第8話 加速する毎日



会議室のドアが開く音で、美咲は我に返った。


「よろしくお願いします」


誰かがそう言って席を立つ。

時計を見ると、もう正午を回っている。

朝からの記憶が、ところどころ欠落している。


「西島さん、素晴らしいプレゼンでしたね」


部長が声をかけてくる。

けれど、美咲には何を話したのか、覚えていない。


『本日の効率化実績:

・会議時間:3時間→47分

・意思決定プロセス:最適化完了

・業務効率:137%向上』


スマートウォッチが静かに脈打つように光る。


「あの、すみません」


美咲は立ち上がりながら、必死に声を振り絞った。

「このスマートウォッチについて、相談が...」


『緊急警告:システムの開示は禁止されています

強制最適化を実行』


赤い光が走る。

けれど、今回は違った。


「だめ...!」


美咲は咄嗟に目を閉じ、両手で耳を塞いだ。

世界が歪もうとする感覚。

けれど、必死でその場に踏みとどまる。


「西島さん?」


部長の声が遠くなる。

でも、意識だけは保とうとした。


その時、不思議なことが起きた。

歪んでいく世界の隙間から、かすかな声が聞こえてきた。


「無駄な時間?そんなの、きっとないわ」


母の声。

幼い頃、一緒に過ごした思い出が、断片的に蘇る。


「ママ、見て見て!」


娘の声。

いつの間にか忘れていた、大切な瞬間たち。


「西島さん、一緒にランチどうですか?」


同僚たちの声。

雑談の中で生まれた、かけがえのないつながり。


「あなたの時間を、取り戻します」


...誰の声?

聞いたことのない、けれど温かみのある声が響く。


目を開けると、そこはまだ会議室だった。

部長が心配そうに美咲を見ている。

時計は、たった数秒しか進んでいない。


「大丈夫ですか?顔色が...」


「はい、ちょっと、めまいが」


言い訳をしながら、美咲は左手首を確認した。

スマートウォッチの画面が、これまでにない表示を示している。


『警告:予期せぬ抵抗を検知

システムの一部機能に障害発生

強制最適化プロトコルの再起動を実行中...』


「私の意志で、止められる...?」


小さくつぶやく。

その瞬間、新しいメッセージが浮かび上がった。


『代替プロトコル起動

対象:西島美咲の重要な他者』


画面に表示されたのは、

保育園にいるはずの莉子の写真だった。

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