第18話 奪われたくちびる
夜が明ける少し前に目が覚めた。
ちょっと体が痛いのはベッドに敷かれた
異世界の文明度は低いので寝具に文句を言うのはお門違いである。
レンブロ王国の国王だってスプリングの効いたベッドなんて知らないだろうからね。
だが、俺は生まれも育ちも日本の現代っ子である。
そして、異世界と日本が行き来できるようになった今、これ以上の苦痛には耐えられない。
もし、今日も日本へ帰れるのなら次はぜひとも寝具をそろえたい。
そう決めながら朝の身支度をはじめた。
室内はまだ暗いので、まずは蝋燭に火を灯す。
そもそもこれだって面倒だよな。
充電式のLEDランタンがあれば便利そうだ。
それも忘れずに買ってくることにしようと考えながら顔を洗う。
続いて泡立てた石鹸と剃刀を使って髭剃りだ。
考えてみればこれだって面倒だよな。
電気シェーバーがあれば時間は大幅に短縮できるだろう。
おそらく、二年前に使っていたものがまだ残っているはずだ。
それを持って来ればいい。
それに大きくて写りのよい鏡も欲しいな。
「痛て……」
石鹸で手がすべって頬を少し切ってしまった。
ああ、血が少し滲んでいるな。
まともな治癒師がいればすぐに治療してもらえるが、この砦にいるのは治癒魔法が使えない残念治癒師だけだ。
そういえば、今日一緒に転移するのはアインだったな。
いろいろと問題がある兵士だが、顔はかわいい。
邪な気持ちを起こさないよう、気を引き締めていこうと考えた。
本日の朝食には日本で買ってきたチョコレートクロワッサンを出した。
オーブンはないのでフライパンで温めてもらったけど、案外うまくいくものだな。
表面はパリパリと香ばしく、中のチョコレートはとろりと溶けている。
「パンは誰が焼いたんだ?」
「私がやりました!」
元気よく手を挙げたのはアインだった。
「いかがですかぁ、隊長。美味しく焼けていますか?」
「ああ、とてもいい具合だ」
「よかったぁ」
アインは大げさに胸の前で指を組み合わせた。
あいかわらず、しぐさのひとつひとつがわざとらしい。
「やっぱりぃ、料理が上手な方が、いい奥さんになれると思うんですぅ」
「まあ、パートナーには喜ばれるだろうなあ」
ちなみに俺の義父さんは家事をよく手伝う。
義父さんの作るハンバーグは母さんが作るより美味いほどだ。
後片付けもきちんとしている。
小学校五年生までうちは母子家庭だったので、俺も一通りの家事はできるようになった。
ちなみに実の父は俺が保育園のころに行方不明になった。
借金もなく女性関係のトラブルもなかったことから突発的な事故に巻き込まれたのではないかという話を後から聞いた。
だから俺にとって本当の父親の記憶はあまりない。
ぼんやりしている俺にアインがにじり寄ってきた。
「私、これまでお料理ってあんまりしてこなかったんですが、ここ数日のご飯で改心しました」
「ほお?」
「これからはもっと頑張ってお料理をしようと思います!」
どういうつもりかはわからないがよい心がけだと思う。
アインが頑張ってくれるのなら、日本から持ち帰った料理道具の使い方をレクチャーしてもいい。
もっとも、俺に対してのリップサービスとして言っているだけかもしれないけどな。
「隊長、今日は私のばんです。しっかりと務めますので、よろしくお願いします!」
アインが言っているのは異世界転移のことだろう。
これから好きでもない男とキスをするというのに、ずいぶんと浮かれているな。
そういえばアインはなにかにつけて俺に色目を使ってくる。
ひょっとして好意を持たれているのか?
それとも、砦における自分の立ち位置を優位にしておくため、俺を
「すまないがよろしく頼む」
「うふふ、りょ・う・か・い♡」
アインはあざとい仕草で敬礼をした。
午前中はみんなで砦の修復作業をした。
日本から持ち込んだ道具は便利すぎて作業がどんどん進んでいく。
魔法工兵のオートレイは大喜びだ。
「な、な、な、なんですか、このチェーンソーとかいうチート道具は! 丸太が簡単に切断できてしまうではありませんかっ!」
「便利だろう? こっちのネイルガンも使ってみろよ。釘打ちが楽だから」
「うおぉおおおおっ!」
いつになくオートレイは騒がしい。
こんなに元気な彼女を見るのは隊員たちも初めてのことだそうだ。
三時まで頑張って、砦の修復は半ば終わった。
そうそう、ここの一日は二十四時間で地球とそう変わりがない。
どうも時間の流れなどは一緒のようだ。
「よし、今日はここまでにしよう。おやつにサラダせんべいを出しておいたから食べてくれ」
「隊長、このクラッカーのどこがサラダなのでしょうか?」
メーリアが聞いてはいけない質問をしてきた。
「サラダのようにさっぱりしたクラッカーという奥ゆかしい表現なのだ。深い追及はやめてくれ」
「はっ!」
さてと、手を洗って転移の準備をするか。
「アイン、そろそろ時間だぞ」
サラダせんべいを咥えたままのアインが飛び上がって喜ぶ。
「いよいよキスですね!」
「異世界転移だ」
準備が整うと俺とアインは軽トラに乗り込んだ。
俺はハンドルに手をかけしっかりと握りしめる。
「それじゃあ頼む」
「私、初めてなんです……。優しくしてくださいね」
その言葉に俺はためらいをおぼえてしまった。
「お、おい、本当にいいのか?」
「隊長……」
「…………?」
「好き!」
アインにくちびるを奪われる形で俺たちは世界の壁を越えた。
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