第2話 おい、王太子を敬えよ

 甘い香りが鼻腔をくすぐり、アルギエバはベッドの上で目を覚ました。


「……くっそ」


 忌々しい昨夜の事を思い出しながら起き上がる。

 従者のくせに生意気なリベルタス。ちょっと城から抜け出したかっただけなのに、いつもこうだ。

 何が「殿下のため」だ、と思う。

 毎日毎日礼儀作法や勉強で、アルギエバはずっと城に缶詰状態だった。本当に「殿下のため」と言うのなら、もっと外出許可を出せ。閉じ込めるから脱出したくなるんだろうが。

 アルギエバはシャツに手を突っ込み、ポリポリと胸をかいた。日に焼けた筋肉質の素肌は、昨夜の繭の残りカスでべたついている。


「あ、チャーッス! アル殿下、やっと起きたっすかぁ? もう昼っすよぉ」


 部屋に響く陽気な男の声。

 声のした方へ目を向けると、ベッドサイドの小さなテーブルの上にホカホカのパンケーキが置かれているのが見えた。甘い香りの正体はこれか。その奥には長い水色の髪を一本に縛った男が立っていて、丁寧に紅茶を淹れている。


「……シルマ。お前なにやってんの?」

「え? 見てわかんないっすか? 朝ご飯を持ってきたっす! ま、もう昼っすけどね」


 シルマはそう言って、ティーセットをワゴンに置いた。

 シルマはこの城の厨房に勤める青年である。アルギエバと同い年の十九歳。二年ほど前にスラム街から拾ってきた男だ。学もなければ常識もないような男だけど、次期皇帝であるアルギエバにもフランクに接してくれる数少ない人間である。

 とはいえ、次期皇帝の寝室に勝手に入ってくるのは非常識も度を越しているし、そもそも警備がザルすぎる。


「いや、そうじゃなくてよぉ、シルマ。なんで寝てる人間の隣に勝手に飯持ってきてんのか聞いてんだよ」

「えー? 一緒に食べたいからに決まってるじゃないっすかあ。ほら、早く起きてください。冷めちゃうっすよ」

「お前はホント自由だな。俺はメシ食う気分じゃねえんだよ」

「あれ? どうかしたっすか?」

「ああ、昨日ちょっとな」


 昨夜、城から脱出しようとしたアルギエバ。

 だが従者のリベルタスに見つかり、捕らえられた。


 繭に包まれ、よくわからないまま乱暴に部屋まで連れてこられたアルギエバは、ベッドの上でようやく繭から開放された。その時にはすでに体はボロボロである。

 それを見たリベルタスの、わざとらしい「ああ、おいたわしい」というセリフ。ニヤニヤ笑いやがって、喜んでいるのが一目瞭然だ。リベルタスは黙っていれば惚れ惚れするほど綺麗な顔をしているのだが、それがまた気に障る。


 奴はその美麗な顔を大袈裟に歪めて、アルギエバの口に睡眠薬を無理矢理押し込んだ。ぐったりしたアルギエバに対しリベルタスは「おやすみなさいませ、王太子殿下」と言い残し、悪魔のように笑って去っていく。

 この野郎、次は絶対に脱出してやる――と思った時には意識が朦朧としてきて、アルギエバが次に気付いたのが今である。

 そんな説明を聞いたシルマは、アルギエバの昨夜の災難をアハハと笑い飛ばした。


「笑いごとじゃねえだろ」

「アハハ。相変わらずすぎて笑えるっす」

「チッ」


 どいつもこいつも、王太子に対する敬意がまるでない。


「う、いってえ」


 立ち上がろうとしたアルギエバは体中にピキピキとした痛みを感じた。

 筋肉には自信があるが、魔道具の力にはかなわない。リベルタスもそれをわかっていながら魔道具を使い痛めつけてくるのだから、本当にたちが悪い。

 黒髪を荒々しくかきあげる。繭が付着してペタペタしていた。


「じゃあアル殿下、紅茶だけでもどうっすか? シルマ特性、目覚めスッキリブレンドっすよ!」


 そう言ってシルマが差し出したカップからは奇妙な音がして、時折紅茶がパチンと弾け飛んだ。


「おい、これ変なもん入ってるだろ」

「えー? やだなあ! ちょっと刺激たっぷりパチパチフラワーの実を入れたくらいっすよぉ! 目覚めスッキリっす!」


 パンッ!

 言った途端にシルマの手の中で紅茶が弾け、彼の手がビチョビチョになる。が、シルマはまったく気にせずニコッと微笑んだ。


「あー……、悪い。遠慮しとくわ」

「そっすか? 残念っすねぇ」


 シルマは嘆きながらパチパチ紅茶をがぶりと飲んで、持ってきたパンケーキを食べ始めた。


「おいおい、大丈夫かよ」


 腹が破裂するのではないかと思い、アルギエバはそっとテーブルから距離を取る。遠くから破裂音が聞こえた。


「なあシルマ、そんな事よりよぉ、あの西塔の窓の話は誰に聞いたんだ?」


 西塔三階の窓のセキュリティが切れている。

 アルギエバはそれをシルマから聞いた。シルマは嘘のつけない男だし、信頼できる。問題なく城から脱出できるだろうと思った。

 だが。

 窓の下には変な魔法がかかっていて、着地出来なかった。つまりこの情報は罠。誰かが――十中八九リベルタスだろうが、アルギエバを捕える為にシルマに流した偽情報だったと考えられる。

 シルマは口いっぱいにパンケーキを頬張りながら答えた。


「なんか、厨房の中で噂になってたっす。どこ情報かは知らないっすけど、みんな寄ってたかって『ねえ知ってる?』って教えてくれたんすよ」

「わざわざ、お前にか?」

「そっすそっす。『王太子殿下にも教えてあげて』とか『上手くいったらボーナスだからね』とか言ってたっすね」

「上手くいったら? ボーナス? お前それ、完全に俺を騙す片棒かついでんじゃねえか!」


 つまり、厨房の連中はみんなリベルタスに買収されていたというわけだ。もちろん、状況を理解できていないシルマも。今頃きっと厨房の奴らには昨夜の成功ボーナスが用意されているに違いない。


「あんのクソ鬼畜ドSリベルタス野郎め、なめやがって」


 昨夜見たリベルタスのニヤニヤ顔を思い出して腹が立ってくる。


「面白くねえ! だったらこっちも、やってやろうじゃねえかよ!」

「ん? 何をっすか?」

「あのリベルタスの奴を罠にはめてやるんだよ。ぜってぇ一泡吹かせてやる。……シルマ、お前にも協力してもらうからな」

「え、自分もっすか!」


 胃の中がバチンバチンとはじけているシルマが、目を輝かせる。やる気満々かよ。やっぱり持つべきものは悪友だな、とアルギエバはニヤリとほくそ笑んだ。

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