第13話 キスラッシュ
長い一日が終わりを迎えようとしていた。
俺は寝室のベッドの上であぐらをかいてため息をつく。
王都からここまでの道のりは大変だった。
だが、もっと大変になるのはこれからだろう。
ここの兵士たちは癖が強すぎる。
さらに、しばらく魔物の襲撃はないようだが、奴らがいつ襲ってくるとも限らない。
戦闘になったら俺たちはここを守り切ることができるのだろうか?
俺は頭を振って不安を追い出した。
今夜は日本から持ってきたウイスキーでも飲んでリラックスするとしよう。
そう考えると少し楽しくなってきた。
美味い酒を飲むのは二年ぶりのことだ。
持ってきたウイスキーは二本ある。
今日は特別に高い方を飲んでしまおうか。
ワクワクしながらカップを探していると扉がノックされた。
こんな時間に誰がやってきた?
「鍵はかかっていないから入ってきてくれ」
「失礼します」
やってきたのはディカッサを先頭にした五人の隊員である。
「こんな時間にどうした、ディカッサ?」
「夜分に失礼します。どうしてもお願いしたいことがあってやってまいりました」
テーブルの上のウイスキーボトルが気になったが、俺は未練を断ち切って隊員たちに向き合った。
「話を聞こう」
そう言うとディカッサが唐突に切り出した。
「隊長はメーリアとキスをしましたね?」
「あ、あれは偶然だ」
「でも、その結果として異世界に転移した……」
メーリアが話してしまったか。
きちんと口止めをしていなかったから仕方がないな。
だが、隊員たちに囲まれてキスのことを問い詰められるだなんて、なんだか査問にかけられているみたいだ。
「いや、本当にあれが原因かはわからないんだ」
ディカッサは深くうなずく。
「結論を急がない隊長のお考えには敬意を表します。だから、私と確かめてみませんか?」
「確かめるってどうやって?」
「私とキスをするのです」
顔色一つ変えずにディカッサが提案してきた。
「唐突だな」
「たいしたリスクもなく異世界へ行けるのです。試してみたいと考えるのは当然でしょう」
「リスクがない? 戻ってこられないということだって考えられるんだぞ」
日本で俺が拒否をすれば、ここに帰ってくることだってないのだ。
まあ、それはしないけど……。
「たとえそうであっても、私は異世界転移を試したいです」
「どうしてそこまでこだわる?」
「魔法が使えるようになるかもしれないからです」
感情を表に出さないディカッサの瞳に情熱の炎が灯った気がした。
ディカッサにとって魔法はそれくらい価値のあるもののようだ。
相手が望むというのなら俺としても異存はない。
「実を言えば、俺も日本へ帰りたい。だから君の話は渡りに船だ。だが、君はそれでいいのか?」
「かまいません。研究のためならキスくらいどうということはありませんから」
これくらいドライの方がやりやすいかもしれないな。
「わかった、お願いするよ」
「ではさっそく」
なんのためも作らずにディカッサがキスしてきた。
くちびるをわずかに重ねるだけのキスである。
それにしたっていきなりすぎるじゃないか。
少しは恥じらってくれないと、ドギマギしている俺が恥ずかしい。
「…………?」
俺たちは数秒の間くちびるを重ねていたけどなにも起こらなかった。
体を離したディカッサが俺を睨みつける。
「本当にキスで異世界転移ができるのですか? まさか、隊員たちとキスがしたいばかりに嘘をついたのではありませんよね?」
「そんなことはしない!」
助け舟を出してくれたのはメーリアだった。
「私とじゃないとだめなのかもしれません」
ディカッサは腕を組んで考えている。
「もしくはキスの仕方が違うのかしら? メーリアとのときは舌を絡ませましたか?」
「そんなことしてないっ!」
叫んだのは俺ではなくメーリアだった。
「特別なキスじゃない。倒れそうになるメーリアを助けようとしたら、くちびるが触れてしまっただけだからな」
「でしたら、先ほど私としたキスとそう変わりはありませんね。やはり特定の人物でなければ異世界転移は起こらない? それではメーリアともう一回してみてください」
こいつは軽く言ってくれるな。
「いやいや、メーリアの気持ちも考えろ」
そう言ったのだが、メーリアは協力的だった。
「私ならかまいません。隊長は私たちの恩人です。お役に立ちたいです。でも、恥ずかしいからみんなは見ないでくれない?」
はにかむメーリアの言葉をサイコパスは拒否する。
「そうはいかないわ。これは実験よ。ちゃんと見届けないと」
ここはメーリアに味方だな。
「衆人環視の中ではやりにくいよ。それにメーリアに嫌な思いをさせてまで日本に帰りたくない」
「仕方がありませんね」
ディカッサも妥協して俺は再びメーリアとキスをすることになった。
「それじゃあするぞ」
「はいっ」
前回と同じようにメーリアはキスのときにギュッと目をつむる。
俺も覚悟を決めてそっとくちびるに触れた。
ところが、今回は何も起こらない。
「ダメか……」
もう一度キスをすれば日本へ戻れるかと考えていたけど、そううまくはいかないようだ。
ひょっとして、もう日本には帰れないのか?
