#6
今頃娘たちは金毘羅宮へ着いた頃だろうか。
まったく、一人旅だなんて。ゆみときたら誰に似たのだか突拍子もないことをするから困る。……誰に似たのか、じゃない。間違いなく夫似だ。
婚家の姑さんとは何度か手紙のやりとりがあったが、呉服屋ながらうどん商売を始めたと聞いた時には噴飯した。それを言い出したのが、我が娘だとは。本当に、我が子ながら、腹から出てしまえば何を考えているのだか、とんと見当もつかない。
まりは、一人娘のゆみとは正反対の性格だと自認している。
人に誘われて出掛けるのは楽しいし、彼方此方の話を聞き及んでは憧憬したりもするけれど、自ら旅を計画しようとまでは思わない。本を開けば、どこへだって行くことができるから。
いや、一度だけ、自ら旅に出たことがあった。
娘時代に、宮様のために。
まだ結婚前に、まりは勤めで御所に出入りしていた。ともに熱心な読書家であるということからの不思議な縁により、宮様と接見する機会を得ていた。
宮様が病に倒れられ、思わぬ長患いとなった時に、まりは平癒祈願のため長谷詣でに出た。
取巻く人々は写経や納経に励んだが、まりは御経ではなく、当地の物語を紙にしたためた。物語を愛する宮様がお元気になられますように。
けれど、耳で聞いた物語を、文字にまとめるのは骨が折れた。結局たどたどしい文章に悪筆で、宮様に奉るなんてとてもできるものではなかった。
あの時書き付けた物語は、今も家のどこかに眠っているだろう。それとも、転居の折に散逸してしまったろうか。
さいわい、まりが御所に戻る頃には、宮様はするりと快復なさっていらっしゃった。
まりのような者の参詣や物語がなくとも、御自身で平癒されたのだった。
けれど、なんの甲斐もない参詣だったかというと、そうともいえぬ。その参詣のお蔭で夫と知り合ったのだ。
世の中何があるか分からない。ふふふ。あの時、孔雀面で踊り狂っていた夫を思い出すと、今でも笑ってしまう。あれで賊を退けるのだから。
「迦陵頻伽が歌っているのかと思い、思わず舞い出てしまった」
照れる夫からそう言われたまりの声も、いつの間にやら嗄れてしまった。
今ではもう人前で歌うなどとんでもないが、この山奥だと川で洗濯しながらでものびのび歌える。夫の気紛れで始まった山暮らしの、数少ない利点だ。
ああ、娘時代に歌はよく褒められたのだ。
歌を披露しておれば、いくらか宮様の慰めになったやもしれぬと、今更詮無い思いを抱く。
宮様とは本の話ばかりした。
まりは本を読むのは好きだけれど、自ら世界を創り出す才能には恵まれなかった。と思っている。だから、宮様も退屈だったのではないかしら。
「お前はたくさんの本を読んで、そこに描かれた世界に没入するのだろう。立派な才能だよ」
宮様が仰った。そういう宮様こそまりの何倍もの書物を通読なさっているのだ。
何の話の折だったろうか。宮様も、御自ら物語をお作りになることはないと、仰っていた。自分は御所の外の世界を知らぬ。だからこそ物語を愛するのだ。そう呟いて、お寂しそうに笑った。
長谷の物語の件で懲りたはずなのに、数年後にまた物語を作る機会が巡ってきた。
娘のゆみが生まれた時だ。
幼い娘は、寝かしつける時にいつも物語をせがんだ。昔話をしてやると、「めでたしめでたし」と終えるのに、「それで、どうなったの」と続きをせがむ。仕様がないので、「続きはまた明日」と言って、一日考えて、いざ次の夜に続きを聞かせてやると、ゆみはもう興味がないような顔をする。
かたや、夫が寝かしつける時には、寝屋からゆみの楽しげな声が聞こえる。
「お話して」
「長い話と、短い話、どっちがいい?」
夫が娘に問う。
「短い話!」
「あい分かった。むかしむかしっ、短井さんがおりましたっ。おしまいっ」
娘はけたけた笑う。
「じゃあ、長い話して!」
「あい分かった。むかぁし、むかぁーしー、なぁがぁーーーーーーーーーいさんがぁ、おりましたぁー……」
娘がきゃっきゃとはしゃぐ。
その様子に憮然としてしまう。私の一日かけて考えたお話は、これに負けるのか……。やはり私には才能がないのだ。
今後も読む専門に努めよう。まりは思ったのだった。
長谷詣でのことを思い出したら、草餅が食べたくなってきた。
まりは、風通しのいい広縁で甘いものを摘まみながら、読みかけの本を捲った。
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