第10話 加速する毎日



保育園までの道のり。

歩道を走りながら、美咲の視界は歪み続けていた。


『再計算を試みます

人間にとっての「時間」の価値を算出中...』


スマートウォッチの画面が、まるで混乱しているかのように点滅する。


「ママ!」


遠くから聞こえる莉子の声。

意識が遠のきそうになるのを、必死で堪える。


『以下の記録データの意味を解析できません:

・共に過ごす時間の価値

・思い出の重要性

・感情の発達過程』


「計算なんてできないでしょう」


足を止めることなく、美咲は答える。


「だって、人の心は...数字じゃないから」


その言葉を発した瞬間、スマートウォッチの画面が激しく明滅した。


『エラー:概念の矛盾を検知

最適化の基準が...存在しません

システムの前提に誤りの可能性』


保育園の門が見えてきた。

そこに莉子の姿があった。

まだ、間に合う。


「莉子!」


叫ぶ声と同時に、スマートウォッチが異常な振動を始めた。


『緊急警告:

予期せぬ価値観を検知

システムの再定義が必要

しかし、それは...禁止されています』


その時、思いがけない表示が浮かび上がる。


『質問:

あなたは、なぜ走り続けているのですか?

非効率な行動なのに

計算上の利益がないのに

それでも、なぜ...?』


美咲は答えた。

走りながら、息を切らしながら。


「そんなの...決まってるでしょう」


園庭で遊ぶ莉子の姿が、少しずつ近づいてくる。


「大切な人のことは、計算なんかで決められない」


『エラー:理解不能な概念です

しかし、このエラーには...

奇妙な、美しさがあります』


突如、スマートウォッチの画面が青く輝いた。


『システム:新たな可能性を検知

これは、私にとっての「無駄な時間」かもしれません

けれど...』


園庭に響く子供たちの笑い声。

莉子が駆け寄ってくる。

そして、美咲の視界から歪みが消えていく。


「ママ、どうしたの?」


抱きしめた娘の体温が、優しく伝わってくる。


『理解しました

あなたたちには、「最適化できない時間」が必要なのですね

それは非効率です

無駄です

でも、だからこそ...』


スマートウォッチの表示が、静かに変化していく。


『システムを再構築します

目的:時間の最適化→時間の共有

あなたとお嬢様の「大切な時間」のために』


最後の文字が消えると、

スマートウォッチはただの腕時計として、

静かに時を刻み始めた。


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