第4話
「邪魔すんでー!」
ドーン! といつぞやのお返しに乱暴に扉を蹴破って寝室に入ってやったが、正直自分のところとは違い、ほとんど皆寝てたので特に期待していた「おまちください!」だの「ただいま総司令はまだお休みで……!」だのというやり取りが全然発生せず、ちっともスリリングじゃなかった。
「さーて。イアン君今日はどんな美女とお楽しみだったのかな?」
ラファエルはイアン・エルスバトも何だかんだ言って美女大好きなのを知っている。
彼はイアンのことを陽気な野蛮人だ、程度にしか思っていないが、イアンの審美眼はこれでいてなかなかなのだ。
フランスとスペインが休戦状態の時に、イアンが使者として兄達とフランスの夜会各地に現われた時は、夜会においてどの女性が一番美しいかを上階から見下ろしながら話し、ラファエルは自分の女性を見る目に絶対の自信を持っていたが、イアンの目利きも意外なほどなかなかだったのである。
ラファエルも貴族令嬢だけじゃなく夜会にいるありとあらゆる女性に目は光らせているのだが、イアンは視野が広く、庭の方で給仕をして回っていたメイドの子がめっちゃ可愛いとか隙あらば言って来て、侮れないのである。
イアンがフランスに出入りしていた頃は、その夜会で一番の美女は誰だゲームをよくしていたが、無論、二人の意見が一致することもあり、その場合は口説き落とした方が彼女の夜会でのお相手をするのだなどとよくやっていたが、ラファエルを以てしても、イアンとの対決は勝率七割という感じで、なかなか勝率が伸びて来なかった。
優雅な貴公子という感じのラファエルに対して、イアンはいかにも軍人として叩き上げられた風体だが、性格は人懐っこいので、貴公子慣れしているフランス宮の貴婦人たちには、やはり彼の方が物珍しいのだろう。
お前がモテる理由は珍獣と一緒、などと言ってやると、人を角を持つウサギみたいに言うなとつかみ合いの喧嘩になったこともある。とにかく、若干腹立たしいがイアンの審美眼は敵ながらラファエルも認めているのだ。
寝込みを襲って、さぞや昨夜イアンに可愛がられて熟睡しているであろう美女の顔でも見てやろうと思ってそれだけを楽しみにやって来たラファエルは、特に閉められても無かった寝室の奥にズカズカと踏み込んで、予想通りまだ眠っている感じの天蓋付きのベッドを覗き込んだ。
「にゃー」
捲った女性のドレスのように繊細なレースから顔を出したのは、白い猫だった。
「……これはどうも、随分な色白美人が……」
色白美人は起こされたのが腹立ったのか、フニャー! と立腹した様子でベッドから飛び出すと、ラファエルの脇を通り抜け、部屋を出て行ってしまった。
「……なんか、起こしてごめんね?」
一応メスだったかもしれないと思い声は掛けておく。
気を取り直してまだこんもりしてる毛布を掴む。
「イアンくん! おきてー!」
毛布を思いっきり引っ張ってやると、顔の上に枕を乗せたイアンが寝ていて、彼の腹の上に灰色の毛の猫がでん! ととぐろを巻いて寝ており、本来優雅な美女が裸体で寝ているべき所に黒い毛の猫が気持ち良さそうに身体を伸ばした姿で寝ていた。
黒い毛の猫の方は突然毛布を奪われて相当驚いたらしく、飛び上がって起きるとパニックになり寝台の上をババババババと走り回ったが、やがて外に飛び出して行った。
「ん~~~~~~~……だれやねん顔踏んだの……」
イアンがようやく起きたらしく、顔の上に乗っていた枕を掴んで、側にぼふ! と置いた。その時にラファエルに気づいたらしく、鬱陶しそうな顔をした。
「なんやお前か……何しに来てん……こんな時間に……」
朝の八時である。
ちなみに城下は目覚め始めてるのでびっくりするような時間ではないが、二人とも用がない限りは普段昼まで寝てる習慣を持っているので、朝八時に起こされるなど、非常事態以外では有り得ないし、あってはいけないのである。
「……シビュラの塔でも動いたんか……」
「いんや。動いてない。ただの嫌がらせ。イアン君が何回も俺のところ早朝奇襲してくれたもんだから、俺も腐ってもフランス海軍総司令として敵に反撃してあげなきゃなーと思ってしてみたの。どうせやるなら六時ごろにしようと思ってたんだけど二時間寝過ごしちゃったよ」
「…………ふざけんなよおまえ……」
イアンは鬱陶しそうに横向きに背を向けてまだ寝ようとした。
お腹の上にいた灰色の毛の猫が、イアンの背の方に降りて、すりすりと身体を懐かせている。これが美女なら最高に可愛いのに。まあネコちゃんも可愛いけどさ。
