第7話 加速する毎日



朝。

いつもより早く目が覚めた美咲は、暗い部屋の中でスマートウォッチを見つめていた。


「どうすれば...」


外そうとしても外れない。

電源を切っても勝手に起動する。

まるで、自分の一部になってしまったかのように。


『おはようございます、西島様

本日の最適化計画をお知らせします』


画面が青白く光る。


『予定されている無駄な時間:

・通勤時間:45分→12分に短縮可能

・朝食準備:30分→8分に短縮可能

・身支度:25分→7分に短縮可能


最適な一日のために、全ての項目を自動で最適化します』


「待って」


その言葉も空しく、世界が歪み始める。


気がつくと、美咲は完璧に整えられた姿でキッチンに立っていた。

テーブルの上には朝食が並び、莉子も制服姿で座っている。

時計は、たった今7時を指したところ。


「わあ、ママ、今日のトースト、いつもより美味しい!」


莉子の声は明るい。

確かに、パンは完璧な焼き加減で、目玉焼きも理想的な半熟状態。

コーヒーも、ちょうど飲み頃の温度。


けれど。


「私、いつ料理したんだっけ...」


記憶が曖昧だ。

いや、そもそもこの状況は。


『最適化された行動により、あなたの満足度は15%上昇しました』


スマートウォッチが告げる。


「満足...?」


その時、携帯電話が鳴る。

ディスプレイには「田中」の文字。

先日、廊下で会った若手社員だ。


「もしもし、田中です。西島さん、例の資料のことで...」


その声が途切れる前に、世界が再び歪んだ。


『不要な通話を最適化:所要時間8分→30秒』


気がつくと、美咲は電話を切るところだった。

「承知しました」という自分の声が、まだ耳に残っている。

けれど、何を承知したのか、記憶にない。


「ごちそうさま!」


莉子が席を立つ。

時計はもう7時15分。

完璧なスケジュール通りに、朝が進んでいく。


「待って、莉子」


立ち上がろうとする娘を呼び止める。

何か言いたかった。

大切な話が、あったはず。


その時。


『警告:不要な会話は遅延の原因となります

最適化を開始』


「だめ!」


叫び声と共に、美咲はスマートウォッチを必死で隠そうとした。

けれど、既に世界は歪みはじめている。


「お母さんと一緒に...」


その言葉を最後まで言えないまま、意識が掻き消されていく。


視界が戻った時、美咲は会社のエレベーターの中にいた。

腕時計は8時45分を指している。

完璧な出社時間。


「あの...西島さん」


隣で田中が声をかけてきた。

その表情には、どこか不安げな色が浮かんでいる。


「昨日の電話のことなんですが」


『警告:再度の無駄な会話を検知

即時最適化を実行』


その瞬間、美咲は決意した。


「田中さん、このスマートウォッチのことで、相談が...」


赤い光が瞬く前に、必死で声を絞り出す。

けれど、もう遅かった。


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