【4】 人生のどん底と大いなる復活

【牧口】 それで、その最後の⼊院は、どんな感じだったんですか?


【林】 そうですねぇ、⼀⾔でいうと、「⼈⽣のどん底」に落ちた感じでした。院⻑が交代していて、病院の建物も⽅針も、何もかもががらりと変わっていました。そこでの⽣活は、まるで「地獄(じごく)絵図」のようだったんです。


【牧口】 なるほど。具体的には、どんな様⼦だったんですか?


【林】 そうですねぇ、そのまま語るとあまりに凄惨(せいさん)ですし、また⼤変⻑くなってしまいますので、部分的にお話ししますね。


【牧口】 お願いします。


【林】 最初は、20⽇間、独房のようなところに閉じ込められましてね。僕の⾼ぶりきった「躁状態」を抑え込むためだったようですが、本⼈は苦しくて苦しくてしかたがないんですね。暴れていたんですが、最後には、

「おとなしくせんかったら、出られへんで!」

 って脅(おど)されまして。仕⽅なしに、それからはおとなしくしていました。


【牧口】 へぇ! 20⽇間もですか。治療のための⼿段とはいえ、なんとも残酷ですねぇ。しかも最後は脅しですか!


【林】 はい。もうその瞬間から、「あ、ここはこういうところなんだな。」って「あきらめモード」に⼊ってしまいました。

 そして、それはカギがかけられて外出のできない病棟に、移されてからも続きます。


【牧口】 ほう。それは、どのような「あきらめモー ド」だったんですか?


【林】 例えば、主治医の薬の処⽅のしかた。⼀種類の薬を10何錠も飲ませるような、極端な処⽅をする⼈でして。当然、副作⽤もすさまじく、中には「⽚目が⾒えなくなる」、なんていうのもありました。

 最後にはしかたなく、少しマシな処⽅で、これまた「あきらめモード」に⼊ってしまったわけです。


【牧口】 ⽚目が⾒えなくなるって、本当ですか!? そんなリスクも知らず、「多剤投与」をするなんて、信じられませんね。


【林】 そうです。しかも、それを主治医は、「眼鏡のせいだ」って⾔いだしますから、あきれてものが⾔えませんでした。

 ともかく、ほかにもまだまだたくさん、問題のある処遇を、この⼊院期間中には受けてきましたが、これくらいにしておきます。


【牧口】 そうですか。また機会がございましたら、ぜひ詳しくお聞かせください。

 で、最終的には退院なさったんですよね?


【林】 はい。半年間の⼊院でした。本当にいろいろありすぎて、

「⼆度と⼊院なんてしてたまるか!」

 と思ったものです。実際、その思いのおかげで、もう16年以上に渡って、⼊院せずには済んでいますからね。


【牧口】 なるほど。それは「怪我(けが)の功名」でしたね。

 退院後はどうされたんですか?また、「隠匿就労」で働き始めたんですか?


【林】 そうしたかったところなんですが、今回は、退院の条件として、病院側により、強制的に、併設の「デイケアセンター」というところに通わされることになったんです。

 内容は、普通の精神科病院のそれとは、全く違って、脳トレ・筋トレ・⾛り込み・認知⾏動療法・ソーシャルスキルトレーニングなどなど、どちらかというと、「訓練」や「教育」に近い内容でした。


【牧口】 なるほど。それで、林先⽣はそれに、順応することはできたのですか?


【林】 とてもじゃないですけど、無理でした。「教育」が嫌いなわけではないんですけど、やっていることが就労につながるとは、全く思えなかったんですよね。

 で、1年いましたが、結局やめてしまいます。そして、次にご縁があったのが、「社会福祉法⼈五つ星会」だったんです。


【牧口】 そうなんですね。「五つ星会」では、どんな感じだったんですか?


【林】 最初は「地域生活支援センター そよかぜ」というところの「談話室」の利⽤から始め、次に、「就労継続支援B型事業所」のひとつである、 .パン⼯房 ぬくもり」に通うことになります。

「就労継続支援B型事業所」とは、僕ら障がい者に、訓練と労働の機会を提供してくれるところの1つです。

 実は、最後の⼊院中、および「デイケアセンター」時代は、友達作りが禁⽌されていましてね。非常に寂しい思いをしていたのですが、「ぬくもり」に来て、⼀気に友達がたくさんできて、非常に幸せだったのを覚えています。


【牧口】 なるほど。それはよかったですねぇ!

