第3話 ここはどこ?


 俺は……日本へ帰ってきた……のか?

 本当に……?

 まずはカーテンを開けて外の様子を確かめた。

 今は昼間で窓からは子どものころから見慣れた景色が広がっている。

 お隣の山田さんの家もそのままだ。

 あ、屋根は塗り替えたかもしれない。

 でも自動車も変わっておらず、駐車場には見覚えのある軽自動車が置いてあった。

 どうやら本当に日本へ帰ってきたようだ。


「隊長……?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。いま気持ちを落ち着けているから」


 そう言いながらも、俺はちっとも落ち着いていなかった。

 部屋の扉を開けて家の中へ走り出す。


「母さん! 義父さん! トラ!」


 大きな声で両親と飼い猫を呼びながら家中の部屋を確かめていくが誰もいない。

 まさか、家族になにかあったのか?

 いや、平日の昼間なら二人とも仕事に出ているはずだ。

 トラも近所へ遊びに出かけているのだろう。

 おかしなところはなにもない。


「そうだ、母さんに電話!」


 だが、机の上の俺のスマートフォンはバッテリーが切れていた。

 とりあえず充電しておくが使えるのだろうか?

 あれからもう二年も経っているのだ、電話会社との契約が切れていてもおかしくない。


「隊長……」


 振り向くとメーリアが青い顔をして所在なさげに立っていた。


「すまん、君のことを忘れていた。こっちに来てくれ」


 俺はメーリアをキッチンまで連れていき椅子に座らせた。

 メーリアはもう何日も食事をしていないのだったな。

 とりあえずなにか食べさせるべきだろう。


「食べ物がないか調べてみるから少し待っていてくれ」


 冷蔵庫の中にめぼしいものはなかったけど、2リットル入りのスポーツドリンクが見つかった。


「まずはこれを飲んで」

「…………」

「大丈夫、毒なんて入ってない」


 メーリアは恐る恐るといった感じでスポーツドリンクの入ったグラスを持ち上げる。


「透明な……カップ?」


 そっちを気にしているのか。

 きっとグラスがめずらしいのだな。

 レンブロ王国にもガラスはあるが、地方だと目にする機会は少ないだろう。


「これ、甘いです! 美味しい……」


 スポーツドリンクを一口飲んだメーリアが驚きの声をあげた。


「冷たいものを一気に摂取すると内臓に負担がかかる。ゆっくりと飲むんだ」

「はい……」


 本当は一気に飲み干したいところを懸命に自制しているようだ。

 そんな仕草がかわいく見える。

 こうして改めてみるとメーリアはなかなかの美人だ。

 ちょっと性格がきつそうに見えなくもないが、それもまた魅力に見えた。


 スポーツドリンクを飲み干したメーリアがため息をついた。


「ごちそうさまでした。おかげさまで人心地つきました」

「それじゃあ足りないだろう? 後で胃に負担の少ないゼリー飲料でも買いに行こう」

「よくわかりませんが、食料の調達ですね。それでしたら仲間の分もお願いします。砦には私を含めて五名の兵士がおりますので」


 問題はそこだった。

 日本に帰ってこられたのはうれしいのだが、メーリアというおまけがついてきてしまっている。

 そのうえ、砦には死にかけの兵士が四人もいるのだ。


「あの、隊長……」


 今後のことを思案しているとメーリアが遠慮がちに聞いてきた。


「どうした?」

「これからどうするおつもりですか?」

「兵たちの消耗は激しいのか?」

「はい、動ける状態ではありません。私はなんとか食べ物を探しに森へ行くところでした」


 このまま見捨てることはできないか。

 せっかく日本へ帰ってきたんだけどなあ……。


「落ち着いて聞いてほしいのだが……」


 そう前置きして俺はメーリアに状況を説明した。


「では、私は隊長と共に異世界へ来てしまったというのですか?」

「そうだ。これは君の知っている場所ではないだろう?」


 俺は窓を指さした。

 地方都市のさらに郊外の住宅地だが、外には砦やレビン村とはまるで違う風景が広がっている。


「にわかには信じられませんが、状況を鑑みれば信じるしかないようです。でも、どうして?」


 それについては思い当たる節がある。

 やっぱりアレが原因だよな。


「なんというか……その……偶然だが、俺のくちびるが君のくちびるに触れてしまっただろう……?」


 まいったな、自分でも顔が赤くなっているのがわかってしまうくらい火照っているぞ。

 それはメーリアも同じで体をワナワナさせながらうなずいている。


「そ、そうですね。あの瞬間に転移しましたから。隊長と……キ、キスしたときに不思議な感覚がしました」

「うむ……」

「つまり、もう一度キスをすれば砦に帰れるということでしょうか?」

「そうかもしれない」


 確信はないがそう考えるのが妥当だろう。


「君には申し訳ないのだが他に帰る方法を思いつかない……」

「わかりました。そ、そういうことなら仕方がありませんね……。ど、どうぞ!」


 こちらに顔を向けてメーリアはギュッと目をつむった。

 ずいぶんと気が早いな。


「いや、ちょっと待ってくれ。その方法を試してみるのは買い出しをしてからだ」

「買い出しというと食料ですか?」

「ああ、君たちは何日も食べていなんだからな」


 砦からいちばん近いレビンの村までだって10キロメートルの道のりがあるのだ。

 しかも村には食料品店などないので、必ず食料を売ってもらえるとは限らない。

 こちらで買い物をしていった方が確実である。


「ちょっと待っていてくれ」


 俺は自室に戻り、机の引き出しを開けた。

 ありがたい、財布はそのままか!

 きっと俺が帰ってくることを信じて、両親がそうしておいてくれたのだろう。

 そのことに思い至ると涙があふれた。


「隊長……?」


 後ろからメーリアに声をかけられた。

 俺は泣き顔を見られないよう、振り向かずに財布の中身を確認する。

 1万2千円はいっている。

 クレジットカードもそのままだ。

 有効期限まではまだ五か月以上あるので、こちらも問題はないだろう。


「よし、出かけるぞ。と、ちょっと待てよ」


 軍服のままでは目立ちすぎるかな。

 せめて上着だけは着替えた方がいいだろう。

 それから武器の携帯はやばい。

 銃刀法違反で警察に捕まってしまう。


「メーリア、武器を置いて服を着替えるんだ」


 外は暖かいので俺のTシャツを貸してやればじゅうぶんだろう。


「剣を置いていくのでありますか?」

「ここは平和な街だ。問題ない。軍服の上を脱いでこれを着るといい。俺は外で着替えてくるから、君はここで」


 俺は無地の黒Tシャツをメーリアに渡して部屋をでた。


「お待たせしました」


 たいして時間もかからずにメーリアが現れた。

 ふむ、けっこう似合っているな。

 素材がいいからもっと素敵な服を着せてあげたいくらいだ。

 え……、素肌にTシャツを着た?

 具体的に何とは言わないけど、二つの突起物が浮いてしまっているぞ!

 厚手の軍服の上からだとわからなかったが、けっこう大きいんだな……

 そういえば、レンブロ王国でブラジャーをする庶民はいない。

 俺は慌てて部屋に駆け込みパーカーを取ってきた。


「これを上から着るんだ」

「え? 少々暑いようですが……」

「メーリア上等兵、これは命令だ!」

「はっ!」


 少々強引にパーカーを着せてから、俺たちはガレージに向かった。

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