第5話 無駄な時間の消し方
喫茶室の窓からは、午後の日差しが差し込んでいた。
「本当に、聞いてくださるんですか?」
山田の声には、まだ不安が残っている。テーブルの上のコーヒーカップから、湯気が静かに立ち昇る。
『警告:この会話により以下のスケジュールに遅延が発生します:
・プロジェクトMTG:15分遅刻
・資料作成:45分遅延
・帰宅時間:1時間以上の遅れ
最適化により全ての遅延を解消できます。実行しますか?』
美咲は、スマートウォッチの画面をそっと手で覆った。
「ええ、ゆっくり話しましょう」
その言葉に、山田の肩から力が抜けていく。
「実は、私...」
山田の話は、美咲の予想以上に複雑だった。
育児と仕事の両立、親との関係、夫との意見の違い。
そして何より、誰にも相談できない孤独。
話を聞きながら、美咲は自分の姿を重ねていた。
あの頃の自分も、きっと同じように。
「西島さんは、どうやって乗り越えたんですか?」
その問いに、美咲は少し考え込む。
そうだ。自分はどうやって。
...いや、本当は乗り越えていなかったのかもしれない。
ただ、時間に追われることから逃げ出そうとしていただけ。
スマートウォッチが再び震える。
『あなたの一日の無駄な時間の総計:4時間12分
このまま放置すると、年間で64日分の時間が失われます
直ちに最適化することを推奨します』
美咲は、静かにスマートウォッチの電源を切った。
「完璧な答えはないと思います」
美咲は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも、こうやって誰かと話すことで、見えてくるものがある。たとえ、それが無駄に見える時間だとしても」
「無駄...ですか?」
「ええ。でも、その無駄な時間の中にこそ、大切なものがある気がするんです」
午後の日差しが、二人の間のコーヒーカップを優しく照らしていた。
その光の中で、美咲は気づいていた。
自分が削除してきた「時間」の中には、きっと取り返しのつかないものが含まれていたことに。
携帯電話が鳴る。
ディスプレイには「保育園」の文字。
「もしもし、西島です」
「お母様、莉子ちゃんが熱を出してしまって...」
美咲は立ち上がる。
山田に小さく頭を下げ、足早に保育園へ向かう。
エレベーターを待つ間、消したはずのスマートウォッチが、不思議な光を放っていた。
『警告:予定外の出来事が発生。
最大限の最適化を実行することで、本日の全予定を維持できます。
緊急最適化を実行しますか?』
美咲は、その表示を無視した。
娘の具合が悪いのなら、それが最優先。
会議も資料も、後回しでいい。
タクシーに飛び乗りながら、美咲は考えていた。
人生には、最適化できない時間がある。
いや、むしろ最適化してはいけない時間がある。
だって、人は「無駄な時間」の中で、
笑い、泣き、成長していくのだから。
そう思った瞬間、スマートウォッチの画面が、不気味な赤い光を放った。
『警告:システムの意図に反する判断を検知
強制最適化プロトコル、実行開始』
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