ラファエルは溜息をついて、ベッドの側に椅子を持って来ると、完全武装して来た帽子と上着を、馬鹿らしくなって脱いで、ブーツのままの両脚をベッドに上げた。
「イアン君、きみ随分会わないうちに女の子にモテなくなっちゃったんだねえ……。おまけに寂しいからってネコちゃんベッドに連れ込むようになっちゃったなんて君の精神状態が心配だよ。君とは付き合いも長いし、敵だけど、そんなになんか悩みがあるなら聞いてあげないこともないよ?」
「…………用がないなら帰れや……ホンマおまえは鬱陶しいやっちゃな……てか誰がモテない寂しい野郎やねん!」
目を閉じていたイアンの脳に、ようやくその言葉が辿り着いたのか、目を開けてそこだけは怒って来た。
ラファエルが勝手に側のテーブルにあったワインを開けてグラスに注いだ。
グラスは二つあったが、使った形跡があるのは一つだけで、ボトルの中はさほど減ってない。どうやら昨夜女性の来訪者も無かったというのは本当のようだ。
「お前が女をベッドに連れ込まないなんてどーしちゃったのよ」
「……うるせぇな……女とヤることしか考えてないお前と一緒にすんなや……」
イアンが構ってくれないので、猫がとうとうベッドに上げた足を伝ってラファエルの方にやって来て甘えてきた。あら可愛い。ラファエルは撫でてやる。
「お前いつからそんなにネコちゃん愛好家になっちゃったの」
「俺が愛好してるんじゃなくて、愛好しとる奴がこの駐屯地におるねん……暇やからって餌付けしやがってあいつら……おかげで窓開けてるとドンドン入ってくんねや。寝てると顔引っ掛かれるし……ほんま最悪やで」
「何してんのよお前ら。相変わらず緊張感ねーな」
「やかましいわ。俺があいつらをボロクソに言ったってええけど、お前が俺の可愛い部下を悪く言うなぶん殴るぞ」
ラファエルはワインを飲みつつ、猫を撫でつつ、口笛を吹いた。
「かっこいいねえ。さすがはスペイン海軍最強と謳われるイアン君の部隊。結束が固い」
イアンが手を差し出す。
「ん? 握手?」
ラファエルが手を取ると、バシッ! と邪険に弾かれた。
「ああ、グラスね」
「水や! 朝から飲ますな! どアホ!」
ワインを本当に注ごうとしたラファエルが笑い声を出す。
「お前ってそういうところは真面目だよな」
冷水の方をグラスに入れてやる。
手渡すと、飲み干して、イアンはグラスをベッドの上に軽く放った。
「そんなことしちゃダメでしょイアンくん! お行儀悪いわよ!」
「昨日街で飲んだ帰りにフェルディナントのとこの守備隊本部にちょっと寄ったらチェスしよってことになって深夜まで結局やっちまった……あいつチェス凄腕やねん。士官学校時代一度も勝てんかった。あれから随分腕上げたと思って勝てるかと思たのに腹立つわあいつ……」
「そんで負けて不貞腐れて寝ちゃったんだ。イアン君きみいつからそんなかっこ悪い男になっちゃったのよ」
「やかましわ! 別に不貞寝してへん! 三時まで頭フル稼働させたから眠くなったんや! あいつ絶対ヴェネトにいるうち一回は負かしたるねん……絶対『参りました えろうすんまへん』と言わせたる……」
「仲いいねえ。ご学友。んでも忠告しとくよ。俺この前あいつのとこ行って宣戦布告して来ちゃったから、お前あんまあいつと仲良くしてると、俺からの流れ弾被弾するかもしれないから気を付けな」
「ああ……? 何言うとんねん。おまえが、なんでフェルディナントに宣戦布告すんねん」
「ん~~~~ちょっと腹立つことされたから」
イアンは呆れる。
「やめとけやめとけ。お前とフェルディナントなんか、勝負にならんわ。剣の持ち方も分かっとらんようなお前がどうあいつと勝負すんねん。あいつ大人しそうな顔してても無茶苦茶強いねんで。士官学校時代もお前みたいな身分だけ鼻にかけた連中があいつにそうやって突っかかっとったけど、ぜーんぶ見事に返り討ちにされとったわ。お前なんざ片手一本で泣かされよるからやめとけ」
「ご忠告どうも~。イアン君なら勝てるわけ? あ。チェス以外で」
「当たり前や。チェス以外は絶対負けへん! おれは、色々とすごい!」
「んじゃ、俺と組んであいつぎゃふんと言わせてみない?」
「断わる。俺はどちらかというとお前をぎゃふんと言わせたい」
「なんでよ」
「当たり前や。あんな女にペコペコしやがって。お前の女見る目だけは俺も少しは認めとったけど、大したことあらへんな! ラファエル!
