#3
しかし、「子宝祈願」ではなく「安産祈願」をしておくべきだった。
何度か体調を崩しながらも腹の中で大事に育てた小さき命は、外の世界を見ることなく、流れてしまった。
そして、もとより気まずかった夫婦は、かすがいを失って、離縁するに至った。
いつもは無口な夫がやけにつらつらと弁を立てた。じきに、るりという女中が夫の子を懐妊していることが判明した。その子を、夫とゆみの子供として育てることもできると言われたが、可愛がる自信もないので丁重に断り、三行半を受入れた。
出て行く際まで姑と揉めた。姑はゆみにまとまった金を持たせようとした。嫁らしいことは何一つ出来なかったので何もいらないと言うのに。結局押し返して、身一つで婚家を出た。
姑の心配をよそに、婚家を出たゆみは自由だった。
もう無理して毎日を生きる必要がないのだ。
とはいえ、実家の両親は仕事を引退して山奥に引っ込んでしまったから、帰る家もない。 細い伝手を頼って、なんとか町の長屋に入って一人暮らしを決めた。生活をどうするか。うどん屋でも始めるか? いや、自分には客商売は向かない。客商売には、あのるりという愛嬌のある娘の方が向いている。あの店はきっとこの先明るく繁栄するだろうさ。
長屋には字を書けない年寄りが多かったから、代書屋のようなことを始めた。なんとか食っていくくらいはできる。
何をするでなくとも働いて食って寝て近所の世話を焼いて、慌しく日々は過ぎていく。
生活が落ち着いた頃に、ふと思い至る。
そうだ、御礼参りに行こう。
ゆみの願った、店の繁盛と家の繁栄については、確かに叶えられたのだった。また、離縁したことで、悪縁を切り自由の身になったともいえる。
我が子のことは悲しいが、神を恨んだりはしなかった。むしろ、せっかく授かった命を守れなかったことに申し訳なさを感じていた。その贖罪も込めて、何かに祈りを捧げたかった。
ひとり静かに祈るには、町は騒がし過ぎる。
ひっそりと瞑想に浸りたかった。
旅立ち前に、田舎の両親の家に寄った。
一人でこんぴら参りに出発すると言うと、いたく心配する。
世が落ち着いた今これだけ心配するなら、数年前にじつはすでに一人でこんぴら参りをしたと告げれば、両親は引っくり返るかもしれない。
とはいえ、父母ももう齢なので、一緒に長旅するのも難しい。しきりに「やめておけ」と説得するも、ゆみも頑固で聞かない。
「大丈夫大丈夫」
ぞんざいに返事する。
「なら、せめてこの子を連れて行きなさい」
と、両親は犬をゆみに預けた。
田舎暮らしを始めてから父が山で拾ってきた犬で、両親は「かぐ、かぐ」とまるで娘ができたみたいに可愛がっている。
犬といったって小型犬で、護衛というにはちと頼りない。臆病な犬で、怪しいものがいるときゃんきゃん吠えるから、頼るとすればそれくらいか。
「ゆみのことを頼むわよ」
母に頭を撫でられて、犬のかぐは分かっているのだかいないのだか、しっぽをぶんぶん振って応じた。
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