第3話 王都の廃墟


 マユラが商売の拠点として王都イシュタニアを選んだのは、人が多いからである。


 人が多ければ客も多い。なにかをはじめるには王都はうってつけの場所だ。

 わざわざ地方から、全財産をはたいて王都に移住する者もいるぐらい、人で賑わっている。


 その広さは、端から端まで歩くと丸一日かかるぐらいだ。

 魔物避けの広大な石壁に囲まれた、城塞都市である。


 中心地にある王城の周囲には、庶民は立ち入ることさえできない貴族街がある。


 南には海があり、北には山脈。東は農地で、西は森だ。

 これら全てを、海に続く港以外は壁で囲っているのだから、街というよりも一つの国に近い。


 それぞれの地区に名前がついていて、厳密に言えばさらに細分化された居住区がある。


 レイクフィア家──今は、レイクフィア男爵家は、元々北の商業地区アンティルに居を構えていた。

 今は、貴族街に移り住んでいるはずなので、マユラはある程度自由に住居を決めることができた。


 まさか、レイクフィア家と同じ地域に住みたくはない。彼らが貴族街に移り住んでくれてよかった。


「ここなら、ひと月ざっと五万ベルクでお貸しできますよ」


 乗り合い馬車の皆と、街の人々からもらったブリトーやピザパン、りんごやチーズや揚げ鳥などをもぐもぐ食べながら王都に辿り着いたマユラは、さっそく貸し家斡旋所に向かった。


 対応をしてくれた笑顔の素敵な眼鏡の男性は、マユラの姿を上から下まで確認して、支払えそうな額の空き家を地図上に示してくれる。

 

 金額としてはちょうど安牌。

 豊かにも、激しく赤貧にも見えないマユラにはほどよい金額だ。

 男性は悪い人ではないのだろう。


 けれどいかんせん、マユラには金がない。

 公爵家にはもちろんあったが、マユラがこっそり貯めていた自分用のへそくりは、総額十万ベルクほど。

 家賃を二回支払えば、底を尽きてしまう。


 今後のことを考えれば、家賃は安ければ安いほどいい。生活費だってかかるのだから、贅沢はしていられない。


「申し訳ありません、もう少し安い方がいいのですけれど」

「五万ベルクでこの立地、一軒家でとても綺麗なのですが」

「もっとおんぼろで、立地も悪くていいので、ともかく安い場所がいいのです」

「もしかして、お嬢さん。逃亡犯か何かですか? それとも、暴力を振るう旦那から逃げ回っている、とか」

「花の独身、二十歳。離縁されたばかりで家族はいません、天涯孤独の身です。そういうわけですから、お金がないのです」


 流石に個人の名前は出せないが、家を借りるためには信用が必要である。

 マユラがあけすけに自分の事情を話すと、男性はメガネの奥の切れ長の瞳でマユラを上から下までじっと眺めた。


「……離縁」

「はい。離縁です」

「不貞を……?」

「私が? 不貞を働くほど男性にモテるように見えるでしょうか」


 一瞬男性は沈黙をする。マユラの髪は伸ばしっぱなしだ。癖が強く、放っておくと野原を走り回る子犬のように縦横無尽に跳ねて広がる。

 それを無造作にハーフアップにしているが、お世辞にも身だしなみに気を遣っているようには見えないだろう。

 

 着ているものも、動き回りやすく洗濯がしやすいという理由で、大抵が飾り気のないワンピースである。

 こちらは古の魔女服のようで気に入っていなくもない。

 とんがり帽子があれば完璧だと思っている。魔法は苦手なのだが。


「いや、不躾な質問申し訳ありません。あなたに後ろ暗い事情があった場合、借家で刃傷沙汰が起こりかねない。刃傷沙汰が起こった借家は事故物件と呼ばれて、借り手がつかなくなるものですから。事故物件は賃貸料も安くなりますし」

「事故物件! ではそちらに、私が住みます」

「えっ」

「安いのですよね?」

「曰く付きです」

「曰くというのは、大変いいものです。有名、という意味ですから」


 マユラは男性とマユラを隔てる地図の置かれたカウンターに手をついて、身を乗り出した。


 そもそもどうして刃傷沙汰が起こった家の価値がさがるのか、マユラにはよくわからない。

 これはマユラがレイクフィア家という少々特殊な家に生まれて来たからなのだが、マユラ自身にはその自覚がなかった。


 レイクフィア家は魔物討伐で財をなしてきた家である。

 魔物というのは王国の各所に存在していて、時に人に危害を加える恐ろしい生物のことだ。

 動物と違うのは、その体から魔素という魔力の素を採取できる一点のみ。


 総じて凶暴であり、凶悪であり、暴虐である。

 ただの人では太刀打ちできず、名のある騎士でも怪我を負う。並の魔導士の魔法は効かない。

 レイクフィア家は特別である。


 そんな家庭の片隅にいたものだから、両親や兄が今日は何人死んだ、だとか。

 どこそこの村が燃えた、だとか。

 そんな話ばかりをよく聞いていた。

 魔物の中にはそれはそれは恐ろしい見た目のものもいて──なんていう話をよく耳にしていたので、刃傷沙汰が起きた家にはゴーストが出る、などと聞いても、いまいちピンとこない。


「フィロウズさん、ゴーストというのは魔物の類ですか?」

「いや。そうではなく、お化けとか、幽霊とか、まぁ、架空のものですよ」

「なるほど……いないものを怖がって家が安くなるというのは、いいですね。運がいいです、私」

「……まぁ、マユラさんがそうおっしゃるのならそれでいいですが。大昔には大魔導士の研究室だったという、価値のある家なんですけれどね。数年前にある男女に貸したところ、痴情のもつれが起こりまして」

「痴情とは常にもつれるものですからね」

「ええ、本当に」


 そんなことを話ながら、借家斡旋所の男──フィロウズがマユラを案内したのは、南地区にある海を見下ろす小高い丘の上の、上から見ても下から見ても、どこからどう見ても。


 廃墟。


 だった。



 


 

 

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