第2話 水色の髪の上等兵


 王都レンブロから、北部最大の都市ロッカスまで500キロメートル強の馬車旅。

 そこからさらに北のレビン村まで徒歩で60キロメートル。

 そのレビン村からさらに徒歩で10キロメートル。

 鉄のおもりをつけられたみたいに俺の足取りは重かったけど、一週間かけてようやく第184番砦までたどり着くことができた。


 しかしなにもないところだな……。

 荒涼とした平原の緩やかな丘の上に、小さな砦がデーンと建っているだけの場所である。

 周囲には民家ひとつなく、ただ風の吹きすさぶ音がこだましていた。

 出世コースを外れた俺が中央に返り咲くことはないだろう。

 ここが新しい住処かと思うと、心にまですきま風が吹き込むようだ。


「いかん、いかん……」


 俺は顔をピシャリと叩いて気合を入れた。

 上官に大切なのは威厳である。

 情けない顔を部下に見せるわけにはいかないのだ。

 たとえそれがどんな部下であってもである。


 書類を見ただけだが、ここに集められた兵士たちは相当ひどいらしい。

 どいつもこいつも使えない者ばかりで、各部隊のお荷物を寄せ集めた小隊のようだ。

 中には敵前逃亡の嫌疑をかけられた兵士もいるとか……。


 しかも小隊とは名ばかりで、駐屯する兵士はたったの五人しかいないそうだ。

 この国の軍事システムだと、小隊というのは五十人人くらいの規模をさす。

 五人だったら分隊じゃないか。


 まあ、いまさら文句を言ったところで仕方がないか。

 いわくつきの左遷なんてこんなものかもしれない。

 とにかく疲れた。

 まずは中に入ってなにか食べさせてもらい、少し休むとしよう。


 扉に取り付けられたノッカーを叩いておとないをいれた。


「誰かいないか? 小隊長として赴任したカトリ少尉だ!」


 周囲はひっそりと静まり返り人間の気配はない。

 城壁の扉は……開くな……。

 俺は扉の陰に身を潜め、腰の剣を抜いた。

 魔王軍は撤退したとはいえ、地方ではしょっちゅう魔物の侵攻があると聞いている。

 また、山賊などが出没することだってあるのだ。

 ひょっとしたらここも被害に遭ったのかもしれない。

 場合によっては山賊や魔物の根城にされているという可能性もある。

 慎重に行動するとしよう。


 音を立てずに城壁の中へ滑り込むと目の前に人が倒れていた。

 軍服姿ということはこの砦の兵士だろう。

 やはり襲撃を受けていたか?


「しっかりしろ。意識はあるか?」


 それは水色の髪を後ろに束ねた真面目そうな顔の女性兵士だった。

 衣服に汚れはないが、やけに痩せているのが目につく。

 袖の徽章きしょうは上等兵か。

 ありがたいことに傷はどこにもなく、脈もあった。


「おい、なにがあった?」

「あ、あなたは……?」

「隊長として赴任してきたカトリ少尉だ」

「よかった……。ようやく来てくださったのですね」


 身分を告げると兵士はなんとか起き上がって敬礼した。


「自分はカトリ少尉がいらっしゃるまで隊長代理を務めておりましたメーリア上等兵であります」


 メーリアは第一印象とたがわず、生真面目な話し方をした。


「任務ご苦労。だが、君はどうしたんだ? 倒れていたし、顔色もひどく悪いぞ」

「実はずっと補給が途絶えていまして……」


 話を聞いてみると三週間ほど補給物資が届いていないそうだ。


「じゃあ、君たちはずっとなにも食べていないということか?」

「井戸があるので水は足りています。ただ、最近口に入れたのは森に生えていた山菜くらいのものでして……」


 それはさぞ辛かっただろう。

 だが、疑問もある。

 ここは自然豊かな場所なのだ。


「狩りをすればなんとかなったのではないか?」


 砦なのだから弓矢くらいは豊富にあるはずだ。

 軍備を勝手に使うのは褒められた話ではないが、背に腹は代えられないだろうに。


「それは……」


 メーリア上等兵は辛そうにうつむいてしまった。

 いや、いまは言い争っている場合ではないな。

 ここの兵士たちはみな飢えて死にかけているのだ。

 物資の手配をするのは当然として、とりあえずは手持ちの食料を食べさせなくてはなるまい。

 といっても、俺が持っているのだってパンと干し肉、ワインくらいのものだが。


「わずかだがここに食い物がある。まずはこれをみんなで分け合って食べてもらうとしよう。他の兵たちはどこにいる?」

「こちらへどうぞ」


 メーリアはふらつく足で案内しようとしたが、力が入らず転びそうになってしまった。


「危ない」


 なんとか抱き留めたまではよかったが、メーリアの消耗は予想以上だった。

 半ば意識を失っているようすでグニャリとこちらに体を預けてくる。

 その勢いのままメーリアの顔が俺の顔に迫り……キスをしてしまった……。


「ん……!」


 衝撃に意識がはっきりしたのだろう、唇を密着させたままメーリアの目が見開かれている。

 俺だって驚いたよ。

 だが、その直後に起きたことにはさらに驚かされた。

 なんと、俺とメーリアはキスをした状態のまま違う場所に転移していたからだ。


「た、隊長! なにをなさるんですかっ!」

「こ、これは偶然だ。俺は倒れた君を助けようとしただけなんだ」

「だからって! ……え? なんで? さっきまで砦の前庭にいたのにどうして室内に!? これは魔族の見せる幻覚ですか!? 敵襲?」


 オロオロと騒ぎ立てるメーリアをなだめる。


「落ち着け! 大丈夫、敵はいない!」

「じゃあ、ここはどこなのですか?」


 メーリアは不思議そうに周囲を見回している。

 そこは六畳一間の和室だった。

 子どものころから使っている学習机と椅子とベッド、それに洋服ダンスや本棚。

 机の上にはスマートフォンとノートパソコンも置かれている。

 すべてが二年前のままだった。


「ここは……俺が生まれ育った家。そして俺の部屋だ……」


 俺たちはいきなり日本に転移していた。


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