはベッドサイドに立つリベルタスを責め立てる。


「はて、なんの事でございましょう。私はただ、幼い頃から不眠症であらせられる殿下の為に、心を込めて子守唄をうたって差し上げたまででございます」

「それがうるせえって話だよ! 耳元で気持ちわりい声出しやがって! 眠れるわけねえだろ!」


 ベッドに入ったリベルタスはアルギエバの耳元で子守歌ソロコンサートを敢行した。自分の世界に入り切ったリベルタスの、自分に酔いしれた歌声の腹立たしさと言ったらない。やたらと響くビブラートは、眠気どころか怒りを誘った。


「ああ、それは申し訳ございませんでした、殿下。お胸をトントン叩いて差し上げた方がよろしかったでしょうか」

「よろしい訳ねえだろ! あ、そうだ! しかもお前、歌いながら先に寝ただろ!」


 一時間近くリサイタルを続けたリベルタスは、気分が良くなったのか、先に眠りに落ちていたのだ。


「お前が先に寝たら俺が寝たあと誰が手ぇ離すんだよ! 馬っ鹿じゃねえの!?」

「さようでございますね」

「『さようでございますね』じゃねえんだよ! 二人とも寝ちゃったら、そのまま朝までずっと二人仲良くお手て繋いでる状態になっちまうだろうがよ!」

「ええ。先ほど目が覚めた時まで、しっかりと殿下の手を握っておりました」

「クッッッソ!」


 どうりで未だに手の感触が残っているわけだ。無駄に寝相の良い自分を恨む。


「っつうかよぉ、なんでお前はまだ俺の部屋にいるわけ?」


 目が覚めたのならさっさと出て行けば良い。だが、リベルタスはのんきにアルギエバの椅子に座っていた。どういう了見なのか。

 リベルタスはまたうんざりしたように答えた。


「ですから、殿下のお願いだったではありませんか」

「は?」

「覚えておられませんか、殿下。『起きたら仕返ししてやるからな! 逃げんじゃねえぞ!』とおっしゃられたのは殿下でございます。私は言いつけ通り、逃げずに待機しておりました」


 すまし顔のリベルタスを見ながら、アルギエバは脳内で記憶を巻き戻してみる。

 昨夜、ベッドに添い寝して、耳元で気持ち悪い子守唄を延々聞かされ、イライラがピークに達したアルギエバは、確かにリベルタスを怒鳴りつけた。逃げんじゃねえぞ、と、確かに言ったのだ。


「クッソ、自業自得かよ!」


 ベッドのマットレスに拳を打ち付け、アルギエバはそのままベッドに倒れ込んだ。

 この不快な朝に脱力する。どうしてこうも思い通りにならないのか。

 リベルタスはそんなアルギエバをベッドサイドから見下ろし、ニヤニヤと笑っていた。


「さて殿下、どう致しましょう。仕返し、とやらをなさいますか? それとも、帰ってもよろしいでしょうか?」

「うるせえ! 駄目に決まってんだろ!」

「駄目。なるほど。それはつまり、私と離れたくない、という事でよろしいでしょうか」

「よろしくねえよ! ああもう! クソ!」


 イライラと頭を掻きむしり、アルギエバはベッドから立ち上がる。


「殿下、どちらへ?」

「シャワーだよ! リベルタス、お前は部屋の掃除でもしとけ!」

「かしこまりました。では、食事と食後の勉強のご用意もいたしておきます」

「ケッ」


 忌々しいリベルタス。

 部屋から出ようとしたアルギエバは足を止め、リベルタスを振り返った。


「お前、俺に執着しすぎ」


 吐き捨てるように呟き、アルギエバはシャワールームへと向かった。

 部屋に取り残されたリベルタスは、アルギエバが出て行ったドアを見つめている。


「執着もしますよ、殿下。私にとって殿下は、なくてはならない存在なのです」


 リベルタスの呟きは誰に聞かれることもなく、部屋の空気に溶けた。

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