第4話 ウッス、ウッス デヤンス!

 オーバーサイズのポンチョ型シャツを羽織っているシルマは、その下にアルギエバの私服を着ていた。

 教授の目を盗んで机の陰に隠れたシルマは、こっそりポンチョ型のシャツを脱ぐ。


「アル殿下、どうぞっす」

「おう」


 シャツを受け取ったアルギエバも同様に机の陰に隠れ、そのシャツを羽織った。


「ん……結構キツいな」


 慎重に優しく袖を通し、互いの服装への早着替えは完了である。

 シルマは仕上げに長い髪を帽子の中にしまって、何食わぬ顔でアルギエバの席に座った。教科書を眺め、ペンを握る。


「ん?」


 物音を聞いた教授が教科書から顔を上げ、絶句した。

 教授の視界に飛び込んできたのは、アルギエバのコスプレをしたシルマ。色白でひょろひょろのシルマが何故か堂々とアルギエバの席に座っているのである。

 その隣に居たガチムチ色黒のアルギエバは、シルマの着ていたシャツで胸元や腕回りをパツンパツンにしながら立っていた。窮屈そうにモゾモゾもがいて、なんとか着こなそうと必死である。


「えぇと。これは、どういう事ですかな、殿下」


 教授がパツパツポンチョ姿のアルギエバに問う。


「エ? ヤダナァ! オレッチ、殿下ジャナイッスヨ!」


 パツンパツンのアルギエバが甲高い声で答えた。これでも一応シルマの声真似のつもりである。

 口をあんぐりとさせた教授が、今度はぶかぶかの王太子コスプレをしているシルマに問いかけた。


「では、君は一体何をしているのかね?」

「オイラ、王太子デゴザル! 勉強、シテルデ、ゴザル! っす」

「はあ」


 教授がジローリ、ギョローリとシルマに顔を近づける。シルマは反対に、右へ左へと顔を逸らした。そんな教授を遮るべく、アルギエバが大きな声をあげる。


「ジャア、オレッチ、帰ルッチ! アバヨ、ダッチ!」

「アバヨ、デゴザルっす!」

「ウッス、ウッス!」


 奇怪な挨拶を交わし、そそくさと退室するアルギエバ。何か言いたげな教授を無視して廊下に出ると、学習室のドアを閉める。


「……よっしゃ! 入れ替え作戦、大成功じゃねえか!」


 ガッツポーズ。あとはこのままシルマのフリをして城から脱出すればいい。めくるめく夜の城下町がアルギエバを待っている!