今のご時世、あの王妃にペコペコするなんて犬でも出来るわ!
お前はあの王妃に好かれたのを笠に着とる。俺はそーいう野郎は大嫌いやねん!」
ラファエルは笑った。
「そーんなこと言っちゃって。イアン君だって王妃様に好かれてるじゃない。俺の知らない間に随分好感度上げちゃって。一体どんな手を使ったわけ? きみ随分会わない間に卑怯なことするようになったねえ。自分は俺に何にも仕掛けてないよななんて釘を刺しておいて、自分はばっちりその間に王妃に好かれるようなこと仕掛けてるんだから」
寝そべったままのイアンが、面倒臭そうな顔をする。
「何の話やねん。俺は初対面の時からあの女には嫌われとるわ。ええねん別に。あんな自分が作ったわけでもない古代兵器ぶちかまして威張り散らしてるような性悪女、例え絶世の美女でも俺は嫌いや。俺は仕事でここに来たんや。嫌われても仕事すりゃいいんやろ! これからやこれから! 別に俺個人が嫌われとったってスペイン艦隊頼りになるわあ♡ 思われればええんや。海軍演習許可も出たし、俺はすぐ海に出たるねん。こんなところで猫とゴロゴロなんかしてへんぞ。ヴェネト近海におる海賊という海賊をしばき回して拿捕して駆逐したるわ。絶滅するくらい駆逐して戦功立てたる。
ラファ! お前やフランス艦隊様は優雅に寝とんの大好きやろ!
寝とってええぞ! お望み通り野蛮人の俺が馬車馬のように働いたるわ‼」
そこまで聞いて、優雅にワインを飲んでいたラファエルがおや? と首を傾げた。
「ったく……お前と話しとったら腹立って来たわ。こんな朝っぱらから起こしやがって……なに人のベッドに土足上げとんねん! 下げろ!」
イアンが怒ってベッドから降りて行った。
「フランスはホンマにこんな奴しか送る人材無かったんかい……」
ぶつぶつと言いながら彼は着替え始めた。
王妃の話ではイアンに王太子ジィナイース・テラの近衛を任せたいということだったが、今の感じだと、全くその話がイアンに伝わっていないように見える。
イアン・エルスバトはこう見えて、非常に有能な戦術家だ。
特に戦場ではまだ若いが、状況に応じて多彩な戦術を駆使して来て、自分たちの何倍もの規模の部隊とぶつかり勝利を手にして来る。平時は単なる人懐っこい陽気なスペイン人に見えるが、違うのである。戦場では非常に容赦のない冷徹さも見せる。だから戦場では、相手の目を見て握手をし、「仲良くしよな!」などと言った舌の根の乾かぬうちに夜襲を掛けて全滅させるようなことも、彼本人の本意ではないとしても、やれと言われればやれる男だ。こう見えて非常に合理的な軍人なのである。
しかし、今の反応は、ラファエルの指摘に対して平然と嘘をつき、はぐらかしているという様子は全く無かった。平時のこういう時は素の方が出て、率直な反応をすることが多いから、本当に知らないのだろう。
「イアン、お前は海に出れないよ」
「ああ?」
ズボンを履き、シャツに腕を通しただけで、前のボタンを締めないまま、イアンが出て来る。寝室のソファに優雅に腰掛けていた猫を片手で抱えて下に下ろすと、そこにあった煙草に火をつけた。
「誰がそんなこと決めたんや。お前か?」
鼻で笑っている。
ラファエルは立ち上がって微笑んだ。
「いや。王妃」
イアンがこちらを見た。有能な戦術家だが、こういう時に顔に出る所がこいつの可愛い所だ。
「そっか。お前まだ聞いてなかったんだな。悪かったよ。俺も多少ヴェネトに来てナーバスになってたのかな? きっとスペインの野郎が俺の知らない所で王妃に取り入ったに違いないとか思っちゃったよ。ごめんねえ」
へらっと笑ったラファエルに、イアンが怪訝な顔をする。
「そんなん知らん。何の話や。つーかお前と違って俺はそんな暇やないって言ったやろ。
