第5話 暗闇にひそむもの
ギシッと、床板を踏み締める度に音が鳴る。
惨劇が起こった館の中は、雑然としているが、特にそれらしい跡は残っていない。
床は埃まみれで、カーテンには穴が空いている。
カーテンを開くと薄暗い室内に眩しいくらいの光が差し込んでくる。
埃の粒子が煌めく中、マユラは口をワンピースの袖で覆いながら、清々と窓を開いた。
秋風が室内の澱んだ空気も埃も一掃してくれるようだった。
「人が住んでいた形跡があるのね。テーブルもあるし、椅子もある。棚もあるし……全部残してくれているのはありがたいわね」
マユラはひとしきり室内を確認して回った。一階にはキッチンがあり、浴室があり、裏庭には井戸がある。
暖炉があるリビングに、テーブル。戸棚の中には食器類。
綿の飛び出したソファ。それから──。
「この部屋は……」
リビングの奥には、謎の空間がある。
一度、扉が封印されていたのだろう。扉が開かないように板を打ちつけた跡がある。
だがその板も外れてしまって、木製の扉が半開きになっていた。
扉を開くと、そこらじゅうに散乱している古めかしい本の数々。
肌をピリッとさせるような嫌な緊張感が体に走る。
なんの物音もしない静かな部屋だ。テーブルの上にはフラスコやビーカーなどが転がり、部屋の奥には金色の巨大な窯が鎮座している。
「そういえば、フィロウズさんがここは昔、魔導師の研究所だったって……」
だとしたら、あれは。
とても料理用には見えない、複雑な紋様の刻まれた立派な釜は。
「錬金窯! 初めて見るわね」
レイクフィア家のものたちは、四大エレメント魔法以外の魔法を認めていない。
呪殺魔法を筆頭にした闇魔法は邪道。
錬金術を筆頭にした、創成魔法は役立たず。
治癒魔法を筆頭にした、光魔法は救急箱と同じ。
ともかく、自分たちの使用する魔法以外のさまざまな系統の魔法を無用の存在だと決めつけていた。
当然、錬金釜など家にはなかった。
錬金術は高度な魔法である。だが、初歩的な錬成なら、素材の魔力を使用して新しいものを作るという特殊な魔法のために、個人の持つ魔力量や属性に左右されずに行うことができる言われている。
「そっか、錬金術か……いいかもしれないわね」
ヴェロニカグラスや、ヴェロニカ織を皆で力を合わせて作っている時、大変だったが楽しいと思うことができた。
どうやら自分はものづくりが好きなのだと、マユラはその時初めて気づいた。
今まで、好きも嫌いもない生活だったのだ。
好きなことを仕事にして生活できるのなら、これほどいいことはないだろう。
「大昔の大魔導師様が残してくれた錬金釜があるなんて、とってもついている──」
ふと、足元から冷気のようなものがゾワゾワと這い上がってくる。
腰の力が抜けそうな、足が萎えてしまいそうな。
そんな、なんともいえないおぞましさが、恐ろしさが、マユラを襲った。
この感覚は──兄に、殺意のこもった視線で睨まれた時のそれによく似ている。
あれ以上に怖いことなどないと、マユラは思っていた。
だが、今もそれと同じような気配を感じる。
『出ていけ。死にたくなければ、ここを立ち去れ』
はっきりと、そんな声が部屋に響いた。
これは──四年前に夫と浮気相手を呪い殺したという妻の、呪殺魔法の名残なのだろうか。
だが、その声は女性のものではない。
深みのある、少し掠れた男性の声。
「歳の頃なら三十代から四十代といったところでしょうか。いわくつきの、いわくの正体ですね! 残念ですが私はここを出ていきません、家主ですので! 私はここで錬金術店を開くと決めたのです!」
ゴーストだかなんだか知らないが、マユラはようやく自由を手に入れたのだ。
四年前の痴情のもつれに巻き込まれている場合などではない。
いかに凶悪な呪殺魔法でも、四年も経てば効力は薄れるだろう。
「声は、そこからですね! 私はマユラ、落ちこぼれではありますが、一応は魔法が使えます! 呪いが残っているのなら、さっさと祓ってあげましょう!」
魔導士としてはまるで駄目だったマユラだが、両親や兄妹に認められたいという思いから、魔法の勉強をするために家の蔵書だけは時間があるときに読破していた。
知識だけは豊富なのである。役に立ったためしはないものの。
マユラは声がする方向へ、錬金釜の前に突き進んでいく。
錬金釜から不気味な黒い腕がなん本も伸びて、マユラに掴みかかってくる。
それはマユラの腕や、足や腰、それから首に絡みついた。
恐怖から背筋に冷や汗が流れるが、マユラにはレイクフィアの家族たちよりも怖いものなんて何もない。
「煌々たる光、浄化せよ、聖化せよ、全ての闇を祓え!」
呪殺返しの神聖魔法の呪文を唱える。もちろんこれが初めてだ。
呪殺返しなど、マユラしたことがない。あるのは知識だけである。
だが、論理的には魔力さえあれば、どんな魔法でも使うことができる。神聖魔法は光魔法からの派生である。
用途が限定される派生魔法は、得意不得意に関わらず誰でも使用できるものだ。
──そのはずだ。
マユラを中心に光が溢れる。
けれど、それはすぐに消えてしまった。光が消えても、黒い手は消えていない。マユラの体に巻きついて、それから。
なぜか、するすると離れて錬金釜の中へと戻っていった。
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