不良王太子は逃げ出したい!

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第1話 不良王太子は逃げ出したい!

 いいか? これは重大な秘密だ。城の西塔三階。階段から数えて五番目にある窓は、現在セキュリティ魔術の効果が切れていて自由に出入りが出来る。そこから出れば良い。


 ――と、男は心の中で独り言を呟きながら、窓を数えて歩いた。


「……三、四、五。ここか」


 窓に手をかける。ズズズッと押し開けると、夜のひんやりした空気が室内に流れ込んだ。


「ったくザルだよなあ、うちの警備はよぉ」


 差し込む月明かり。脱出日和な快晴の元、王太子アルギエバは城から脱出を試み、窓の下を確認した。着地予定の芝生から、数十メートル先の城壁まで人影はない。


「そこまでですよ、王太子殿下」


 不意に背後から声をかけられ、アルギエバは窓枠に手をかけたまま振り返った。


「おう、リベルタス君じゃねえの。どうした、こんなところで。女でも襲いに行く途中?」


 ケケッと笑ってやったが、廊下の中央で姿勢よく立っている従者リベルタスは顔色ひとつ変えず背筋を伸ばしている。


「殿下こそこんな夜更けにどうなされました? おねしょでもされましたか?」

「はあ? お前それ、不敬罪だぞ」

「失礼。事実確認をしたまでです。万が一という事もありますので」

「……ざけんなよ」


 面白くねえ。王太子アルギエバは生意気な従者を睨みつけ、チッと舌打ちする。


「まあいい。じゃあな、リベルタス君。俺はちょいと夜の散歩に出てくるぜぇ」


 アルギエバはヒョイと窓に登り、そのままスルリと体を窓の外へだした。飛び降りてしまえばこっちのものだ。


「悪いな」


 暗闇の中へと身を投げる。


「殿下!」


 リベルタスの呼ぶ声が聞こえるが、知ったこっちゃねえ。足には国宝「キグナスの靴」。これさえあれば、たかが数十メートルの落下くらい簡単に着地できる。

 ……はずだった。


「うおっ!?」


 が、アルギエバは今、なぜか地面に着地する事なく空中で静止している。まるで巨大な蜘蛛の巣に引っ掛かった虫けらのようだ。二階の窓と同じくらいの高さで、無様な姿勢のまま身動きが取れずにもがいていた。


「なんだよ! これ!」

「あっれぇ? どうされましたかぁ、殿下ぁ!」


 リベルタスが三階の窓から顔を出し、ニヤニヤと笑う。


「おやぁ? 殿下、これはこれは随分みっともない姿ですねえ! まるで駄々をこねて暴れる赤子のようではありませんか。あはっ。どういたしましょう、殿下。お助けしましょうか? それとも、このまま一晩お休みになられます?」

「てんめえ……!」


 ニヤニヤ笑うリベルタスの整った顔を一発ぶん殴ってやりたいところだが、アルギエバの足は空中に固定され、両手も手首より先しか動かない。脱出しようにも何がどうなっているのかわからず、解決のしようがなかった。


「リベルタス! てめえ、また父上に魔法具を貰いやがったな!」


 アルギエバは三階の窓に向かって叫ぶ。


「それにこれ国宝だろ! いち侍従が使っていい物じゃねえ!」


 こんなわけのわからない現象を起こせるのは魔道具だけだ。しかも、魔道具を取り扱い出来るのは皇族及び皇帝に権限を与えられた人間のみである。本来ならばリベルタスのような二十歳そこそこの若造は触れる事さえ許されない。


「恐れながら殿下、これはすべて殿下の為に皇帝閣下よりたまわった権限でございます」

「はあ?!」


 高い所から見下ろしている従者は、空中でひっくり返っているアルギエバに対しわざとらしく頭を下げる。


「皇帝閣下はアルギエバ王太子殿下に落ち着いて皇室教育を受けて頂きたいのです。そしてそれは皇位第一継承者の責務でもあります。殿下と皇室の将来のため、このような無礼をお許しください」

「何が将来のためだ! 嘘くせえ顔しやがって!」


 空中から見上げた従者の顔は、拷問を愉しむ悪魔のようにニタニタと笑っている。


「あの手この手で俺を痛めつけて楽しんでるだけじゃねえかよ!」

「まさか! 滅相もございません! 私は仕方なく、心を鬼にして、泣く泣く、やむを得ず、どうしようもなく、このような事をしているだけでございます! 楽しむだなんて! そんな、とんでもございません!」

「嘘つけ! ニヤニヤしてんじゃねえぞコラァ!」


 叫ぶアルギエバに対し、真顔に戻ったリベルタスは窓から手を出し、手のひらをアルギエバに向けた。


「申し訳ございません、殿下。ああ、心苦しい! とても心苦しい!」


 わざとらしく嘆いたリベルタスの手が光る。


「お、おい! リベルタス! なんだそれは!」


 リベルタスの手からは真っ白な糸が無数に飛び出し、一気にアルギエバの体にピタピタッと張り付いた。


「ああ、おいたわしい! 私もこんな殿下のお姿など見たくはないのです! が、貴方様のためでございます。ご無礼をお許しくださいませ、殿下」


 糸はぐるぐるぐるぐる高速でアルギエバの体に巻き付いていく。


「ちょ、おい! やめろ!」


 手も足も、頭までもが糸にすっぽり包まれ、アルギエバは巨大な繭に包まれてしまった。


『おい! 出せやコラァ! なんなんだよこれは! 聞いてんのか! おい、リベルタス! 出せっつってんだよ!』


 繭の中からアルギエバのくぐもった叫び声が響く。


「ふむ、少々うるさいですね。王太子殿下、いま何時だと思っていらっしゃるのです? 夜遅くに迷惑です。再教育が必要ですね」


 リベルタスがパチンと指を鳴らす。同時に繭は猛スピードで自転し始めた。


『ちょ、ちょちょちょちょ、まっ』


 うめき声が聞こえるがリベルタスは気にしない。


「静かにしてくださいませ、殿下」

『……ぐ、ぐぇ……』


 高速回転の中、アルギエバはもはや叫ぶ元気を失っている。


「さて。静かになったのでしたら、そろそろお部屋へ戻りましょうか」


 リベルタスが指を鳴らすと、繭は回転しながら三階の窓の前まで飛び上がった。窓から建物に侵入しようとして、窓枠にガツンッとぶつかる。


『おえっぷ』

「おっと、繭を大きくしすぎましたか。この窓からは入れないようです」


 揺さぶられたアルギエバは吐き気を抑えるのに必死である。

 リベルタスは窓の内側から外で高速回転している繭に手をかざし、城の外側から王太子の部屋へ向かって飛んでいくように魔術をかけ直した。


「それではアルギエバ王太子殿下、今宵もゆっくりとお休みくださいませ」


 繭に向かってリベルタスは頭を下げる。


『てめ、この……おぇっ……お、覚えてろよ! ぜってえ許さねえ……からな! おえっぷ』


 リベルタスが指を鳴らすと、繭はジェットコースターの如く右へ左へと城の周りを飛び回り、アルギエバの部屋へと飛んでいった。


「さて、私も殿下の部屋へ向かいますか。アルギエバ殿下の部屋の窓を開けて差し上げないと、また何度も窓に激突する事になってしまいますからね。ふふっ」


 リベルタスはそう呟きながら塔の窓を閉め、ゆっくりとアルギエバの部屋へ向かった。

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