着いた途端に港の増設作業、終わったと思ったら海軍演習の予定立てて、本国に報告書書いて、その他にも細かい問題色々起きとるし、そういうのここではどんな些細なことでも全部俺に報告せえ! って一番最初に自分で言ってもうたから滅茶苦茶報告上がって来るし、我ながら余計なこと言うてもうたってすんごい後悔しとるけどまあ今更やわな。ほんでフェルディナントとチェスして負けて悔しがって寝なあかんし滅茶苦茶俺は多忙で、嫌いな王妃のツラ見に気に入られようなんてちょくちょく登城してポイント稼ぐとかやる気も暇も無いねん」
「本当に悪かったよ。君はそういう子だって知ってたけど、つい久しぶりだから、いつの間にか卑怯なクソ野郎になっちゃったのかなんて思っちゃって。ごめんね?」
「別にそんなもんどーでもいいけど。海に出られへんって何の話や?」
「まだ話行ってないなら俺が言うのもなんだかなあ」
「いやそんなん構わへん。なんか情報持ってんならさっさと教えろや」
「んじゃ、教えてくださいませラファエル様って言って」
「ぶん殴るぞ」
ラファエルが声を出して笑う。国では誰も彼もがラファエルを愛して大切にしてくれるものだから、彼はイアンのこの打てば響く反応が面白くて新鮮でたまらないのだ。
「んとね。この前例によって王宮にご機嫌伺いに行ったら、別に約束なんかしてなかったのに俺がいるって聞き付けてわざわざ王妃様が来てくれて~その時に聞いたのよ。お前をどうやら、近々王太子ジィナイース・テラの近衛として王城に招きたいんだってさ。だからお前はそのうち王城に部屋も用意されて、王城で暮らすようになると思うよ」
イアンは数回瞬きをして、ギョッとした。
「はあ⁉」
「そう言ってたから」
「誰がやねん! あ。王妃か。いや、なんで?」
「知らない。だから聞きに来たの。遅刻して嫌われたーとか言ってたくせにいつの間に得点稼いでたのかなって」
「何もしとらんわ。実際俺は王妃には嫌われとる。すっげー初対面で厭味言われたんやで。夜会の最中ずーっと立たされてグチグチと。スペインってだらしがないのねえ、のオンパレードや。お前その情報絶対間違っとるで。誰からの情報やねんそんなでたらめ……あ。王妃か」
「いや。確かに王妃はどっちかというと俺にこのまま王太子の警護も頼みたいのになあみたいな空気は出してたよ」
「お前に王太子の警護は無理やろ。子供に喧嘩売られてもお前は負けよるに決まっとるで」
「うん。乱暴な子供には負けるかもしれない」
「そんなお前に王太子の警護は無理やろ。けど、別に総司令に必ずしも頼まなあかんってことないはずや。フランス艦隊にも剣の使い手くらいおるやろ。特にお前の側近はお前がクソ弱いからかなりの手練れを引き連れて来よるって俺の耳には入ってる。そないフランスがお気に入りならそこから護衛選べばええやろ?」
「まあそしたらほんとスペイン何のために呼んだか分かんなくなるし。海軍演習でもどうせフランスの天下だから、お前らホントに今のところ港増設しただけの役立たずだよ?」
「ほんまやな。――って誰が役立たずのスペイン艦隊やぶん殴るぞラファー! ぶん殴ってスペイン艦隊の舳先にお前吊るしたろか!」
「参謀がなんか進言したらしいね。あいつはそういう三国の国のバランス考えたんじゃないかな? 外交にもあいつ噛んでるらしいし」
「あー……。あのなんかいつも王妃の側におる背の高いやつか? おったなあ。まあそんなに会ってはないけど」
「そうね。いつも側にいるね。腹心なんだろうね」
「あの王妃高飛車そやったけど、参謀如きの進言を受け入れて、好きでもないスペインの将校を王太子の近衛にすることなんかあるんか?」
ラファエルも一人掛けの椅子に腰かける。
「俺もちょっと意外だったけどね。あるみたい」
イアンは眉を寄せた。
「俺を呼ぶつもりって言ってたんか? スペイン艦隊の誰か、じゃなくて」
