#2
あいにく、特段の事件もなく、ゆみはこんぴら詣でを終えて、婚家へ帰った。
商売が困窮している時ほど暇がないといった風情で、嫁が長旅から帰ってきたというのに挨拶もそこそこだ。
といっても、このご時勢なので、どの店もどの職人も皆汗水流して往来を走り回り忙しくしている。そんな中で旅をしてきた嫌味を言われないだけでもましかもしれない。
荷解きもそこそこに、ゆみも早速店に立った。空けていたのはほんの一週間程なのに、いっそう皆がよそよそしく、尻座りの悪い感じである。
「それで、こんぴら参りの効果は出そうなんでしょうね」
結局旅のことを聞かれたのは、夕餉を囲んだ時だった。
「はい」
姑は世継ぎのことを問うているのだと分かっていたが、ゆみは敢えて違う方について答えた。
「うどん屋がいい商売になるのではないかと思います」
「う、うどん屋ぁッ?!」
噴飯しそうな勢いで姑が素っ頓狂な声を上げる。無口な夫さえ眼を見開いている。
「はい。丸亀のうどんを出せば、いい商売になると思います」
堂々と思うところを述べる。
「あほな。うちは呉服屋ですよ。それに、四国のうどんも食べたことありますけど、あんなもんここで流行るわけないでしょ」
この土地のうどんは、薄口の出汁とそれをよく吸う柔こい麺である。対して、丸亀のうどんは腰のある麺が、出汁醤油に浸かっている。繊細な出汁の味に慣れた人間が、丸亀の大味を気に入るはずがない。
「このご時勢ですから、本業以外の店を出すのは珍しいことではありません。それに、うどん商売で稼ぐ自信があります」
ゆみも頑固で譲らない。結局「好きにおし」と姑も匙を投げ、本業に支障のない範囲で、親戚筋の出す飯処の献立に「丸亀うどん」を入れるよう差配した。
結果、丸亀うどんは大繁盛した。
ゆみの企画した丸亀の冷たいうどんは、とくに大工や土方の職人達に受け、口コミでどんどん人を呼んだ。ここの人達は「本当に美味いもの」には掛け値がない。
夏の暑い時期には冷たくささっと食べられるものが好まれる。丸亀の腰のある麺と濃い汁は、冷たいざるうどんによく合った。人々はつるつると喉越しのいいうどんを啜った。柔らかい麺と薄い出汁では、ざるにするという発想さえなかった。
うどん屋の店先についでに置いた、ちょっとしたつまみ細工もよく売れた。ふだん呉服屋になど足を運ばない土方の面々が、うちのかかへの土産にと買っていくのだ。
結局、別の場所にも小さな店舗を出すほどの繁盛振りで、といっても所詮はうどんなので店を大きくする程ではないが、呉服屋の損金を補填するくらいの助けには十分なったのだった。
姑もしばらくゆみにやかましく言わなくなった。
こんぴらさんのご利益はこれだけに収まらず、夏の終わりにゆみは懐妊した。
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