【3】 発症から最後の入院まで
【牧口】 さて、林先⽣のご体験の、概要(がいよう)のお話に参りますが、聴衆のみなさんの中には、まだ勉強があまり進んでおらず、そもそも「精神障がい者」ってどんな⼈? という⽅もおられることでしょうから、林先⽣の⾃⼰紹介も兼ねて、お話し願えたらと思います。
【林】 わかりました。現在、僕は、年齢は50歳で、僕が病気を発症したのは、22歳、⼤学3回⽣の時のことです。
当時は現在と違い、「うつ病」だったのですが、⼤学で⾃分の思うような勉強ができなかったことが、発症の原因の⼀つです。
【牧口】 なるほど。毎⽇の⼤学の勉強が、ストレスになっていたんですね。
【林】 そうですね。それから、進路のことで悩んでいた、というのもあります。
僕は、⼩中⾼⼤学まで、何も考えずに進学してきたのですが、次は当然、⼤学院だと思っていたんです。
でも、⼤学の授業が全く⾯⽩くありませんので、上に進むわけにはいかない。かといって、ほかの社会⼈の道なんて考えたこともありませんでしたので、⼋⽅ふさがりだったわけですね。そんな葛藤(かっとう)をきっかけに、いつしか発症してしまったんです。
【牧口】 なるほど。その時は、どんな症状が出ていたのですか?
【林】 まるで、幽霊か何かにとりつかれてしまったような感覚、とでも申しますか。常に正体不明の不安があるし、体は苦しいし、絶望感もありました。
で、早速、わらをもすがる思いで、精神科クリニックの門を叩きました。
ドクターは、当然、服薬を勧めてこられたわけですが、僕は断固として拒否してしまうんです。
【牧口】 え! いったいどういうわけで、服薬を拒否されたんですか?
【林】 実は、当時は、⾃分⾃⾝の中で、精神病に対する偏⾒が強かったんです。世間的にも、今に⽐べたら、理解は少なかったですね。
で、僕は、服薬をして、精神病患者の仲間⼊りすることは、恥だと思っていたんです。
ですので、なかなか服薬する決⼼がつかず、ドクターにも⼤変迷惑をかけてしまいました。結局、3年もの間、病を放置し、根性で耐え続けることに、なってしまいました。
【牧口】 なるほど。それで、3年後には、服薬されることになったんですよね? それは、どういうきっかけだったんですか?
【林】 実は、新卒で勤めた会社が、体育会系のノリの会社でしてね。残業も、毎⽇当たり前のようにありまして、帰ったら、⽇をまたぐこともよくあったんです。
で、服薬もせずに、無理をして、そんな環境で働き続けた結果、症状が⼤幅に悪化してしまいましてね。
それで、⺟に説得されて、精神科病院に⼊院することになったんです。その時、もういいや! って思って、出される薬を飲んでみたんです。
【牧口】 なるほど。薬を飲んでみて、どんな気分になられましたか?
【林】 なんだ、こんなもんか、というのが正直な感想でした。こんなことなら、クリニックでドクターが、服薬を勧めてくださったときに、素直に飲んでおけばよかったな、と後悔しましたね。
【牧口】 そうなんですね。でも、当時としては、仕⽅のなかったことですよね。
【林】 そうですね。だからこそ、僕は、「こころの病」においても、早期発⾒・早期治療が⼤切だ、ということを、世のみなさんに訴えかけていきたいですね。
【牧口】 同感ですね。私も執筆や講演の機会に、訴えかけていくことにしましょう。
それで、初めての⼊院は、どんな感じだったんですか?
【林】 これを話すと⻑くなりますので、ザクっとだけお話ししますが、かなり⾃由な環境でしたので、過ごしやすかったですね。病院の外を、⾃由にあちこちを歩き回ったりして、⾊々楽しめましたので、⾃然と元気を取り戻していきました。
【牧口】 ほう! それは、何よりですね!
じゃあ、そのまま無事、退院できたのですか?
【林】 実は、そう簡単にはいかなかったのですが、それも省略させていただいて。まぁ、ともかくも、9カ⽉の⼊院⽣活の末、なんとか、退院することはできました。
【牧口】 そうですか。それはよかったです。退院後はどうされたのですか?
