幻の宝を求めし月の姫
香久山 ゆみ
#1
長い旅路。もとより遥かな道のりではあるけれど、一人きりの道中はいっそう果てしなく感じられる。けれど、家にいるよりも気が楽だと思われるのは、困ったものだ。ゆみは、溜息の代わりに、苦笑を溢した。
「この家の嫁として、こんぴらさんに御参りしてきてくれはりますか」
姑にそう言われて出てきたが、それなり大店の嫁が供も付けずに一人で旅するなどありえない。実際、姑も本気で嫁に一人旅をさせようと思っていたわけではなく、ゆみが泣き付くのを期待していたのだろう。けれど、ゆみの返事は期待に反したものだった。
「分かりました」と答えた時の、あの姑の呆れ顔ったら! 思い出すとほくそ笑んでしまう。婚家では声を立てて笑うこともなかった。この旅は、ゆみにとっては実に良い気晴らしだ。
それに、神仏祈願が必要な状況であるということも事実である。
世は戦国の騒乱期、あちこちで戦の噂を聞く。不穏な世情において婚家の呉服屋の商売はなかなか厳しい状況だ。最近も数名の使用人に暇を出したところで、ギリギリの人数で店を切り盛りしているので、はなから旅の供など出せようもない。嫁の自分が旅に出るのも本来もっての外だ。
どさくさ紛れに出発したものの、帰ってからを思うと気が重い。
姑からはいつも「辛気くさい」と、まるで貧乏神が嫁に来たとでも言いたげな視線を向けられる。ゆみは生来愛想のよい娘ではないので、どれだけ気を遣って笑顔を作ってもどこか嘘くさいらしい。
適齢期を逃したところに、人の紹介でまとまった結婚だった。縁あってのことなので、恙無く婚家のために尽くそうという気概はあったが、姑とはどうも馬が合わなかった。粗相をすれば叱られる、上手くやれば可愛げがないと陰口を言われる。
何より姑の気に障るのは、いつまで経っても子が授からないことだった。これだからとうの立った嫁は嫌だったんだと、姑はこれ見よがしに嫁よりも若い女中たちを可愛がった。
「商売繁盛」と「子宝祈願」のため、ゆみはこんぴらさんを目指す。
こんぴらさんの有名なご利益といえば「航海安全」である。商売繁盛と子宝祈願ならば、もっと近場にもご利益を持つ寺社はある。なのに、あえて四国の金毘羅宮まで行かせるとは、姑はよほどゆみを厄介払いしたかったのか。それともいっそ道中で賊にでも襲われて「キズモノ」になれば、堂々と家から追い出せるという魂胆なのだろうか。
せっかく海風にも当たっていい気分だったのに、あの家のことを考えるとどうも負の思考に陥ってしまう。
いけない、いけない。
瀬戸内海を抜けて、丸亀で船を下りる。うどんで腹拵えしてから、ゆみはこんぴらさんまでの道を歩き出した。
動乱の世とはいえ、門前町まで来ると人も多く市も賑わっている。
本殿まで七八五段の石段は果てしないが、駕籠に乗るほどの路賃の余裕もないので、一段一段歩いて行く。中腹の大門まで登ったところで、大きな白い傘を立てた店が出ている。べっこう飴を売っていて財布を出しかけたが、無駄遣いをする嫁だと誹る姑の顔がちらついて、そのまま黙々と上り続けた。
本殿を参拝したあと、さらに奥社まで進む。山中は森閑としている。一三六八段。もっと道が続けばいいと思ったが、参道はそこまでだった。
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