焦りが俺の心をかき乱した。
再びディカッサが質問した。
「異世界転移に成功したときはどこで転移をしました?」
「城壁をくぐってすぐのところだ」
「それですよ。さっきと同じ場所なら転移できるかもしれません。いきましょう、隊長!」
メーリアが妙なやる気を見せている。
俺たちはぞろぞろと入り口付近に移動した。
「たしかここだったよな?」
「はい、この場所です。隊長はこちら側を向いて私を支えてくださいました」
俺とメーリアは確認しあいながら、あのときの状況を再現した。
ディカッサはそれを注意深く観察している。
「よくわかりました。それではキスをお願いします」
淡々と言ってくれるねえ……。
だけど、俺も少し慣れてきたぞ。
それはメーリアも一緒のようだ。
改めて数えてみればメーリアとキスするのは四回目だもんな。
もちろんまだドキドキするけど、初めのころのようなぎこちなさは少しだけ薄れている。
「メーリア……」
「はい……」
メーリアは瞳を閉じて俺を待った。
俺はゆっくりと、雑にならないようにくちびるを合わせる。
「ん…………」
ところがやっぱり何も起こらなかった。
隊員たちの間に軽い失望のため息が聞こえる。
だけど、いちばん落胆しているのは俺だ。
ようやく家族と猫のトラに会えると思ったんだがな……。
さっきの異世界転移は偶然だったのかもしれない。
「すまない」
俺はみんなに謝ったのだが、意外にもディカッサがかばってくれた。
「謝ることはありませんし、まだ異世界転移の可能性がなくなったわけではありません」
「というと?」
「時間ですよ。ひょっとしたら転移には時間が関係しているかもしれません。明日の同じ時間に試してみるのがいいでしょう。他にも一日に一回という制約があることだって考えられます」
「なるほど」
身勝手なサイコパスの言葉にこれほど勇気づけられるとは思ってもみなかった。
やっぱり偏見で人を判断してはならないな。
「ということで明日もう一度実験を再開しましょう」
その晩はこれでお開きということになり、隊員たちは去っていった。
これでようやくウイスキーが飲める。
こちらの世界にもウイスキーはあるのだが、俺が日本で飲んだものより味はずっと劣るのだ。
ワクワクしながら少量の酒を注ぎ一気に煽った。
「美味い……」
フルーツの香りの向こうに麦の甘みがする。
感動で涙が出てしまいそうだ。
そう、こんなに美味しいんだよな……ジャパニーズウィスキーは……。
もう少し飲もうとボトルに手を伸ばしかけて、俺は動きを止めた。
やっぱり今夜はやめておこう。
メーリアたちは明日も協力すると言ってくれたけど、成功するかはわからないのだ。
このボトルの中身がなくなれば、二度と飲めないことだって考えられる。
俺はボトルを大切にしまい、寝る準備を始めた。
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