第5話:ザマァの開始

約10日後、海野家の実家に一同が集まった。集まったと言っても、父母、兄夫婦はそこに住んでいるので話し合いに参加しただけだが、今回の依頼者である海野乙姫に加えて、所長の花蓮、秘書の三千華、そして、担当の巧が同行していた。ちなみに、件の子ども衛は別室にいるのか、入院中なのかその場にはいなかった。


話し合いは海野家の客間で行われた。和室に大きなローテーブルが置かれ、海野乙姫の両脇を探偵事務所のメンツが固めたので、テーブルを挟んで向かい側に父母、兄夫婦が陣取る形になっていた。


「乙姫、この方たちは?」


父親が不機嫌そうに彼女に訊いた。


「弁護士事務所の方です。色々相談させてもらってます」


通常、探偵が弁護士を名乗ると法律違反になってしまう。しかし、巧たちの事務所の場合、所長が弁護士資格を持っているので三千華と巧はその資格を持っていなくても助手としてそう名乗ることを許される。


こういう時は、人数は多いに越したことはない。ましてや弁護士が同行となるとそのプレッシャーは数人分ではないだろうか。


「なんで弁護士が……」

「それよりこれ」


父親が続きを訊こうとしていたが、乙姫が話を進めた。


「それっ!」


乙姫が大きな封筒から「骨髄提供についてのご案内」と書かれた紙がのぞくものをテーブルの上に置き、それを見た兄嫁がいち早く反応して飛びついた。封筒から紙を取り出し、結果を食い入る様に見ていた。


今一番彼女が欲しいものと言える。


「私は適合したみたいです」


冷静な感じで乙姫が全員に発表した。


「じゃ、じゃあ……」

「よかったー! これで衛は……」

「でかしたぞ!」


海野家の実家側の人間はホッとした様子で勝手なことを言って喜んでいた。


しかし、ここからが彼女の仕返しが始まるところだ。


「条件を飲んでもらったら、提供もやぶさかではありません」


彼女の一言で海野家の実家側はピタリと止まった。


「こんな時に条件を出すなんて!」

「衛の命がかかってるんだぞ! 非常識だ!」

「人でなし!」


実家一同は乙姫を罵る。この場合逆効果だと思わないのだろうか。


「じゃあ、今の時点で提供しないことに決める」


乙姫は子どもが拗ねたみたいに横をプイと向いてしまった。


「まあ、冷静になれ。乙姫の条件ってやつを聞いてみようや」


家長たる父親が一同を静かにさせた。意を決した様に乙姫が言葉を紡ぎだした。


「兄嫁が私に2人のときだけ悪口を言ったり、私にくれたブランド物を盗んだって嘘ついて私が泥棒したみたいに言った理由をここで言って」


「「「……」」」


部屋が水を打った様に静かになった。


「……霞?」


兄嫁が恐る恐る訊いた。


「違うの! あの時は若かったの! 予定外に義両親同居になって、家の中に味方がいない所に1人で入ってきて心細かったの! いつも失敗しないかピリピリした空気の中、1人でお気楽な乙姫さんが憎らしく思えたのっ!……あ」


ここでしらばっくれることもできたかも知れない。しかし、我が子の切羽詰まった状況と極度の緊張で兄嫁はほとんど全てを自白した様な形になってしまった。


「どういう事だ!?」


兄は兄嫁に詰め寄る。


「ごめんなさい! 乙姫さんは可愛がられて、楽しそうで、部活も勉強も楽しそうで眩しかったの!」


反射的に答える兄嫁に兄は呆れて追求を止めた。


「じゃあ、あの乙姫が悪口を言うっていうのは……嘘……だったの?」

「……はい」


愕然とする兄に申し訳なさそうに答える兄嫁。


「アザは……?」

「自分でぶつけました」

「はぁ!?」


ここでようやく両親が我に返って状況を理解し始めた。


「もしかして、ブランド物の窃盗の件も……? いや、まさか……な」


もはや信じたくないという状況の兄。


「わざわざ共通テストの前日に私を犯人に仕立てて、家族を部屋に乗り込ませましたね」

「……」


違うと否定してしまうと乙姫がへそを曲げてしまう。そうなるとドナーになってもらえない。嘘をつくことも許されず、兄嫁は答えに窮した。


再び沈黙が客間を支配した。兄嫁は耐えられなくなりテーブルの下座に移動したかと思ったら、土下座で乙姫に謝りだした。


「すいません! 乙姫さん! 悪気はなかったんです! 本当に緊張が続いてて普通じゃなかったんです!」


兄嫁は畳に額を擦りつけたまま謝り続けた。


「まだありますよね? この際、全部話してしまいましょう。お義姉さん」


乙姫は元来Sの気があったのかもしれない。かなりノリノリだ。


「巧さん、あれを」

「はい」


そう言われて、巧は乙姫に送りつけられてきた猫の画像をA4サイズに印刷したものをテーブルの上に置いた。


「きゃーっ!」


一番に悲鳴を上げたのは母親だった。父も兄も顔を引きつらせていた。世話は乙姫が主にやっていたといっても長く家で飼っていた猫だ。苦悶の表情で絶命している猫の画像はそれなりにショックなようだった。


「この猫は寿命ではなく殺された可能性があります」

「そんな、まさか!」


巧の説明に兄が驚きの声を上げた。


猫は軒下などで最期を迎えるなどの情報を説明し、その上でこの写真の亡骸はおかしいと付け加えた。


「猫が死んでいたと聞いたし、弔いは霞さんが引き受けてくれたから……」


どうやら家族たちは猫が死んだあとその亡骸を見ることもなかったようだ。


「ひどい……。こんな写真を撮って飼い主の乙姫に送り付けるなんて……」

「普段、優しく接してくれている霞さんが裏でこんなことをしていたなんて……」

「霞……お前……」


一斉に海野家側の人間が兄嫁に嫌悪感をにじませてきた。


「ち、違うんです。洗濯物を両手いっぱいに抱えたまま縁側を歩いていたら、たまたま足元に猫がいたことに気付かなくて……」


兄嫁は土下座の姿勢で海野家の方に方向を変え、弁解し始めた。


「踏んづけて殺したって言うのか!? ひどすぎる……」


一度頭を上げた兄嫁は一同を見渡すと改めて土下座をして謝罪した。


「お父様、お母様、渉さん、乙姫さん、これまで本当に申し訳ありませんでした。私の心が弱いばかりに……、本当に申し訳ないことをしてしまいました。これからは全力で汚名返上と名誉挽回に努めたいと思いますので、なにとぞ一度だけのチャンスをください!」


兄嫁は土下座していても分かるほどに泣いていた。時々とぎれとぎれに謝罪する様は本当に悪いと思っている様に感じられた。


「……霞さんもこんなに謝ってるし……」

「誰でも間違いはあるものよね……」

「……」


どれだけ寛大な家族なのか。妹の乙姫があれだけ迫害されていたのは何だったのかと思えるほどに父親、母親は兄嫁にほだされそうになっていた。


「巧さん、第二弾をお願いします」


少し話がまとまりそうな時に、海野乙姫がクールな口調で言った。

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