【林】 退院後は、早速働き始めましたね。フリーペーパーを複数取り寄せて、⽚っ端から⾯接を受けていたことを覚えています。会社側に病気のことを明かさない、いわゆる「クローズ就労」での就職でした。
【牧口】 へぇ、退院後、いきなり「クローズ就労」ですか! よくやる気になりましたね。
でも、会社側に病気のことを明かして、配慮してもらいつつ「オープン就労」で働くことは、お考えにならなかったのですか?
【林】 当時は、「オープン就労」、企業側から見れば「障がい者雇⽤」という形態が、まだ⼀般的ではなかったんですよね。僕⾃⾝がそういう働き⽅があることも知りませんでしたし。
【牧口】 なるほど。あるいは、私たちが⼀定の条件を満たして、審査をクリアすれば受給できる「障害年⾦」を受給することは、選択肢にはなかったのですか?
【林】 はい。この時点では、病名や症状の関係から、「ハートフル年⾦」の受給資格を満たしていませんでしたので、受給することはできなかったんですね。ですから、普通に働く道を選びました。
【牧口】 なるほど。それで、そのお仕事は順調でしたか?
【林】 全然順調ではなかったですねぇ。実は、この時から4年くらいに渡って、職を転々としてるんです。10社以上は回ったと思います。
【牧口】 10社以上ですか! それはまたどうしてですか?
【林】 僕は「うつ病」でしたので、当然、「うつ状態」という症状が、時々起こるわけです。で、そのたびに、会社を休まなくてはならず、それが度重なると、会社をクビになってしまうんです。
会社には、「風邪で休みます。」というぐらいしか⾔えず、「うつ状態」のことなど、わかってもらいようがないのですね。
【牧口】 うわぁ。それはもどかしいですねぇ。でも、林先⽣は、めげずに何度も挑戦されたわけですね?
【林】 そうですね。ドクターからも、
「何度クビになってもいいから、頑張りなさい。今のあなたの症状では、《障害年⾦》は申請できませんから。」
と⾔われていたから、というのもありますけどね。
【牧口】 なるほど。でも、そうやって頑張り続けられる状態が、永久に続いたわけではないんですよね?
【林】 はい。その4年の間には、転職と同時に、⼊院も繰り返していたのですが、そんな転職と⼊院の繰り返しに、嫌気がさした僕は、いつしか働くことはあきらめて、遊びほうけるようになりました。
【牧口】 まぁ、無理もないですよね。⾃分の責任とは違うところで、クビになったり、⼊院に追い込まれたり、して来られたわけですものね。
【林】 そうですね。で、遊びほうける⽇々をしばらく続けていると、⼤変なことになってしまったんです。僕の症状に⼤きな変化が起こり、「躁状態」が⾒られるようになったんです。
つまり、「うつ病」が「双極性障害」へと転じてしまったんです。このことを「躁状態に転がる」と書いて「躁転(そうてん)」と⾔います。
【牧口】 なるほど。それは、何か原因があったのですか?
【林】 原因らしきものはありませんでしたね。ある⽇、突然に、という感じでした。ドクターからも、明確な原因の説明は、受けたことはありません。
【牧口】 なるほど。で、それからどうなったんですか?
【林】 ドクターは、薬の処⽅の⾒直しを、毎回の診察で、試みてくださっていましたし、臨時で診察を受けて、さらに調整をしていただいていましたが、効果はほとんど⾒られなかったんです。そして、⽇に⽇に僕の「躁状態」は悪化していって、最後には再び⼊院することになりました。これが、今のところ最後の⼊院です。
【牧口】 そうですか。思うんですが、ひょっとしたら、「クローズ就労」で無理を続けて、度重なるクビや⼊院で、精神的ショックが⼤きすぎたのではないでしょうか?
それがストレスとなって、「双極性障害」への転換への引き⾦になったように思えて、仕⽅ないんです。
【林】 そうですね。そういう⾒⽅は可能だと思います。本当のところは、ドクターに確かめてみないとわかりませんけどね。
【牧口】 そうですか。いずれにしても⼤変でしたね。
【林】 はい。
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