 アルギエバはパツンパツンのシャツを着たままカクカク走り、一目散に城のエントランスへと向かった。

 だが。


「アルギエバ王太子殿下。どちらへ行かれるおつもりです?」


 廊下を走り抜けようとしたところで、例によって後ろから声をかけられた。「来やがったな」と思いながら、アルギエバは立ち止まり、素知らぬ顔で振り向く。


「アレェ。リベルタスサン、デヤンス! オレッチ、シルマデヤンス。殿下ジャナイデヤンス!」


 わざとらしい返事にリベルタスが大きく舌打ちする。


「王太子殿下、なんのおつもりです? 物真似にしてもクオリティが低すぎます」

「エェエ? ヤダナァ! オレッチ、シルマデヤンスヨ! テヤンデェ!」


 通路の中央で互いに距離を開けてにらみ合う。

 シルマのフリをしたアルギエバがヘラッと笑うと、リベルタスの目つきはさらに悪くなった。


「殿下、それのどこがシルマくんなのですか。だいたい、彼の一人称は『自分』、語尾は『っす』です。そんな事もご存じないのです?」

「アン? ナンダッテ? テヤンデェ! マチガエタ、デヤンス……ッス」


 リベルタスは大きくため息をつき、じいっとアルギエバを見つめる。アルギエバは目を泳がせ、なんとかこの場を取り繕おうとした。


「オレッチ……ジブン、シルマダッチッス! ダッス! ……ッス」


 だが、リベルタスの視線はアルギエバの全身に刺さり続けて逃げられない。無理だ。


「テヤンデェ! バレちまったなら仕方ねえ! だが悪いな、リベルタス。今日こそ脱出させてもらうぜぇ!」


 アルギエバはピチピチのシャツを両手で切り裂き、脱ぎ捨てた。身軽になって走って逃げる魂胆である。


「あばよ!」


 出口はすぐそこだ。エントランスを走り抜け、アルギエバは玄関のドアに手をかける。


「ひゃっはは! 俺の勝ちだぜえ!」


 が、開こうにもドアはびくともしない。


「あん? なんで開かねえんだよ!」


 力いっぱい押し引きしても、ドアはガチャガチャと音を立てるだけである。蹴りを一発かましてみたが、足に痛みが響くだけだ。

 そうこうしている間に、後ろからゆっくりリベルタスが近づいてきた。


「おやおやぁ? どうされましたかぁ、殿下」

「リベルタス! てめえの仕業か!」

「ええ。無駄でございます、殿下。すでに城内のドアと窓はすべてロックさせて頂いております」

「んだと?! いつの間に!」

「歴史学の教授から連絡がありました。殿下が従者と結託し何かたくらんでいるようだ、と」


 アルギエバが飲み物をオーダーした時点で異変を察知した教授は、その時こっそりリベルタスに通報していたのである。それを受け、リベルタスはすべての出入り口に魔術をほどこしたのだ。


「しかし嘆かわしい。殿下のたくらみがこんなに低レベルとは」

「あん? 舐めてんのかコラァ!」

「殿下こそ、あれで入れ替わり成功だと本気でお思いですか? あんなパツンパツンな格好で? ウケ狙いではなく?」

「ウケなんか狙うわけねえだろうがよ!」


 腹を立てるアルギエバに、リベルタスがズンズン近づいてくる。


「さ、殿下。馬鹿な真似はやめて授業に戻りましょう」

「馬鹿にすんじゃねえ!」


 リベルタスは抵抗するアルギエバの左手をギュッと掴んだ。


「おい、放せ!」

「なりません。このまま学習室までお連れ致します」

「放せっつってんだろ!」


 手を振りほどこうとするアルギエバだが、押しても引いても捻っても、何故かリベルタスの手は離れない。まるで、魔法でもかかっているみたいに。


「あ! リベルタスてめえ! またわけのわかんねえ力を使ってるだろ!」

「おや、お気づきですか。さすがは殿下でございます。これは『約束の錠』という魔道具による魔術でございます」

「また魔道具!」


 一度かけられた魔術は特定の条件を満たさなければ解くことが出来ない。つまり、アルギエバの左手はいつまでもリベルタスの手に包み込まれたままという事だ。


「っざけんなよ! なんでてめえと仲良くお手てつないでなきゃいけねえんだよ!」

「それは殿下が逃げるからでございましょう。良いですか、殿下。この魔術は、術者の願いが叶えば解かれます」

「願いだあ?」

「ええ。私の願いは『殿下が今日の授業を最後まで受ける』事でございます」

「ってことは」


 アルギエバはこれから先に起こる事を想像して青ざめる。


「まさか、授業が終わるまでこのまま手を繋いでろって事か?!」

「さようでございます、殿下」


 いやらしく口角を上げるリベルタス。


「ふっざけんなよ!」


 と叫ぶアルギエバは、リベルタスに手を引かれ、駄々をこねる幼子のように学習室へと連れていかれた。

 廊下にはアルギエバの叫び声が延々とこだましている。


 数分後。学習室内。

 教授の前に座っているのは、アルギエバのコスプレをしたままのシルマ。その隣に座るのは仏頂面のアルギエバと、彼と仲良くお手てをつないだままのリベルタスである。教授のご厚意で、いや、脱走対策として、彼らは三人並んで授業を受ける事になった。


(アル殿下、結局脱出できなかったんすね)


 シルマは学習室に入ってきたアルギエバを見てそう思った。

 どう見ても似ていない入れ替わりだ。この結果も無理はない。


(しかしっす)


 横目でチラリとアルギエバを見る。

 シルマはどうしても彼の手が気になって仕方なかった。


(なんでアル殿下はずっと、リベルタスさんと手を繋いでるんすかねえ)

(そういう仲?)


 そういう仲がどういう仲なのか考えたシルマは、おぞましい想像が頭に浮かび、身震いして思考を停止した。


(まあ、とはいえ性的指向は個人の自由っす。自分は応援するっすよ、アル殿下)


 シルマがそんな誤解をしている事など、アルギエバは知る由もないのであった。

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