3. ゆっくりと解ける封印

 その日は仕事を早めに切り上げ、真一は部屋のソファで缶ビールを手にぼんやりしていた。そこへ、食後の片づけを終えたAc2がやってくる。

「真一様、もしよろしければ……樋山香織さんのお話を少し伺ってもよろしいでしょうか。どんな人だったのか、どうして命を落とすことになったのか……」

 真一は眉をひそめるが、しばらく黙っていたのち、ぽつりと口を開く。

「病気……脳腫瘍だよ。……いずれ記憶が消えていくって、医者に言われてた。最初は軽い物忘れ程度だったんだ。けど、段々……オレのことも思い出せなくなった」

 語るほどに、記憶の痛みが胸を貫く。Ac2は深く一礼し、まるで涙をこぼすかのような表情をわずかに浮かべる。

「……そうだったのですね。記憶を失っていく過程は、きっと香織さんもつらかったことでしょう。真一様も……」

 真一は缶ビールを握りしめ、少し上ずった声で続ける。

「最後の頃は、オレが誰かすらわからないって感じだった。何度も思い出してもらおうとしたけど、無理だった。あれは、本当に苦しかった……」

 続く沈黙。Ac2は小さく頷きながら、ソファの横に腰を下ろす。その所作には、人間らしい優しさがあった。彼女の瞳が真一を見つめ、さらに柔らかい声が降り注ぐ。

「私も……香織さんと同じように、真一様と思い出を作りたいです。いえ、ただのアンドロイドではありますが、あなたの大切な日々に寄り添いたいんです」

 真一はその言葉に、不意を突かれたような感覚を覚える。気味悪さよりも、奇妙な安堵が胸を占める。もし、このアンドロイドに“香織”の面影を重ねてしまったら……また同じ悲劇を繰り返すのではないか――そんな一抹の不安を感じながらも、真一は何かが解けていくような感触を覚えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る