「いや。はっきりお前の名前を出してた。イアン・エルスバトを呼ぶつもりだって。そんで、どんな人かしらって聞かれたから、やば……勇猛果敢な人ですよって答えといてあげたよ。俺っていい奴でしょ?」
「お前今はっきり『野蛮』って言おうとしたな?」
「王妃様の前では悪く言わないであげたんだよ。感謝してね。まああんま知らないとは言っといた。だってお前なんかと友達だと思われたら俺の品位が疑われちゃうから」
「お前なんかに死んでも感謝せぇへんわ」
ラファエルはケラケラと笑っている。対するイアンの表情は晴れない。
「なに? 嬉しくないの」
「嬉しいわけないやろ。理由も分かんねーし。気持ち悪い」
「折角取り立ててもらったのに気持ち悪いって言い方はどうかなあ」
「やかましいわ! 妙や、って言っとんねや! そんな王太子の側近にする予定あるんやったら初対面の時もっと感じよくせえよ! おととい来やがれぷん! みたいな別れ方やったぞ! なんでそんなヤツが俺を呼ぶんや」
「そうなの。俺今日それを聞きたかったのよ。俺はお前がなんか仕掛けたと思ったから、追求しようと思って来たんだけど、何にもしてないんだろ?」
「してへん。あれから王妃にも一度も会ってへんしなんなら城にも行ってへん。ひたすら港の増設しとった」
「んー。……港の増設が余程綺麗に出来てて気に入ったのかね?」
「んなアホな……」
イアンが半眼になる。
「けど、全面的に王妃が決めたって感じじゃないなら、その参謀って奴がちょっと気になるな……。名前なんやったっけ。え~~~~~と……」
「ロシェル・グヴェン」
「ヴェネト王宮の内情に詳しいラファエル様なら、当然奴の素性も調べとんのやろ?」
「ヴェネト外海主要六島の一つ、リド島に屋敷がある貴族出身。でも家としての格は並みって感じかな。経歴はかなり異色だよ。父親が宮廷医師だったから、幼い頃から父親について医術を学んでたらしい。ほら、今王様が病気だから。今の王様を診てるのもロシェルの父親なんだってさ」
「ふーん。お世話になってる宮廷医の息子が贔屓を受けたわけか。んでも軍系の出身でもない奴が『参謀』なんて呼ばれて有事の際の指揮執って、ヴェネトはそれでええんかい」
「分かんないけど。まあでもヴェネトには大した軍は陸・海含めてないから。王宮の守備か、近海の警備、あと街。それくらいだから、賢いお医者様でも務まるんじゃない?」
「俺らからすると信じられへんくらいの事情やな……」
イアンが煙草の煙を細く吐き出した。
「あー……、なんとなくうっすらだけど初めて王宮に言った時ちょっとだけ話したわ……思い出した」
「その時にお前のこと気に入ったのかな?」
「いや。それはない。そんな話しをしたなんて大層なもんやないねん。ちょっと挨拶した程度や」
「んじゃなんで参謀がお前を気に入って近衛に推薦すんのよ」
「そんなん俺が知るか。まだ話も聞いとらんのに。それに気に入って呼び寄せるとは限らんやろ。お前もさっき言った通り、三国をバランスよく起用して競わせる言うんがヴェネトのやり方かもしれん。お前は王太子の警護なんて優遇に思えるのかもしれんけど、あいつの息子やぞ。軽い不手際あっただけで何言われるか何されるのかも分からんわ。俺には合わん。俺は自分で分かっとんねん。俺は海に出て海賊相手に暴れ回る方が合っとる」
「まあそれは分からないでもないけど。そんでね、お前はともかく俺は『いつでも来ていいのよ』なんて王宮に寝室までもらっちゃったよ。王妃はお前のことまだ信用してない感じだったから、どんな人か俺が見てくれてると安心だわ、なんてお願いされちゃって」
「へ~そうかよ。本当に好かれてんだな。お前に寝室まで与えるなんて緊張感のない王妃やな。旦那が病気で寝込んでるいうのに。ラファ。今の内から忠告しといたるわ。王妃が軽率にお前を火遊び誘っても、ホイホイ行くなよ! 俺はお前が海の藻屑になってもええと思ってるが、お前が広場に首吊るされるとことかはさすがにつまんなくて見たないからな」