 で、お仕事の⽅はどうだったんですか?


【林】 はじめは、「パンの製造」の仕事から始めまして、次に「店舗販売」の仕事もするようになりました。

「店舗販売」の仕事の時は、お店のレイアウトや、システムの改造に夢中になっていまして。すごく充実して働けていたことを覚えています。


【牧口】 そうなんですね。それはよかったです。

 そういえば、林先⽣、お⾦はどうしておられたんですか? 確か「B型事業所」って、お⾦、そんなにもらえませんよね?


【林】 退院直後は、親から⼩遣いをもらっていましたが、実は今回、「障害年⾦」を、ようやく受給できるようになりましてね。

 当時の等級は3級で、もらえる額はそんなに多くありませんでしたが、節約をこころがければ、なんとか暮らしていくことはできましたね。


【牧口】 なるほど。そういうことでしたか。

 で、話を戻しますと、「店舗販売」のお仕事で充実しておられて、その後はどうなりましたか?


【林】 残念ながら、充実した⽇々は、⻑くは続きませんでした。体調を崩し、スランプに陥(おちい)ってしまい、事業所は⽋勤しがちになってしまいました。

 こころは腐ってしまい、

「僕は《B型事業所》ですらだめなんだ。」

 と絶望してしまいましたね。

 でも、そこに救いの⼿が、差し伸べられました。所⻑が、ピア活動団体「HACHA・MECHAクラブ」を紹介してくださったんです。


【牧口】 そうなんですね。ここにおいて、林先⽣は、「ピア活動」へとつながったんですね。

 それにしても、所⻑さん、絶妙なタイミングでしたね。


【林】 はい。僕はおかげで、再び⼈⽣に希望が持てました。完全回復とまではいきませんが、「ぬくもり」と「HACHA・MECHAクラブ」の仕事を兼業することによって、かなり充実した暮らしを、することができるようになったんです。

 ちなみに、この頃に、「障害年⾦ 」の第1回更新がありまして、等級が上がり、2級になって、⽀給額も⼤幅に増えたんです。


【牧口】 へぇ、ダブルでよかったですねぇ。あ、でも等級が上がったっていうことは、症状もひどくなったっていうことですよね。


【林】 はい。ですから、素直には喜べないところなんですけどね。でも、おかげで、やっと普通の暮らしが、できるようになりました。

 3級の時は、⼩遣い帳も綿密につけて、財布もいくつも持って、かなりケチケチして、ストレスを抱えながらの⽣活でしたからね。


【牧口】なるほど。貧乏から解放された喜びは、ひとしおだったでしょうね。


【林】 はい。でも、それだけでは終わらなかったんです。

「HACHA・MECHAクラブ」の活動を始めて、3年が経ったころ、僕の⼈⽣最⼤とも⾔える「⼤転換」が起きます。


【牧口】 ほう! 「⼤転換」ですか! いったいどんな転換なのでしょう?


【林】 僕は、当時、某居酒屋に、毎⽇のように通っていました。 その時で、通い続けてもう3年にもなっていたと思います。

 それで、ある⽇のこと。僕は、どうしてもやりたい⼤きなことがあって、そのお⾦をねん出をするために、軽いアルバイトをこっそりやろうかと思って、店内で求⼈情報誌をめくっていたんです。

 そうしたら、それを目にした⼤将が、

「うちで雇ってやるがな。うちの店が⼤好きな⼈に、働いてもらったほうが、うちとしてもええからな。」

 とおっしゃるじゃないですか。

 さすがに何年も、毎⽇通っていましたので、⼤将とはある程度は、仲が良かったのですが、それにしてもなんということでしょう!


【牧口】 それはまた、⼤どんでん返しですね!

 それで、もちろん、林先⽣はお受けになったんですよね?


【林】 はい。その⽇のうちに、⾯接ということになりまして、慌(あわ)てて履歴書と写真を⽤意し、⾯接に臨(のぞ)みました。

 そして、なんと、僕としては、初の「障がい者雇⽤」で雇っていただくことになったんです。


【牧口】 なるほど。いよいよ林先⽣の、「障がい者雇⽤」での就労デビューですね。



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