第七章――二度失う愛の、その先へ

1. 失われる名前

 ある夜、香織はリビングの床に座り込んだまま、動けなくなっていた。真一が震える手つきで彼女の顔を覗き込むと、涼しげな瞳がぼんやりと宙を見ている。

「香織……大丈夫か……?」

「……かおり……? ああ……そう、私は……誰……?」

 その問いかけに真一は胸がつぶれそうになる。彼女は完全に記憶を失いかけているのだ。最早真一のこともわからなくなってきているのかもしれない。

 かつて亡き香織も、そうやって最後には彼を思い出せなくなった。真一の目には、涙が浮かび上がる。また同じ悲劇が繰り返されるのか……。

 痛む身体を押して彼女を抱きしめる。香織の身体は人間とほとんど変わらない温かさを帯びているが、その命の火は今にも消えかけている。

「……しんいち……って、誰……?」

 掠れた声に、真一は唇を噛んだ。しかし、そのまま少し顔を寄せて囁く。

「オレは真一。お前の大切な人だ。……たとえ忘れてもいい。オレはお前を忘れないから……」

 その瞬間、香織の瞳に一筋の涙が伝う。アンドロイドなのに、まるで人間のように悲しみを宿したその姿に、真一の胸は耐えがたい痛みを感じる。

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