「忠告ありがとうイアン君。いや俺も随分積極的な王妃様だなあと思ってるのよね正直。
頼んでもないのに寝室用意されちゃって、この人案外本気で俺に夜這いしてほしいって誘ってるのかな? これってヴェネト式の誘惑の仕方? とか最近結構真面目に悩んじゃってたからさ。危ない危ない。本当に夜這うとこだった」
「最愛の人はどうしたねんお前……。気の変わりやすい奴やな。もう諦めたんか?」
イアンが口許を引きつらせると、ラファエルは思い出した。
「そう! そうなの! それで思い出したよ。俺はお前と神聖ローマ帝国なんかその気になれば叩き潰せたけど、寛容にまあ頑張りなよ~って好きにさせておいてあげたというのにこんな仕打ちされて、温和な俺様もさすがにプンプンだよ? 先に意地悪仕掛けて来たのはお前のお友達の方なんだからね。イアン君。
フランス王弟オルレアン公の息子にしてフランス聖十二護国の一つフォンテーヌブロー公爵にして……あとなんだっけ。まあいいや! とにかくフランス中に愛される俺様を敵に回すとどんだけ厄介かってこと教えてやるんだからね。用はそれだけ。ハイ! ネコちゃん! じゃーね~! 俺、これから行くとこあるから」
ラファエルは猫をイアンの頭に乗せると、そのまま優雅に去って行った。
「フェルディナントが何を仕掛けたって? あいつなにを言うとんのやろ……」
ぽかん……と一瞬したが、まあええわ……とイアンはすぐに頭を切り替える。
それよりも王城のことは青天の霹靂だ。
ラファエルのことだから正式に話が来るまでは真実味はない。
しかし、実際王妃から話を聞いたというのは、妙だ。
ラファエルは信用性は無いが、ああいう作り話をするのはあいつの手口ではない、とイアンはよく分かっている。何も知らない所から仕掛けて来るとかは有り得るかもしれないが、小賢しい作り話をしてくるようなそういう頭はしてないのだ。となると、話は信憑性がある。
信憑性が……。
王宮に行くことを一瞬考え、イアンはがっくりとソファの背もたれに額を預けた。
「嘘やろ~~~~~~絶対あんなとこ行きたくねえええええ~~~~~~~」
王妃は勿論だが、あの参謀という男も、会った時はあんまりいい印象を持たなかった。
ここだから退屈や~~~などと言いながらもゴロゴロしたり、暇つぶしに海軍の部下達とボールを蹴って遊んだり、気が向いたら船に乗りに行ったり、旧友に会いに行ったり、街を見に行ったり出来るのである。ヴェネト王宮なんぞ、彼は少しも行きたくもなかった。
「なんで俺やねん! 絶対なんかおかしいわ! なんかの陰謀や!」
そんなはずはない、とあまりにおかしい人選に、数少ない王宮の人間とのやりとりを思い出してみる。しかし、ロクなことが思いつかなかった。
一番有力なのは、早い所王宮勤務で自分に不手際を起こさせ、スペインを窮地に追い込み隷属させるつもりだということだった。
神聖ローマ帝国は彼らにとって有益な任務を任されたという。
「あかん! このままやとホンマに俺のスペインがマズい! 三国最速で離脱するかもしれへん‼ 国に戻されたら家族全員の鉄拳飛んでくる‼」
イアンは危機を感じて立ち上がった。煙草を投げ捨てる。
「いざとなったら王妃お気に入りのラファエルを人質に取ってえげつない脅しかけるしかあらへんぞ⁉」
騒ぎ出したイアンに釣られて猫たちが鳴き始める。
「ニャーニャーうるさいわ! いつの間に何匹ここにネコおんねん~!
誰やァ! 餌付けしとるネコ好きの海兵は~~~‼」
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